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2010年10月23日
ベトナム事務所員会議:「子どもの家」退所式
快晴 気温高し
午前5時起床。
読書「中原の虹(2)」(浅田次郎著)
軽く柔軟体操。
午前7時朝食。チャオ・バイン・カイン(小麦粉の煮込みうどん)
美味しい。唐辛子をたくさん入れて食べる。
午前8時半、ベトナム事務所員会議。
1ヶ月振りのベトナム事務所員会議である。
11人のベトナム事務所員皆さんが元気であることに感謝。
始めにバオミン運営委員長から挨拶。
「1週間ほど日本へ行っていた。「フェリシモ」の仕事の打ち合わせ、
フエ市人民委員会スタッフとして「第12回世界歴史都市連盟総会」
に出席。フエ市が2012年の第13回総会主催都市になることに
決定した、そのために頑張った・・・」などの報告あり。
(ソン)古竹先生のビザ延長の手続き
ツアー案内の練習。ナムドン、列車の件、枯葉剤のこと
などを原田先生の指導を受けて、お客さんに説明できる
よう日本語の勉強をした。
(原田)フエ高等師範大学の作文指導(ひらがな、カタカナ・・)
テストの採点。一人一人出来るだけ丁寧に採点した。
フエの風土病のような湿疹になった。抵抗力が
落ちた時、気候の急激な変化が加わるとなるという。
治療し完治した。
(富岡) 日本語学校の教育
フエ高等師範大学の教育(今週から一人で授業をした)
(フーン)特進クラス、初級クラス、フエ高等師範大学
フオン先生と授業を交換し、お互い授業を見て批評を
し合った。
(古竹)フエ高等師範大学(2年生・3年生の授業)作文。
字の間違い(ひらがな、カタカナ)が多かった。
フエ高等師範大学日本語学科の新任ベトナム人教師の
授業を観た。
(フオン)日本語学校の特進クラス、中級
(土井)日本語学校の特進クラス フエ高等師範大学2年生の
会話の授業。フエでの生活、日本語教師の仕事に
慣れてきた。
(ハン)こどもたちの手紙の翻訳
月給支給の準備
(アン)「フェリシモ」の仕事
日本語の勉強をした。
(ミン)12月にはいくつかのスタディーツアーが来る。
全教、JASS静岡の会、内田さん、地球の歩き方ミニツアー
大学生協・・・・・
現在、日程の調整をしている。
昨日、地域の警察がベトナム事務所に来た。
以下、フエ警察からJASSへの情報提供。
・10月20日(水)午後8時頃、シクロに男女の外国人
が乗った。無料で町を案内すると言って乗せた。
町を一回りし、2人の外国人は無料では申し訳ないと
思い、サイフを出して適当なお礼を支払おうとしたら
シクロはサイフ(200ドル程在中)を奪い逃走。現在捜査中。
・バイクタクシーに外国人が乗った。フエ郊外の
飲み屋に連れて行かれ、ビールを2~3本飲んだら
100ドル請求され、怖いので支払った。
(以下、私のコメント)
最近、上記のようなシクロ、オートバイタクシーの
犯罪がフエで多発している。JASSが被害にあわない
ように情報を提供したいとのこと。
警察がわざわざこの種の情報を知らせてくれるのは
有難いことである。
日本人の個人訪問者がよくベトナム事務所に来る。
彼らの多くはこの種の犯罪については、全く無知で
あり、警戒心もない。私はかなり個人訪問者に
この種の事件があるので注意するようにいうのだが、
ほとんどの若者訪問者は、「小山さんは大げさ」
「ベトナム人は、笑顔で目が澄んでいる」などと
のどかなことを言って、私の注意を聞かない人が
多い。若い女性がオートバイタクシーに乗り、
フエの郊外に連れて行かれ、被害にあった実例も
知っている。
経済成長と「豊かさ」は同時に『目の澄んだベトナム人』
をも犯罪に駆り立てる。
ベトナム事務所員会議終了後、長野県小諸市の
ソバ打ちのAさんがベトナム事務所へ来訪。
今年、富岡先生のお父さんと一緒にフエ高等師範大学などで
「ソバ打ち」の指揮をしてくれた。
同時並行で日本語教師会議。
JASS函館の会員でフエ大に交換留学生で来ているBさん
も出席。日本語学校で日本語教育を手伝ってくれている。
私は直ぐにバオミンさんと一緒に「子どもの家」へ行こうとしたら
リー君がベトナム事務所前にいた。まだ午前10時過ぎだ。
日本料理店の勤務は午後2時半開始なのに。
リー君の世界はベトナム事務所と日本料理店だけのようだ。
仕事があってもなくても、いつもベトナム事務所の近くに
いる。
私が3週間日本に行っている間に「寅さん」のように
リー君の何度目かの恋愛もはかなく終わっていた。
が、リー君は全く失恋にめげず、新たな恋に挑戦している。
闘争心旺盛な若者である。23歳になった。
「子どもの家」到着。
日本でバオミンさんが里親のNさんから預かった里子の
ターオさんへのお土産を渡す。
セン「子どもの家」運営委員長、ロック寮長、私、バオミンさん
が参加し、THANH(タイン)さん(19歳)の退所式を行う。
タインさんは10年間「子どもの家」に在籍した。
なかなか複雑な家庭事情があった。
父親は二人の奥さんがいた。最初の奥さんの子どもが
今日、THANHさんの身元引受人となってる人。
二人目の奥さんの子どもがTHANHさんである。
姉妹ではあるが、年齢は親子ほども違う。
THANHさんを産んだ若いお母さんは、出産がうまく行かず
THANHさんを産む際に死亡。その後、父親も死亡。
THANHさんは両親がいなく、2番目の奥さんの子ども
3人兄弟で10年前に「子どもの家」に入所した。
既に上の二人は退所し、自立して生活している。
THANHさんは今年高校を卒業し、大学受験したが失敗。
ホーチミン市より更に南にある「ブンタオ」に伯父さんがいる。
小さな縫製工場をしている。この伯父さんがTHANHさんを
引き受け、会計学校へ2年行かせ、その後縫製工場の
会計とするので引き取るとのこと。
どうみても親子に見えるTHANHさん姉妹。
THANHさんは、叔母さんと言っているが・・・・
(セン運営委員長)
THANHさんの家族から退所させたいとの手紙をもらった。
今日は親戚の代表(お姉さん)も参加し、退所式を行う。
10年間「子どもの家」で過ごした。高校も卒業し、大学受験も
した。JASSや「子どもの家」の先生にお世話になったことを
忘れないように。これからは、自分の力で生きていくように
頑張って欲しい。THANHさんは「わがまま」な性格のところが
あるので、直しなさい。
THANHさんの幸せな人生を祈っている。
(小山)THNAHさんは、退所することに同意しているの?
(THANH)私もブンタオに行って、会計学校で勉強し、
経理の仕事をしたと想っている。
THANHさんがお礼と退所の挨拶をする。
JASSや「子どもの家」の先生方のお世話で10年間「子どもの家」
で生活させてもらった。高校も卒業させてもらい感謝している。
これからは、ブンタオの叔父さんの家で生活し、会計の勉強を
し、頑張って生きて行きたい。ありがとうございます。
(お姉さん)
家族・親戚を代表してお礼を言いたい。3人のこどもたちを
「子どもの家」で面倒見てもらい感謝している。
私が3人のこどもたちを「子どもの家」に連れてきた時には
3人ともまだ小さなこどもだった。高校にも入れてもらい
感謝している。里親の方にも宜しくお伝えください。
10年間の「子どもの家」での生活は長い。新しい生活や環境に
慣れるまでは大変こともあろうかと思うが「頑張って」としか
言いようがない。こうして一人また一人と長い付き合いの
こどもたちが自立していく。
私たちのフエでの取り組みは、こどもたちがきちんと自立するまで
根気良く、時間をかけてこどもたちと付き合うことである。
THANHさんの幸せな人生を祈りたい。
9月21日、自宅を訪問し入所希望の確認、家庭環境の調査など
した兄妹がすっかり「子どもの家」にも慣れて生活していた。
こどもたちの生活適応能力の速さを実感した。
以下、9月21日農村の家庭訪問をした際の「兄妹」は
少しビクビクした感じがあった。
入所して1ヶ月ほどの二人は明るく元気だった。
「子どもの家」のチュン君は8年生(日本の中2)になった。
午前11時半昼食。「春雨麺」
午後12時半から1時間半昼寝。
読書「中原の虹(Ⅱ)」(浅田次郎著)
メールの受信・送信。
午後5時過ぎ、日本料理店へ。
こどもたち・日本語教師・大塚さんと夕食。
来客多し。
午後9時半、閉店。
宿舎徒歩帰宅午後9時50分。
投稿者 koyama : 2010年10月23日 17:25