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2010年11月09日
ブライセン「業績評価」打ち合わせ:「子どもの家」ターオさん誕生会
雨・くもり・雨。
午前6時起床。
簡単な柔軟運動。
午前7時朝食。「キャッサバ芋の手打ちうどん」
午前8時過ぎ、ベトナム事務所へ。
ベトナム事務所員の皆さんは、雨で「憂鬱(ゆううつ)」な季節と
闘いながら和気藹々(わきあいあい)と協力して仕事を進めて
いる。お互い「譲り合い」「気を遣いながら」協力して仕事をする
場所が「職場」だ。ベトナム事務所は今、正に「職場」と言って
良い状況である。ベトナム事務所員の目標はただ一つ。
「ベトナムのこどもたちの幸せ」だけである。
机の配置の関係でアンさんは、どうしても一人の撮影となってしまう。
「フェリシモ」の大きな仕事をバオミンさんと協力しながら進めている。
今年の2月から始めた「フェリシモ」の仕事だが、既に軌道に乗って
着々と製品が出来上がり日本へ送っている。
『ポストカード」のポーチは既に5000個の注文があったとのこと。
「子どもの家」刺繍みやげ物店の自立、こどもたちの自立に
大きな財源を供給することになる重要な仕事をコツコツと頑張って
してくれている。感謝したい。
3階のブライセンベトナム支社では、本社からの
技術指導部長・リーダーが来訪し、6人のスタッフに
リンターの技術指導を行っている。
バオミンさんと若干の打ち合わせ。
午前9時。ブライセン本社部長さんと「ブライセンベトナム支社」
業績評価について最終打ちあわせ。明日から、個人面接。
ブライセン本社との打ち合わせを終わり、急いで「子どもの家」へ。
今日は「子どもの家」のターオさん(11歳・5年生)の誕生会。
里親のNさんから誕生プレゼントも届く。
午前11時、「子どもの家」に到着。フエに戻って3週間。
初めて電動バイクに乗る。
男の子はつかの間の「曇り」の中で「ビー玉」遊びをしていた。
午前11時過ぎ、ターオさんの誕生会が始まる。
誕生ケーキ 「11月9日 HIEU THAO」と書かれている。
「子どもの家」のこどもたち全員にケーキを振舞うように
3つのケーキが用意されている。
11歳と書かれたケーキ
里親のNさんからの誕生祝いの手紙
誕生祝いの「ジグゾーパズル」。「子どもの家」のこどもたち
がみんなで遊べるように里親からの配慮のお祝い品。
11本のローソクを吹き消す
昼食のため食堂に集まったこどもたちが「HAPPY BIRTH DAY
TO THAO」と歌う。
誕生会を終わり、昼食に入る。ここが不思議なところだ。
食事をしてケーキが食べられるのか? 私は絶対に無理だが。
こどもたちは食後、見事にケーキを食べきった。
「子どもの家」の画家ゴッホさんことフック君(フエ芸術大)
食事が終わり、「ケーキ」タイムに入る。
ターオさんの誕生会が終わる。
ターオさんは、2004年8月に「子どもの家」に入所してきた。
諸般の事情があり、「父親死亡」「母親行方不明」。農業の
祖母に育てられていたが、生活ができなくなっていた。
同時にかなり重い心臓病に罹っての入所だった。
5歳で「子どもの家」に入所したターオさんの唇と爪は
「紫色」だった。呼吸もかなり苦しそうだった。
フエ中央病院に連れて行き診断。手術が必要だが、
小さいので体力がない。今は手術は出来ない。
小学校に入学したら手術をするということになった。
小学校に入学。心臓の手術を行う。費用は20万円。
大金である。「高野道郎メモリアル基金」などからの支援を
頂き、手術は成功し、今は11歳、5年生。元気に走り回っている。
「子どもの家」がなければ、今日の誕生祝いができたか
どうかも分からない。私たちの活動はささやかなものでは
あるが、こうしてターオさんという一人のこどもの人生を
大きく左右する仕事が出きることに感謝している。
また、長年にわたりターオさんの里親として実際の支援を
してくれているNさんにも心から感謝したい。
「どの子どもも幸せになる権利を持っている」。
横を見ると「子どもの家」を卒業し、日本料理店で店長をしていた
ニーさんがいる。
某日本料理店から多額の給料を出すという「誘惑」に乗り、
我が日本料理店を突然退職。某日本料理店は、日本語ができ
接客が出きるニーさんが欲しかったのだが、結局数ヶ月で
「ポイ捨て」同然にクビにされてしまい、その後、色々と
あったニーさんである。
何も知らないこどもを「お金」で吊り上げ、もてあそぶがごとき
振る舞いをし、直ぐにクビにした某日本料理店の責任者の
責任は重い。お金のためなら、こどもたちを「紙くず」のように
捨ててしまう人間性に嫌悪を感じる。
今日11月16日に結婚式をするので「子どもの家」の
スタッフに招待状を持ってきたとのこと。
その前にベトナム事務所にも招待状を持っていったと
言っていた。ニーさんは21歳。新郎は26歳で携帯電話の
修理をしているとのこと。
日本料理店の突然の退職問題など色々とあったが、
結婚はおめでたいこと。11月16日、午前9時半から
新郎の実家(フエ郊外の田舎)で行われる結婚式には
出席し、お祝いしてやりたい。ニーさんは、「子どもの家」が
できた当初から「子どもの家」にいた。小学校入学
前からの「子どもの家」っ子である。
12時前に全てを終わり、帰宅しようとしたら、「ハイリーホテル」名の
生みの親である「ハイ君」が「子どもの家」の門の前に
ボーッと立っていた。
「子どもの家」の「食堂に行きなさい」といい、昼食を摂るように促す。
今は、オートバイの掃除をしているという。
1ヶ月90万ドン(4500円)の月給。食事は自分のお金で
食べられると言っていた。
JASS活動・「子どもの家」は、結局、こどもたちが帰る最後の
場なのである。色々と問題を起こしても、最後に帰るところは
「子どもの家」なのだ。私は、どんな事情と経過があっても
こうしたこどもたちを100%受け入れる気持ちでいる。
電動バイクで20分、宿舎へ。昼食は春雨麺」。
1時間ほど昼寝。
読書「「思春期 ポストモダンー成熟はいかにして可能か」
(斎藤環著:幻冬舎新書)
引きこもり、ニート、学校のいじめ問題の精神の問題。
全編を通じて著者は、ほとんど断定的なことは言っていない。
境界線がキーワード。
バオミンさん・ハンさんと電話でいくつかの問題を打ち合わせ。
午後5時過ぎ、雨の中、宿舎を出て徒歩でベトナム事務所へ。
午後5時半、こどもたち・スタッフと夕食。
日本語の先生は、授業が終わってから日本料理店に来る。
午後8時半、閉店。
投稿者 koyama : 2010年11月09日 17:38