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2010年10月24日

リー君の父親の家へ行く

終日、真夏のような暑さ。快晴

午前5時起床。読書「中原の虹(Ⅱ)」(浅田次郎著)読了

午前6時半、昨日の「春雨麺」の残りを軽く朝食。

柔軟体操。バーベルで筋力トレーニング。

部屋の掃除。洗濯。

午前10時、日本料理店へ。今日は、リー君の父親が
住んでいるフエ空港付近の農家を訪問する。
日本料理店のこどもたち、大塚さん、日本人教師全員。

車で20分ほどでリー君の父親が住んでいる農村へ。
父親はアヒルを2000羽飼育している。

父親の家の近くまで車で入ったが、雨季で水が増水。
父親の家は「陸の孤島」さながら、周りを水で囲まれて
しまい孤立状態。

仕方がないので舟でリー君の父親の家まで行く。

リー君の5歳の弟が出迎えてくれる。


リー君の子どもの頃の顔にそっくり。

早速、ニワトリ3羽、アヒル2羽を捌く(さばく)。


リー君と日本料理店のこどもたちは生きたニワトリやアヒルを
捌く専門家。なかなか手際よく「息の根」を止め、熱湯に
つけて羽根をむしり、捌いていた。

私は「怖い」ので「捌き業務」には従事せず。

富岡先生は、積極的に「捌き業務」に従事。



日本料理店のチャンさんも


台所には「豚小屋」があり、いかつい大豚がいた。
にらみ付けられると「食われて」しまいそうな迫力がある。



船便の第2弾で原田先生、土井先生がリー君のお父さんの
船頭さんで到着。

日本料理店のこどもたち、大塚さん・富岡先生・古竹先生・土井先生
たちが料理。

リー君の家庭は複雑。父親は、57歳。二人目の奥さんの
家に住んでいる。子どもが二人いる。5歳と2歳。


リー君の父親の家の周りは湖のよう

湖の真ん中に家が1軒建っているような感じである。


「リー君のお父さんの家」と紹介はしたが、実際には、
お父さんの2番目の奥さんの亡くなった夫の家。

家には、リー君の2番目の奥さんの義父、義母、
亡くなった夫の子ども2人とリー君の父親の
子ども2人がいる。土地や家は義父の所有。
平たく言えば、病気で2人の子どもを残して
亡くなった夫の家へ、リー君のお父さんが転がり込んだ
ともいえる。そして、未亡人との間に2人の子どもができた。

75歳の農民だった義父。矍鑠(かくしゃく)としている。
農民の体である。


リー君の兄弟。
二人はリー君の血の繋がった弟と妹。2人は、奥さんの
亡くなった夫の子ども。

リー君とお父さん。リー君はお父さんが大好きだ。


57歳のお父さん。2歳、5歳、小学生2人と4人の
お父さんであり、23歳のリー君と20歳のイン君の
お父さんでもある。なかなか精力的且つ怪しい魅力のある
お父さん。


リー君の弟。あまりにリー君の子どもの頃ににているの
驚く。

私が初めてリー君の会ったのは、16年前。リー君が
6歳の時である。丁度、今の弟(5歳)位の頃だ。
路上を野生の狼のように鋭い目つきをして動き回って
いた。


リー君は子どもが大好き。弟を本当に父親のような
顔で可愛がっていた。

元気だったニワトリさんの最後の姿。捌きたての鶏肉は
美味しい。

私は捌くところを見てしまったので、食欲減退。
もっぱらビールを飲んでいた。

捌いたニワトリやオヒルの血を塩などで固めて茹でた。
私は箸が動かなかった。


おこわ(もち米に豆)。日本のお赤飯の原点。

豚肉の脂の乗っている部分を茹でて、脂を落とした。
美味しい。豚肉の「とろっと」としたところがなんともいえない。


ベトナム事務所の日本人スタッフもご馳走に「舌鼓」を
打っていた。


リー君の弟・妹も一緒に食事をする。

リー君の義理の祖母と異父兄弟。

原田先生。リー君の父親とベトナム語の歌を上手に歌う。
どこで覚えたのか?

土井先生。めったに出来ない体験に驚いたのか?
堪能したのか?  は不明。


リー君のこんな良い笑顔はなかなか見られない。
いつも何かイライラしていることが多い。
やはり父親・弟・妹など肉親と一緒にいる時は
心休まる時なのだ。リー君の23年の人生を考えてしまう。
リー君が幸せな人生を送ってくれることを心から祈っている。

今日のニワトリを捌くところから、全ての料理は日本料理店の
こどもたちが作った。20歳前後のこどもたちが、これだけの
料理を作れることに驚かされる。日本の若者はどうなのか?
勉強はしているのかも知れないが、生きたニワトリを捌き、
これだけの料理を作ることは出来ない。
日本の学校教育は益々「学力」「学力」へと傾斜して行っている。
百マス計算、公文、塾、進学教室は大流行(おおはやり)である。
中卒の日本料理店のこどもたちであるが、
「生きる力」「生活力」は日本のこどもたち・若者を凌駕(りょうが)
している。



こうして家族、来客が車座になって食事をする。家庭の原点を
感じた。



大塚さんからリー君の弟・妹にお土産贈呈



私は引き続きリー君のお父さんとビールを飲んでいたが、
日本料理店のこどもたちは、湖で「舟遊び」をしていた。


リー君の5歳の弟を膝に抱いてビールを飲む。
この弟もリー君の気質を引き継いであるのか、なかなか
ヤンチャである。人の言うことを聞かない。


台所は薪(まき)。料理も美味しいはず。

午後3時過ぎ、閉会。

再び舟に乗って陸に上がり、車でベトナム事務所まで帰る。

私は直ぐに宿舎に帰り眠る。

午後5時過ぎ目覚める。今日は正直「捌き(さばき)行為」
を目撃してしまったので食欲なし。飲欲のみあり。
ほとんど食事をしないでビールだけ飲んでいた。
かなり酔った。


午後7時過ぎから火炎樹日記を書く。

日本の支援者に何通かメールを送信。

投稿者 koyama : 2010年10月24日 20:59

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