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2010年04月11日
フエ高等師範大学で「ソバ打ち大会」
快晴 気温35度。
湿度も高い。本格的な夏のシーズン到来。
午前7時起床。疲れで7時まで寝る。
午前7時45分「ハイリーホテル」を出てフエ高等師範大学へ。
午前8時から長野県小諸市の「ソバ普及」の会の皆さん
4人と「ソバ打ち」会の準備をする。
ソバを打つ。切る。フエ高等師範大学の学生、日本料理店
のこどもたちも参加する。参加者は150人ほど。
学生の前でソバうちの実演をし、その後、学生や
日本料理店のこどもたちが実際にソバを作って見る。
原田先生は、フエ高等師範大学日本語学科の教え子の
ソバ作りを見守っていた。
1993年から2年間、フエ師範大日本語クラスで教え、
1995年の夏には日本へ連れて行ったフンチャーさん
夫妻がそばうち大会を参観に来た。
フンチャーさんは東京、静岡などへ行った。
現在、フンチャーさんは、フエ外国語大学日本語学科の
主任。今後、JASSと提携してフエ外大日本語学科の
質の向上に努めたいと言っていた。
私も出きる範囲でフンチャーさんに協力するつもりである。
1993年9月1日、私がフエ師範大日本語クラス主任として
赴任した。バオミンさんもその時からの教え子。
バオミンさんは良くフエ師範大の中にあった私の部屋に
遊びに来ていた。その時、いつも姪のナーさん(当時2歳位)
を連れて来ていた。私はいつも抱っこして遊んで上げていた。
今は、フエ高等師範大学日本語学科の1年生になっていた。
久しぶりにナーさんに会う。
ソバが出来上がる
小諸のソバうちの会の皆さんたちが、日本の浴衣を持ってきた。
フエ高等師範大学学長先生と一緒に撮影。
ソバうちが終わり、午前10時からいよいよ開会式。
日本語学科の学生の踊りと歌。
フエ高等師範大学学長先生の挨拶
小諸ソバうちの会の千野さんの挨拶
その後、ソバを茹で参加者全員に振舞われる。
こういう時になるとどこかで「匂いをかぎつけいつの間にか
参加している」リー日本料理店元店長
JASSベトナム運営委員長のバオミンさんと
フエ高等師範大学学長も手打ちソバに舌鼓(したつづみ)を
打つ
「オアシスの会」の大塚さんとリー君
リー君とヒエウさん
日本料理店のこどもたちもソバ打ちの挑戦
グエットさんがソバうちに挑戦
チャンさんもそば切りに挑戦
浴衣を着てポーズを取るグエット・チャンさん
チャン・グエット・ヒエウさん
午後1時、ソバ打ち大会は終了。180食完了。
小諸のソバ打ちの皆さんに心からお礼を申し上げたい。
そば七粉工房代表の佐藤明夫さん、息子のそば七良右エ門
店長の佐藤雄一郎さん、島崎藤村の定宿中棚荘(なかだなそう)
御主人、そして代表の千野久雄さん。
フエ高等師範大学でのそば打ち大会を終え、電動バイクで
帰る途中、リー君がオートバイに乗って帰っていった。
数日前からリー君の「自転車」が行方不明。また、「質屋」に
入れたのではと皆が噂をしている。オートバイは誰のものか?
謎が深まる。
今日はそばを一口食べただけ。食事らしい食事をしていない。
午後2時、ベトナム風ほか弁を買いに行く。
午後5時、フダビールを飲みながら夕食。
井上ひさしさん死去。平和運動に尽力し、「9条の会」
の発足の中心人物。哀悼。こうした自由人で戦争と平和に
ついて忌憚のない意見を言っている人間が減ってきている。
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投稿者 koyama : 2010年04月11日 17:58