« 当面の諸問題の方針を考える:大極さん親子と懇談 | メイン | フエ高等師範大学で「ソバ打ち大会」 »

2010年04月10日

「オアシスの会」船上生活支援活動:長野県小諸市「ソバ打ち」準備

快晴  気温30度を超える

午前4時起床。
読書「ベトナムの歴史ーベトナム中学校歴史教科書」
(今井昭夫監修:明石書店)
780ページに及ぶ大著。ベトナムの中学1年から
4年までの歴史教科書の忠実な翻訳である。


評価は全く書かれていない。客観資料。
ベトナムは国定教科書。1種類の教科書しかない。
つまりこの中学の歴史教科書を全て読むと
ベトナム人の歴史に対する「精神構造」の一端を
うかがい知ることが出きる。
ベトナムの学校教育は小学校5年・中学4年・高校3年・
大学4年制。

歴史は独立した教科となっており、6年7年8年9年と
それぞれの学年で勉強する。

6年生で「古代史」、7年生「中世史」、8年生「近代史と
1945までの現代史」、9年生「現代史」を学ぶ。

日本の歴史教育教科書と比較すると日本はおおよそ
220ページから240ぺージ。ベトナムは4巻で約600ページ
とベトナム政府・共産党が歴史教育に力を入れていることが
分かる。

いざ読み始めたが、何しろ780ページの大著。重たくて
寝ながら読むのが大変である。腕が直ぐに疲れてしまう。

本書の監修者である今井昭夫先生は、愚息の先生でも
あり、昨年「子どもの家」を視察されている。
今井昭夫先生(東京外大ベトナム語学科教授)より献本を
して頂いた本でもある。改めて今井先生に御礼を申し上げたい。

6年生の古代史。今まで何冊かのベトナム歴史関連の本を
読んでいるが、大抵の本は、ベトナム人の起源を中国南部の
人々がハノイ付近に移り住み、徐々に現在の経(キン)族の
祖先になったと書いてあった。
今回、6年生の歴史教科書のベトナムの始まり。古代を
読むと中国という言葉が全く出てこない。ベトナム北部の
ソンビー、ホアビン、バクソンの原始人から始まり、
ベトナム人の祖先は、中国人とは異質な起源を持っている
ことが強調されている。ベトナムの国家の起源を
武王(フンブオン)に求めているが、歴史的な事実は説明
されていない伝説の話が、民族の起源となっている。
最近になり4月23日を「武王の忌日として国家の祝日と
なっている。
その後紀元前後の歴史は、
チュン姉妹の中国の侵略のへ闘いが詳述されている。

6年生の古代史は中国の影響を一切省略ししたか記述せず、
中国の侵略と反中国闘争について詳述している内容と
なっている。
これは、ベトナムと中国の微妙な関係を反映したものである。
どの章でもホーチミンが歴史について語った言葉が記述され
ている。
古代史の歴史の見方の機軸は「生産力の発展」に置かれている。
あわせて、生産関係がどのように変化してきているのかを
6年生の知識状況に合わせて記述している。
基本的にはマルクス・レーニン主義の「史的唯物論」を
子どもでもわかるような形でやさしくしながらも、歴史の
見方の基調としていることが分かる。
古代史の歴史教科書を読んだ範囲ではあるが、
ベトナム政府・共産党の「反中国的な姿勢」と「民族主義的」な
姿勢が強調されているように思いながら読んだ。

午前7時朝食。

午前8時、大塚さんが主宰している「オアシスの会」の
船上生活者など生活困窮者への医療支援の実態を視察する。
今日は大学の同級生の大極さんと息子さんも同行。
大極さんは「ものの木鍼灸治療院」の院長。
子どもの針の会の会長もしている。今日は子どもの針や
鍼灸を施術してくれた。

「オアシスの会」の会の船上生活者や生活困窮者の
医療支援は、5年以上続いている。現在は、ビーザー地区
診療所の医師・看護師の協力を得て行われている。
診察・薬代等一切「無料」での医療支援である。

今日は総計101人の住民の皆さんが診療を受けた。

ビーザー地区は、低湿地地帯にあり、少し雨が降ると
直ぐに水が出てしまう場所である。
現在、ベトナム政府、地元行政は、フォン川などで
生活している5000人とも言われた「船上生活者」を
全て陸に上げる取り組みをしている。既に特別な
船上生活者(観光船経営・・)などを除き、全ての
船上生活者が強制的に陸にあげられている。
行政から指定された土地を買い、陸上での生活を
することになった。これは船上生活者の生活が不衛生な
こと、生活が安定していないこと、売春等の温床になっている
ことなどのためと当局は説明している。

しかし、実際に陸に上げられた船上生活者は、行政の
指定した土地を買い、家を建てなければならない。
そんなお金のある人はそうざらにはいない。行政は
一般の水準よりも安価な土地代にしていることも
事実であり、船上生活者を保護するという姿勢は持っている
ものの、実態に合っていない強制的な行政となっていることも
事実である。

結局、本当に貧しい船上生活者は、土地代が出せない、
借金をして土地を買うも返済ができない。
また、魚とり、砂や砂利を取って生活していた船上生活の
人々ガ強制的に陸に上げられ、仕事がなく、生活が
一層困窮している実態もある。
フエ市内から船上生活者をなくし、不法建築の家を強制撤去して
貧しい人々が消えていった。
町は、ネオンサインと高層住宅、こざっぱりとしたレストランに
溢れ、豊かになったように見える。たくさんの外国人観光客
がこざっぱりし、整備されたフエ市内の観光を楽しんでいる。
良いことではあるが、その影で、市内に不法住宅を建てて
居住していた生活困窮者、船上生活者などがフエの
町から消えた。ドンバ市場の横にあった「貧民窟」も一掃された。
これらの人々は、フエ市内の観光地・観光スポットからは見えない
フエ市郊外の低湿地帯に流れて来ている。

ということで、今回の「オアシスの会」の医療支援は
上記の状況の中でフエ市郊外に流れて来た
生活困窮が居住している一帯での医療支援となっている。


こどもたちはどこに行っても「明るい」。こどもたちの
笑顔に救われる思いがする。


午前8時過ぎから続々と患者が集まり始める。

川沿いの地域には診療所も病院もない。
地域の方が自宅の庭を解放し、そこが臨時の診療所
となっている。

ビーザー地区診療所の医師・看護師3人が土曜の
休日に無料で診療を行ってくれている。
ベトナムにもこうしたボランティア精神のある医師・看護師が
いることに安堵する。金金金に狂奔している社会の中で
薄給である医師が、更に休日に無料でこうした社会活動に
参加してる姿を見ると、ベトナム社会主義の実態はこうした
所にあるのではと思える。

診療する医師


薬担当の看護師


「オアシスの会」のお金で大量の医薬品が用意されている。
医師の診療の後で無料配布される。


どんな貧しい人たちでも毎週1回、全額無料の医療支援が
受けられる。本来社会主義こそ、こうした医療を国家規模で
すべきであるが、残念ながら海外支援団体の「オアシスの会」
の実施。しかし、お金のない、病院へいけない、町の郊外へ
追いやられ、一般の人の目にも見えない状態に置かれて
いる生活困窮者にとっては「救いの神」である。

午前8時半にはたくさんの生活困窮者が「地元」からも
「遠方」からもやってきていた。

女性医師の診療



大極さんが、子どもの針を施術。
こどもたちは気持ちが良いのか、すやすや寝込む
こどもたちもいた。

「オアシスの会」の主宰者である大塚さんは、多くの患者
でごった返す庭で、患者へのアドバイス、診察順番の整理
などをきびきびと行っていた。



大極さんは大人にはお灸を据えていた。
多くの大人は、肉体労働者として建築現場で働いている。
機械の少ないベトナムでは、まだまだ「人力」での建築が
主流である。船上生活から切り離された多くの人々は
結局、フエ社会の経済発展の最低辺の低賃金労働者となり、
フエ社会の「経済発展」を肉体を使って支えているのである。
多くの人々の訴えの声は、「腰が痛い」「腕が痛い」・・・・・。
無理な肉体の酷使からくる疲労の蓄積の結果からくる
傷みである。


診療を受け、薬をもらい満足して帰るおばあさん。



午前10時半過ぎ、全ての診療が終わる。
101人の方々の治療を行う。

その後、「オアシスの会」が長年支援している
知的・身体的障害を持っている現在17歳の
男子の家を訪問。大極さんの針治療を行う。

大塚さんは、面倒を見ている「祖母の妹」に生活上の問題
などを聞き、更なる支援を検討していた。


17歳の男子は、脳性麻痺で生まれたが、両親が事故で
死亡。祖母に育てられていたが、祖母も死亡。
現在は、祖母の妹に育てられているが、祖母の妹も無職の
ため、生活ができない。地元行政から毎月24万ドン(1200円)
をもらい、「オアシスの会」から70万ドン(4500円)の支援を
もらい、何とか生活している現状である。

17歳といわれて男子を見たが、どうみても6歳か7歳にしか
見えなかった。

フエ郊外の川沿いの人目に付かない「あばら家」で
ひっそりと生きている17歳の男子を見て、「オアシスの会」
の支援こそ、本当に支援を求めているところに行き届いている
支援であることを実感した。

日本のJICAの支援で作られたフエ中央病院。日本からの
医師も常駐している。

日本料理店の元店長のリー君がナイフで刺され緊急に
JICA設立のフエ中央病院へ行く。
医師は「お前いくら持っている」と聞く。リー君は「3万ドン(150円)
と答える。医師は抗生物質や可能止めなどのお金の
かかる治療を一切せずにリーを帰してしまう。

翌日その事実を知った私とバオミンさんでリー君を
私たちがやっている障害児医療センターへ連れて行き、
きちんとした治療と手当てを行い、3日間通院させた
経験がある。
JICAの支援は一体なんのため、誰のための支援なの
だろうか?
冷房完備の立派な病院を作ったのは事実である。
しかし、運営費は自立採算性とさせたため
病院側は「金の取れる患者」しか見ないという結果に
なった。日本人の血税できたJICA支援の病院の
実態は、金のないリー君の刺傷は治療されずに
追い返され、金持ちの治療の場と化しているのが
実態である。本末転倒の「国際支援」が横行している。

本当の支援とは、「オアシスの会」の行っている
ような「草の根」の支援であると実感した半日
であった。

通訳のハンさん、大極さん親子とバオミンホテルに
戻る。

大極さんは今日で帰国。最後の挨拶をする。
丁度、ハンさんの旦那さんがハンさんを迎えに
バオミンホテルに来る。
記念撮影。



午前11時半、昼食。

茹でた豚肉に海老の塩辛・唐辛子入りをつける。


アヒルの玉子焼き・野菜入り



野菜スープ


午後12時半から昼寝。停電。
熟睡中の午後1時半頃、長野県小諸市の「ソバ屋」さん
グループから電話。

ハノイから今ホテルに着いた。打ち合わせをしたいとのこと。
眠い目をこすりながら起床。

急いでベトナム事務所へ行く。
途中、大きな交通事故。警察官が出て、たくさんの人だかり。



バオミンさんと一緒に明日日曜日にフエ高等師範大学
で行われる「そば打ち披露の会」の打ち合わせ。
フエ高等師範大学の担当者を交えて、水や火関連の
準備、会場の設営などを行う。



午後5時半、日本料理店で夕食。


夕食は「マカロニスープ」。
こどもたちは大量の唐辛子をぶち込んだ。
真っ赤なスープとなった。

今日も20人近くの来客。全て欧米人。
お寿司やカツカレーなどの注文が多かった。


厨房では、こどもたちや大塚さんが大奮闘。


接客係りのグエットさんも調理を担当する。

寿司B(5巻)



午後7時半頃、原田先生と古竹先生が日本語学校
から帰る。夕食をともにしながら世間話。

午後9時過ぎ、閉店。

長い1日だった。


投稿者 koyama : 2010年04月10日 06:46

コメント