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2010年04月27日

日本料理店新メニュー作り:静大ニフィー受験生親子面談

昨日午後2時から今朝7時まで17時間の停電。

午前中、5月帰国の準備。ハノイから来客との懇談の日程調整。
長野県小諸市訪問・ベトナム事務所で預かる予定の若者との
面談。浜松の静岡大学工学部訪問。ニフィー留学の打ち合わせ。
清水ロータリークラブ懇談(静岡市清水区)。
帯広で日本料理研修中のTUOIさんを迎えに行く。東京で4日間
TUOIさんの東京見物。フエまでつれて帰る。
こんな日程の調整と計画。JASS日本代表委員長の福田もえ子
さんが、細かく計画を立て、TUOIさんの東京見物の付添い人など
諸計画を立ててくれた。JASS東京の会の皆さんが率先して
GW中にも拘らずTUOIさんの東京見物の付添い人を買って出て
くれた。この精神こそボランティア精神。皆さんに感謝。

午後2時、日本料理店の新メニューを作るための写真撮影。
大塚さん・原田先生と。


午後3時、静岡大学工学部入学希望の親子を呼んで
入学試験の件、入学後の生活条件など細かい説明を
行う。6月中旬が入学試験。フエで行う。


その後、原田先生、フーン先生と静大ニフィー入学試験
の願書の細かい打ち合わせを行う。5月10日が入学願書
〆切。それまでに間に合うようかなり多数の書類を準備しなければ
ならない。



午後5時半。日本料理店新メニュー写真撮影のために
作った日本料理試作品をみんなで夕飯とする。


送信者 10-4月27日

欧米系の来客多し。厨房は大忙し。


送信者 10-4月27日

送信者 10-4月27日

リー君。4月20日の給料日から7日間。既に給料を全額使って
しまう。内緒(と本人だけが思っている)入質していた自転車の
請け出し。賭けトランプでの出費。無計画な飲食。
そして、再度の自転車入質。

今夜は「床屋に行くので床屋代をちょうだい」と紙に書いて
こっそりと持ってくる。
給料日をたった7日間しかたっていないのに月給を全額使って
しまうという無計画な日常生活。4月20日、給料を渡す際、
私とバオミンさんで30分も時間をかけてまさに「その話」を
したのだが、全く頭に入っていない。自分のやりたい放題の
生活を今でも続けている。基本的に「その日暮らし」の生活。
好きなだけお金を使い、なくなったら「誰かに借りて踏み倒す」か
「誰かにもらう」。路上生活の頃と基本的には変わっていない
行き当たりばったりの生活である。23歳になった。もうこんな
路上生活の延長のような生活に区切りをつけて、大人になって
欲しいと願い、私、バオミンさん、大塚さんは、「おこり」「励まし」
と色々努力しているのだが、幼児の頃から身についた生活習慣
はそう簡単には、直らない。
国際支援・国際協力などと声高に言う人もあるが、私など
そんな大きなことは出来ない。リー君とは17年間付き合っている。
やっと真面目に日本料理店で仕事をするようになった。
悪い仲間とのつながりも以前よりは減って来たが、依然として
路上生活の精神構造を保持している。たった一人の若者で
あるリー君との「闘い」にその日1日を費やしている国際協力の
現状である。「人を育てる国際協力」などというテーマに入り込むと
こうした「泥沼」に入ってしまうのだ。もっと、きれいに「見栄えの良い」
国際支援・国際協力の仕方もあるのだろうが、JASSはどうしても
こんな国際協力の仕方になってしまう。

現在の国際支援・国際協力の「主流」は、「計画主義・数値主義・
結果主義」である。
この考え方は、アメリカの「企業経営」の中から生まれてきた
手法である。現在、日本の学校教育の現場に持ち込まれ
混乱をもたらしている。

およそ人間を育てるという至って精神的且つ微妙な仕事を
物を製造するように「計画を立て」「いつまでに自立させるか」
「1年目の成果を数字であらわす」。そして、結果として目に
見える成果がないと「ダメなNGO」との烙印がおされるという
およそ「人間」にかかわる人たちの発想ではない。

JICAもボランティア貯金もODAも大手のNGOもこの種の
「人間不在」の思想におかされている。

私たちの行っているリー君との17年の付き合いは
これらの人々の考えでいうと成果の上がらない」
「効率の悪い」海外支援となるのである。
私は敢えて海外協力・海外支援は「目に見えるような成果の
上がらない」「結果がすぐに見えない」ような国際支援
をしたいと念願しているのである。

人間をそだてるという行為は、すぐに結果の出るもの
ではない。10年、20年してなにかが現れるような
忍耐のいる仕事である。
今の日本のNGO国際支援の世界を席巻している
「成果主義」「結果主義」「数値主義」には、辟易している。

今回のボランティア貯金完了報告書もまさに上記の
精神を基調にして、その報告が求められている。

ODA、JICA,ボランティア貯金などの中心に
いる人々の誤った国際支援論に一番欠けていることは、
「人間」「生きた生身の人間の存在」である。

投稿者 koyama : 2010年04月27日 07:30

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