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2009年10月31日
終日寝ている
晴天
今日で3日目。体中がだるい。
お灸を首の後ろに貼る。
終日寝ている。起きる気力なり。
お酒を飲む気が起こらない。私にとって「飲酒は健康の
バロメーター」である。お酒がおいしく飲める時は
それなりに健康。
『「大日本帝国」崩壊ー東アジアの1945年』(加藤聖文著
中央公論新社)
著者加藤氏が1966年生まれとあった。私が最初に教えた
こどもたちとほぼ同年齢。団塊の世代が教えた世代が
アジア太平洋戦争をどうみているのか? 非常に
興味があった。
巻末に大西洋憲章、カイロ宣言、ヤルタ協定、
ポツダム宣言、「終戦の詔勅」、降伏文書
一般命令第1号の原文が載っているのも興味がある。
バオミンさん・税田さんからメール。返信。
2009年10月30日
風邪で終日寝ている
少し熱がでる。
首と背中の間にお灸を貼る。(子ども針の会Dさん寄贈)
朝食、食欲ない。ゆでたジャガイモ・さつまいも少し。
薬を飲むため。
午後1時、「他人丼」が食べたくなり、豚肉と
玉ねぎで他人丼を作る。ぬか漬けと食べる。
自分で作ったのではあるがおいしい。
きちんと食事をし、体力と」免疫力を付けることで
風邪を防ぐ。
体がだるく自然に眠ってしまう。
午後7時、野菜入りの煮込みうどんを食べる。
読書「志ん生の食卓」(美濃部美津子著:アスペクト社)
志ん生の長女である美津子さんが、志ん生の日常の
好物、食事などについて書いたエッセイのような文章。
志ん生が40歳位までは貧乏のどん底だったことは
知られている。詳細は「なめくじ長屋」に詳しい。
戦前の下町(上野・向島・浅草界隈)の庶民の
食事ともいえる。
志ん生の一番の好物は「納豆」。醤油と辛子を付ける。
二番目は豆腐。冷奴か湯豆腐。味噌豆。
全て我が家で父親が好きな食べ物であり
私も一番好きな食べ物。お酒のおつまみにも
納豆と豆腐が一番好き。
安い食べ物を工夫して美味しく食べる技術を知っている。
少し楽になってきた。何度も寝汗をかき、着替えをする。
三遊亭円楽師がなくなる。
1980年代の初めころ、渋谷東横劇場での「東横寄席」
のトリ。私の隣には、渥美清が座って円楽の話を
l聞いていた。落語協会の分裂で筋を通して師匠
円生ととともに落語協会から出て、円楽党を立ち上げる。
関西の米朝が文化勲章をもらい、故柳家小さんが
が人間国宝になる時代である。権力にくっついた
庶民の芸は最終的には「博物館」入りとなる。
能・狂言・歌舞伎のように。落語もその道をを
ひた走っている。
風邪で終日寝込む
昨夜から喉痛、倦怠、鼻水の症状がでる。
今日は一日中寝ている。朝、薬局で風邪薬をもらう。
病院に行くと半日位は病院で拘束され、かえって
体力を消耗する。
風邪薬を買い、温かい「煮込みうどん」を食べ、
体力を付け、後は安静に寝ているだけ。
今日、明日、明後日位は寝ていなければならない。
読書「大正テレビ寄席の芸人たち」(山下武著)読了
昭和39年から43年位までの間、NETテレビ
(日本教育テレビ:現在のテレビ朝日)で放送された
モダンな寄席番組です。
丁度私が中学か高校時代である。
私が「この世界」に引き込まれたのは、まさに
この番組だった。
この番組のディレクターだった山下武氏は
戦前からの売れっ子落語家であり俳優だった
柳家金語楼(山下敬太郎)の息子。
「大正テレビ寄席」のディレクターののち、
作家、大学講師になっている。
異母兄弟の山下敬二郎は、戦後のロカビリー歌手。
この本に出てきた芸人さんは全て覚えている。
ウクレレ漫談の牧伸二(司会)てんぷくトリオ、
トリオザパンチ、ナンセンストリア、漫画トリオ、
チャンバラトリオ、東京コミックショウ(レッドスネーク・・・・・)
コント55号、Wけんじ、春乃チック・タック、
獅子てんや・瀬戸わんや、春乃ピーチク・パーチク、
リーガル天才秀才、木田鶴夫亀夫、青空千夜一夜、
新山ノリロー・トリロー、内海桂子芳江コロンビアトップライト
林家三平、月の家円鏡(現橘家円蔵)、三遊亭小金馬
(現金馬)、三遊亭歌奴(現円歌)、桂米丸、
昔々亭桃太郎(柳家金語楼の弟)、「小島宏之とダイナ
ブラザース、「灘康次とモダンカンカン」「ミュージカルボーイズ」
「人見明とスイングボーイズ」「ぴんぼけトリオ」
「長田あつしとファンキーガイズ(その後の殿様キングス)
「ダ・ドリフターズ」「ドンキーカルテット」「柳家三亀松、
小野栄一、八代英太、南州太郎、桜井長一郎、
片岡鶴八(片岡鶴太郎の師匠)牧野周一(牧伸二の師匠)
宮尾たか志、早野凡平、東京ぼん太、トニー谷
発熱。
2009年10月28日
休日
快晴 こういう日を「小春日和」というのか?
午前10時、自宅を出て2時間ほど散策。
赤塚公園など。2時間。2時間歩くとそれなりに疲れる。
赤塚公園は、老人パワー満開状態。多くのアラシクス・アラセヴン
などの方々が散歩やジョギング。
高島平団地の商店街へ行き、刺身用のサンマ(1匹100円)
を買う。
午後、「第2回かめのり賞」受賞後の活動報告書を書く。
A42枚程度。
写真や新聞記事など必要な資料を付ける。
本分はメールで。写真用は郵送で送る。
ベトナム事務所からのメール受信。
ブライセンベトナム支社入社希望の若者の
履歴書(英文)を熟読する。
バオミンさんにメール。
夕方、サンマの刺身を作る。
二枚におろす。
三枚におろす。
秘訣は包丁をしっかりと「研ぐ」こと。
三枚におろしたら、骨の部分を切り取る。
適当に食べやすく切る。本職の職人のような
切り方はできないが、問題なし。
甘くて「トロッ」としたサンマの刺身。
ねぎと生姜と醤油で食べる。美味しい。
読書「大正テレビ寄席の芸人たち」(山下武著:東京堂出版)
1963年からNETテレビ(日本教育テレビ)今日のテレビ朝日
で放送された大正製薬提供のお笑い番組の裏事情を
書いた本。私が寄席の世界に本格的に興味を持ちだした
のはこの番組から。ウクレレ漫談の牧伸二が司会。
著者の山下武は、落語家の柳家金語桜の息子。
少し寒気がする。はやめに寝る。
2009年10月27日
冷泉家展
快晴
午前10時過ぎ、自宅を出て上野へ。
上野の山から快晴の青空を見る。
上野の山では大道芸人がパフォーマンスを行っていた。
大型バルーンの中に入ってのパフォーマンス
ホームレスを支援するコンサート
たくさんのホームレスの人たちが集まっていた。
上野の山を散策。
昼前、東京都美術館へ。「冷泉家ー王朝の和歌守(うたもり)展」へ。
800年にわたり冷泉家に収蔵されている勅撰集、明月記、
私家集などの原本の展覧会。
冷泉家は藤原道長の系統で藤原定家の子冷泉為相を初代とする。
家名は平安京の冷泉小路に由来するそうだ。
現在の冷泉為人氏は25代目。
冷泉家が編纂した天皇や上皇の指示で作った歌集「勅撰集」。
古今和歌集、後撰和歌集、儀拾遺集、新古今集、千載和歌集、
続古今和歌集・・・・・・・・。
私は「崩したひらがな・漢字』を読む力がない。
ほとんどの展示物は崩した「ひらがな・漢字」。
読めない。
800年前の人々が書いた歌集が多数展示されていたが、
想像以上に小さなメモ帳のような歌集も多い。
冷泉家は勅撰集を編纂する役割を担っている家柄。
結構、多くの歌人、高級貴族などが勅撰集などに
一首でも載せてもらおうと「売り込み」に自分の
歌集を持て来ることが多かったようだ。
全てが筆で几帳面に書かれている。
印刷技術もなかった当時である。手書きで丁寧に
歌を書いていることが分かる。
鎌倉時代に入り、関東武士の間でも和歌が流行って
来る。
時代が下がると歌集に装飾が施される。
また、紙もきれいな紙質のものになってくる。
帰りに崩し字の読み方の本と「古今集と新古今集」
の本を買う。
夕方、帰宅。
ベトナム事務所、静岡大学など関係者にメールを
送る。
「裏切られたベトナム革命(チュン・ニュー・タンの証言)」読了
(友田錫著:中公文庫)
1960年に結成された南ベトナム民族解放戦線、
南ベトナム臨時革命政府法務大臣だったタン氏が
何故、1975年のベトナム戦争終結後にフランスへ亡命した
のか、をサンケイ新聞記者の友田氏が長時間
パリでインタビューした「聞き取り」もの。
民族開放戦線の中核にはベトナム労働党員(現在の共産党員)
がいたことは事実だったが、労働党員を上回る無党派の
愛国主義者が腐敗した南ベトナム政府やアメリカに対する
闘争に参加している。
彼らは南ベトナム社会の上流に位置し、医者・弁護士・
大学教授・大企業の社長・南ベトナム政府の高官・宗教指導者
などであった。
必ずしも共産主義者ではなかったが、愛国主義者ではあった。
アメリカのベトナム侵略に反対するという点で共産主義者と
協同し、アメリカをベトナムから追放する闘いに立ちあがった。
多くの人たちは南ベトナムの高官など、「支配者階級」
の中にいながら、共産主義者と協力し、祖国の独立のために
命をかけて闘った人々である。
1969年からの「パリ和平会議」では、南ベトナム政府・
北ベトナム政府・アメリカ・そして南ベトナム臨時革命政府
の4者会談の南ベトナム臨時革命政府の一員として
パリ会談に参加している。
有名なグエンチ・ビン女史は、南ベトナム臨時革命政府の
外務大臣として参加している。
タン氏の説明では、1975年4月のベトナム全土解放
までは、ベトナム共産党と無党派の人々との間に
意見の相違はなかったと言っている。
1976年の南北統一、全土社会主義化を巡って
南ベトナム民族解放戦線・南ベトナム臨時革命政府
とベトナム共産党(北の人々)との間に意見の違い
が出てきている。
それは、一気に全土を社会主義化するのか、
南ベトナムは無党派や民主主義者も含めた民主主義
国家として、北ベトナム(ベトナム民主共和国)と並立しながら
徐々に統一するという路線の違いであった。
ベトナム共産党自身、1975年の南ベトナム崩壊以前には
しばらく二つの体制が並立すると言っていたのであるが、
戦争に勝利したとたん、「親分風』を吹かせ、南で闘って
来た無党派の人々を無力化するか、追放する方針を取った。
更に一九七五年全土解放後、サイゴンに入ってきた北ベトナム
の人たちの「汚職」『腐敗」『傲慢な態度」に辟易したことも
パリ亡命の一因であったようだ。
タン氏の回顧録インタビューを読むと、今日のベトナムの
諸問題の基礎はこのあたりから出てきたことが分かる。
2009年10月26日
終日、雨
雨(これで4日連続)
昨夜、午前4時まで読書。
「裏切られたベトナム革命」(チュン・ニュー・タン著:中公文庫)
1960年代から75年まで。ベトナム戦争中の話。
南ベトナム臨時革命政府法務大臣のタン氏が、
フランスに亡命したいきさつが書かれている。
23通のメール受信。読んで返事を書くだけで
半日以上かかった。
午後、衆議院本会議。鳩山首相の所信表明演説を
テレビで聞く。
今までの麻生首相などの演説に比べれば、
自分の言葉で話していたように思える。
具体性がないなどの批判もあるようだが、
所信表明演説は基調報告。大枠でどんな
ことをするのかを論じる場。
今日の演説程度でも問題はないと思う。
テレビは酒井のり子の覚せい剤裁判ばかりを
終日報道していた。
覚せい剤が若者など一般市民にも蔓延しだしている
今日である。覚せい剤、麻薬などの犯罪を抑止する
意味でテレビの報道には意味があるが、一日中の
報道にはうんざりする。
午前11時、ブライセン本社と電話会議。
午後、雨の中、西台駅前へ。
99円ショップで味噌を3つ買う。
家へ帰り、味噌漬けを作る。
支援者からおいしい味噌漬けを頂きベトナムで
時々食べている。
今日は3種類の味噌を合わせ、酒と砂糖を
入れて混ぜ合わせた。
生姜の味噌漬けが食べたくて生姜を入れる。
ぬか漬けが美味しくなった。なす、きゅうり、
セロリ、人参、カブ。
ベトナム事務所の税田さんから電話。
ピースインツアーに電話。ベトナム帰国の
航空券を買う。
2009年10月25日
休日
終日曇り。非常に寒い。
昨夜、眠れず、午前5時まで読書。
「黒い手帖ー創価学会・日本占領計画の全記録」302ページ
(矢野絢也著:講談社)読了。
創価学会という組織にあって絶対権力者の池田大作
から「にらまれた」矢野氏。矢野氏は公明党の書記長・委員長
時代「メモ魔」と言われていたほどメモをこまめに取っていた。
約100冊の手帖に詳細な活動メモ・覚書を書いていた。
藤原弘達著の「創価学会を切る」を巡る出版妨害事件、
共産党宮本顕治委員長自宅盗聴事件など数々の
犯罪行為を行ってきた公明党ー創価学会。
それら数々の違法行為に矢野氏はかかわっていた。
100冊の手帖には事細かに当時の「裏の出来事」
が記載されていた。
黒柳明元議員など3人の公明党元幹部が出てきて
100冊の手帖を持っていてしまう。現在裁判中。
矢野氏は、創価学会は「池田教」。最終的には
創価学会を日本の国教にすると断言している。
公明党の最大の任務は「池田名誉会長」が国会に
証人喚問さらないようにすること、そのために
自公連立を組んだことなどを記している。
一読の価値あり。
午前5時就寝。
午前7時頃、電話が鳴ったような気がしたが、
記憶不明。
午前注から午後にかけてベトナム入国ビザ申請書
作製。
受信メール。送信メール。
読書「裏切られたベトナム革命」(チュン・ニュー・タン著)
を読む。
ぬか味噌がおいしくなった。
きゅうり、人参、セロリ、大根がおいしく漬かっている。
また、白菜づけもおいしくなった。
今日行われた静岡県・神奈川県の参議院議員補欠選挙。
民主党の勝利。
民主党が圧勝した総選挙以降の政治状況は大筋良好と
見た。少なくとも麻生自民党時代に比べれば、曲りなりにも
真っ当な政治がおこなわれつつある。大勢的に見れば
政治が前進しているといえる。
この政治の変化を交代させずに、更に国民本位の
政治になるよう、国民的な「監視」が必要である。
本質的に「動揺」する性質を内包している民主党である。
現在進めている社会的弱者を救済していく路線が
きちんと進むよう監視体制が必要である。
同時に私たちも性急にならず、民主党の行動を見守っていく
必要がある。
矢野絢也氏の本を読むと、今後の公明党がどんな
態度と路線にでてくるのかが、注目される。
常に権力にくっついていなければならない使命(池田大作の
厳命)を持っている公明党である。
自民党の再生がかなり難しい現状である。
今後、民主政権に対してどのような態度で臨んでいくのか
注視している。
今回の参議院補選では、自民党を支持しなかった公明党。
既に自民党は小泉改革で自らの足元を掘り崩している。
また、無能な大量の二世・三世議員がいるのでは、
社会と世界の政治情勢の急激な変化に対応できない。
外交一つとっても小泉自民党のように「アメリカ一辺倒」
の外交では世界やアジアから見放されてしまう。
こうした政治状況の中で委員長以下幹部の大半が
落選した公明党。権力にくっついていく中で、公明党の
看板であった「福祉・平和」を自らがかなぐり捨てて
しまった。イラクへの自衛隊の出兵,アフガンでの給油。
後期高齢者制度、100年安心のン絵金・・・・・。
日本の政治も激動期に入ったことは確かである。
野党の存在があり、政権が交代するシステムは
民主政治の基本である。同時に少数政党の活動
と存在と政治活動の権利の保障。
野党のない一党独裁国家の国民の言うに言われぬ
苦悩を毎日のように垣間見ている。
2009年10月24日
巣鴨のお地蔵様へ
曇り
ぬか漬けがほぼ完成。
きゅうりが美味しく漬かっている。
糠の味と更に昆布とにぼしの複雑な味が複合的に
しみこみ、更に発酵したすっぱ味も加わり美味しい。
新たに「人参」「大根」「セロリ」を漬ける。
明日の夜か明後日が食べごろ。
午前9時半、巣鴨のお地蔵様へ。「4」の日が縁日。
久しぶりに巣鴨のお地蔵様の縁日へ。
自宅から徒歩で地下鉄4駅を40分ほど歩き、志村坂上で
地下鉄に乗り、巣鴨へ。
小学校の頃、この縁日にお店を出していたことがあった。
父親と一緒に。あれから50年ちょっと。当時とは大分雰囲気は
変わってはいたが、それでも下町風の縁日の雰囲気は
多少残っていた。子どもの頃は、自宅から歩いてこられた。
今は、お年寄りの原宿といわれるほど、年配者が集まっている。
巣鴨のお地蔵さまは昔と違って、観光コースとなっていた。
旗をもったガイドさんなど、いくつもの観光団体が来ていた。
様変わり。、
お地蔵様は高岩寺の中にある。
水洗い地蔵
たくさんの人が水洗いを待っていた
境内のお線香の煙を浴びると「具合の悪い所」が治るという。
そもそもは、『とげぬき地蔵』。
お賽銭を出し、お祈りする。
午後2時過ぎ、帰宅。
読書「言葉と戦車を見すえて」(加藤周一著)読了。
1945年、1050年代、1960年代、1970年代、1980年代
2000年までの諸論考を掲載。
表題の「言葉と戦車を見据えて」は、1968年、ソ連など
ワルシャワ条約機構軍のチェコ侵略の評論を書いた表題
から取った。
戦前の知識人が何故戦争反対ができなかったのか、
天皇制の廃止、憲法9条の今日的な意義・・・・・。
加藤氏の著書は公平な立場からの論考である。
その原点は、1945年3月の東京大空襲の際、
東大病院と思われる病院で被災者の治療を行った
経験、、原爆投下後の広島へ医療調査団の一員として
調査にあたった経験などに裏打ちされている。
単なる理論ではない。
医師である加藤周一の論考は非常に理論的であり
明快である。知識人という名に値する人間と見た。
博識でありヨーロッパ、アメリカなどに長期間居住しての
体験に裏打ちされている論考には、説得力がある。
15年戦争である「アジア・太平洋戦争」自体が風化している。
「子どもの家」で年間40回ほど講演会をする。ほとんどは
大学生である。
「第2次世界大戦で日本と連合を組んだ国はどこですか?」と
私は必ず質問する。
多くの回答は「アメリカ」と答える。日独伊防共協定も知らない。
そもそも「アジア太平洋戦争」がどのような戦争だったのかも
分からない若者が増えてきている。
加藤周一の知性とそれぞれの時期における論考は大変
勉強になった。
自宅で読書
「黒い手帳」(矢野絢也著:講談社)
元公明党の書記長、委員長。創価学会・公明党からの
攻撃を受けている。隠忍自重の後、現在、池田大作と
裁判を行っている矢野矢野絢也氏。
矢野氏が公明党書記長時代の竹入委員長も
池田大作の逆鱗に触れ、追放されている。
矢野氏の著作は、トーンを抑えた内容であるが、
公明党が創価学会の操り人形であり、国立戒壇を
めざしていると主張している。
2009年2月発行。池袋の「古本市」で買う。
夕方。日本へ帰ってきて見たいテレビがない。
元フォーククルセーダーズの加藤和彦が自殺した。
遺書に「今、本当の音楽が必要とされているのか?(趣旨)」
というような言葉が書かれていたという。
私は音楽の分野のことは知らないが、16年間ベトナムに
住んでいる。たまに帰国しテレビをつけると「見たい番組」が
本当にない。ニュースを見るが、これも必ずしも正確なものでは
ない。端的にいえば、テレビの多くの番組は表面的で実質的な
内容のないものばかり。こんな世界で暮らしていた加藤和彦が、
内容のないこれらの社会で自分のいる位置がないと感じたとしても
けしておかしくはないなどと考えた。
おちゃらけ、お笑い番組が好きな私ですら、うんざりする内容の
ない番組ばかりのテレビ、マスコミの世界である。
真面目な人間と新聞にかかれていた加藤和彦がこれらの世界で
自分の位置がないことを知ることは、想像に難くない。
楽天と日本ハム。夜は中日と読売の野球をみた。
2009年10月23日
運転免許証更新:千代田区スタディーツアー打ち合せ
曇り 肌寒い
午前8時起床。
朝食。先日漬けた「白菜」を食べてみる。
発酵度65%程度。あと数日したら更にすっぱ味が出て
美味しくなる。
本来なら庭で野菜作りなどをしたいのだが、フエと自宅を
行き来している身の上。
白菜づけとぬか漬けくらいしかできないが、これも
人生の楽しみ。
午前11時半、自宅を出て板橋警察署へ。
運転免許の書き換え。
午前11時半に午前中は終わり、午後は1時からとのこと。
午後1時まで警察で読書をして待つ。
待っている間に携帯電話を家へ置いてきたことに気付く。
この15年間ほど、フエでは携帯電話は24時間、身につけて
いる。バオミンさん・税田さん・日本の支援者、家族から
いつでも電話がかかってきても応対できるようにしていた。
長年の習慣とは恐ろしいものである。
ベトナムに来る以前は、携帯電話など持たずに外出いていた。
しかし、今日、携帯電話を忘れて外出したが、何となく不安な
気持ちになった。この10数年の社会の変化に自ら驚いて
いる。
(注)帰宅後、確かに2通の留守電があった。
「言葉と戦車を見すえて」(加藤周一著)
午後1時から運転免許更新受付。以前より随分手続きが
簡素化された。交通安全協会なる怪しげな団体がいなくなった。
司法書士に頼んでの書類提出もない。名前といくつかの事柄を
書くだけで申請受付。
その後、視力の検査。写真撮影。
私は「ゴールド」-5年間無事故無違反である。
この20年間、日本で車を運転したことはない。
その後、免許証ができるまでの間、20分ほど交通事故が
いかに悲惨か、加害者、被害者の悲痛な叫びを記録した
ビデオを見る。
ビデオ終了後、最近快晴された道交通法の特徴の
説明。
約1時間で全てが終わり、今後5年間有効な免許証が
交付される。
板橋警察署から神保町へ。
神保町では10月27日からの「古本まつり」の準備中。
午後3時、千代田区役所で11月25日、千代田区役所で
行われる私の講演会と12月16日からのスタディーツアーの
打ち合せを行う。
千代田区側担当者のEさん、JICAコーディネートのYさん
を中心にスタディーツアー成功のための詳細な打ち合せを
行う。千代田区もYさんもスタディーツアー成功のために
様々な努力をされている。感謝したい。
打ち合せを2時間ほど。午後5時終了。
地下鉄三田線で巣鴨へ。巣鴨駅前の本屋に立ち寄り
7冊の本を買う。
2009年10月22日
通院
晴天 少し寒い
午前8時起床。
昨日、痛飲。
午前9時、自宅を出て新宿NSビルにある心臓病の
病院へ。16日間のバオミンさんたちの案内の中で
常用している薬がなくなってしまっていた。
心電図、レントゲンを撮る。その後、患者が多く
診察まで数時間待つ。
診察。血圧測定、心電図、レントゲン等をチェック。
触診。その後、血液検査のための採血。
薬をもらい全て終了したのは、午後2時近くだった。
支払いは9000円。高いか安いかは何とも言えない。
新宿から池袋へ。池袋古本市へ。欲しい本がたくさんあった。
5冊ほど古本を買う。2000円買うと抽選券がもらえる。
抽選を引くと1000円券が当たる。放送で「只今2等賞が
あたりました」と。
1000円券で更に本を買い合計11冊。日本滞在中、
そして残った本はベトナムで読む予定。
「青年の環」(野間宏著)5巻があった。以前から読みたかった
本だったが、既に古書となり普通の本屋では売っていない。
ベトナムのファンボイチャウ著の「ベトナム亡国史」、
「裏切られたベトナム革命史」など。
読書「言葉と戦車を見すえて」(加藤周一著:筑摩書房)
1946年の「天皇制を論ず」から戦前の文化人が何故
戦争に反対できなかったのか? 日本文化の雑種性、
60年安保と新聞など、その時々の日本論。
編者は小森陽一。米原万理と一緒にプラハの
ソビエト学校で勉強した仲間。良い仕事をしている。
2009年10月21日
ラオス「ラム酒」懇談会
快晴 寒い
午前9時起床。
午前中、昨日の火炎樹日記を書く。
午後、メールの送受信。多数。
午後3時半、自宅を出て渋谷へ。
久しぶりに渋谷「ハチ公前」に来る。
玉電の休憩室がハチ公前に置かれていた。
「ハチ公ファミリー」のモニュメント
1時間ほど渋谷ハチ公前にいたが、あまりの人の多さに
「気分が悪く」なる。人に酔うといういうことか。
人の少ないフエでの生活が長いとこうした繁華街の人・人・人
の流れに慣れない。
今日は高校の同級生のY君、T君、S君(日本料理店グエットさん
里親)がラオスで作っている「ラム酒」について懇談を行う。
第1次懇談会は青山学院大学「経済開発ゼミ」の先生、学生の
皆さん。
午後8時、先生と学生さんとの懇談を終わり、ラオスで
ラム酒作りをしているY君、S君、そして一緒に仕事をしている
Iさん。更に同級生のG君、K君と懇談。ラム酒を作っている
同級生以外の私やG・K君も今年、ラオスのラム酒工場を
参観している。
ラム酒の製造、販売などの話をする。
午後10時過ぎ解散。
還暦を過ぎた同級生が、今でも人生に目標を持ち
ラオスでのラム酒つくりを通して、現地の人々の
雇用促進などの「夢」を持って活動していることに共鳴する。
同年齢の多くの人たちが、夫婦での旅行、テニスサークルなど
個人のための活動に入ってしまっている中で、
ラオスラム酒作りに熱中している彼らは「社会に目を向けている」
所に強い共感を持っている。いくつになっても「社会に目を向け」
社会のために自分のできることをしていく姿勢を持っていたいもの
である。Y君たちのラム酒作りの夢が現実化し、ラオスと日本社会
に貢献する活動の何らかの手伝いをしたいものである。
2009年10月20日
久々の休日
快晴
9月23日以来の休日となる。
午前10時まで寝ている。
ブランチ。
ぬか漬けをかき回す。まだぬかの臭いがし、発酵していない。
あと5日位すると食べられるようになると思う。
外は青空。久しぶりに散歩。
ぶらぶらと「赤塚公園」「東京大仏」を散策。
自宅から徒歩20分で赤塚公園。
秋の赤塚公園はまだ紅葉にはならず緑一杯。空気もさわやまな「気が」した。
実際はすぐ隣りに高速道路があるのだが・・・・・・。
更に散策を続け、東京大仏へ。東京大仏は奈良の大仏、鎌倉の大仏
に次ぐ日本で3つ目に大きな大仏なのだぞうだ。
赤塚公園から更に徒歩20分ほどで赤塚山乗蓮寺へ。
徳川吉宗の鷹狩りの際の休憩所だったそうだ。三つ葉葵の紋あり。
山門
帰宅途中、高島平団地内の商店街で白菜を買う。半分で80円。
結局、自宅を出て2時間半ほどの散策となる。
久しぶりに歩く。満足。
家へ帰り、白菜浸けを作る。1枚1枚の葉を洗い、薄塩と
鷹の爪、昆布をいれ、ペットボトルに水を入れ、砥石を包み
重しとする。
受信メールを読む送信。
関係者に手紙を書く。
午後5時、ベトナム事務所のバオミンさん・税田さんと
SKYPEで話し合う。
訪日する人のビザ取得問題
GOD viSIONS訪フエの準備について
千代田区スタディーツアーについて
ブライセン支店運営について
ベトナム事務所・日本料理店の近況について
約30分ほどバオミンさん・税田さんと意思統一をする。
イン君の生活態度に大きな問題がある。
10月2日、中秋祭りの夜、午前1時頃からシクロの運転手
などど路上で飲み始め、午前2時頃、喧嘩となった。
インが年上のシクロ運転手に「暴言」をはいたことも原因で
シクロ運転手が激怒。近くの家へ行きナイフを持ち出し、
インを切りつけ、インがナイフをよけたため左手に大けが。
一緒に飲んでいた兄のリーは、弟が「やられて」いるのを見て
加勢。シクロ運転手の顔に石を投げつける。
そのまま、インは病院へ行き、22針縫う。
怪我の治療費は支払えず、税田さん・バオミンさんの応援で
何とか手当を行う。
バオミンさん・税田さんに呼ばれ、インは原因を聞かれる。
同時にシクロ運転手との深夜の喧嘩を近所の人が警察に
通報。インは警察の呼び出しを受け、調書を取られる。
実際には喧嘩のいきさつをインが書き警察へ持って行き、
事情徴収を受ける。
バオミンさん・税田さんは、日本料理店への当面出勤停止
処分とし、「自宅謹慎」を申し渡す。
インはすでに何度も警察に捕まっている。現在、事実上の
「執行猶予」状態。
自宅謹慎を申し渡しているにもかかわらず、町中を動き回って
いる。
今日のバオミンさん・税田さんとのSKYPE会議で
以下の行状が判明。
過去何度もイン君に自転車を貸したり買ってあげたり
していたが、そのたびに質屋に入れて流してしまったり、
友達や専門業者に売ってしまい金に換え、飲酒・遊興費
に使っていた。
今回もイン君は自転車を売ってしまい自転車がなかった。
何度か私のところに来て「余っている自転車を貸してほしい」
と言っていた。しばらくは、「売却の前科」があるので私は
自転車を貸すことはしなかったが、何度も言われ、「ハイリーホテル」
に置いてある使わない自転車をイン君に貸してあげた。
今日のSPKYPE会議で明らかになったことは、イン君は
私が9月末に貸した自転車を再度質屋に入れて金に換え
謹慎中にも関わらず、遊興費に使い、遊んでいた。
バオミンさん・税田さんがインを呼び出し、謹慎中に
遊び歩くことの問題、JASSから借りた自転車を
勝手に質屋に入れて、遊興費に使うことなど許されざることだ
と注意。インは、何だかんだ言い訳をしていたそうだが、
3日以内に質に入れた自転車を持ってくるといったそうだ。
しかし、今日、ベトナム事務所に来て、お金を貸してほしい
とのこと。バオミンさんが「3日以内必ず自転車を返す」と
言ったのは何だったのか? と詰問。
インは「自転車は小山先生にもらったもの」と言ったそうだ。
口から出まかせの男である。
当初、バオミンさん、税田さん私と「インが自転車を持ってきたら
出勤停止を解除し、日本料理店での仕事を開始させよう」
と意思統一していた。しかし、インは口ばかりで誠意を
持って自己を見つめなおすような行動を取らない。その場限りの
嘘八百を繰り返す。すでに20歳。飲んで喧嘩し、22針縫った
際の費用もJASSからもらっている。(借りている)
あちらこちらからお金をかりて、「贅沢な生活」をしているイン君。
兄のリー君は23歳。弟の放蕩な生活からは、一線を画し、
日本料理店で地道に働いている。
誰彼かまわず「嘘を言って金を借り」、一度に友達を誘い
豪遊しているイン君が「身の丈に合った生活」をするように
なることを願っている。いつまで、「馬鹿な夢」を見ているのか?
兄のリー君は既にその世界を卒業している。
バオミンさん・税田さんはイン君の行状に頭を痛めている。
2009年10月19日
16日ぶりに自宅へ帰る
晴天 京都
午前6時起床
午前10時、京都駅前のホテルをチェックアウト。
京都駅構内でうどんの朝食。
午前11時、東京のブライセン本社と電話会議。
藤木社長以下担当部署の方々とブライセンベトナム支社
運営について協議。
午後12時過ぎの新幹線で東京へ。
夕方前に自宅へ着く。
長いツアーであった。
今回は大きな山が二つあった。
①9月23日からハノイの日本人講演会と
それに続く静大留学生を引率しての訪日。
9月28日の静大入学手続きまでの6日間。
②10月4日から10月19日までバオミンさんや
ニエンフエ市人民員会外務部長を案内しての16日間
①と②の間の数日間はダウンし家で寝ていた。
9月23日フエを出てから今日までの1ヵ月弱の間、
多くの人と出会い、様々な体験をしてきた。
この間お世話になった皆さんに改めてお礼を言いたい。
今回の2つのツアーでの成果は
①フエの高校生を静大工学部へ留学させる「ニフィー
プログラム」が功したこと。全国の国立大学法人では
唯一の「10月留学」であった。今後、毎年3人の
「ニフィープログラムの特別入学」と「ニフィープログラム
の一般入学」の道を切り開くことができた。
②フエ市人民員会の一員として、バオミンJASSベトナム
運営委員長とともに「世界歴史都市連盟2012年総会」
立候補活動に協力できたこと。フエ市人民員会外務部長
のニエン氏との協力・共同が一層強まったこと。
③「京滋YOUの会」の講演会が成功し、「京滋YOUの会」の
のみなさん方は当日参加の新しい方々との新たな親交が
できたこと
④私とバオミンさん、大塚さんがいないベトナム事務所
や日本料理店を税田さんが一人で切り盛りしたこと。
今後のベトナム事務所の自立に向けて大きな出来事で
あった。
ーー
個人的な最大の成果は、日本の2大「弥勒菩薩」を
ゆっくりと参観できたことである。京都広隆寺と奈良中宮寺
の弥勒菩薩だけをみるという「贅沢な」参観ができたことは
素晴らしい思い出となった。
広隆寺も中宮寺も聖徳太子関係の寺である。
広隆寺は603年にできている。改めて考えてみると当時の
支配階級は6世紀の中葉、日本に仏教が伝わり、
外来の宗教である仏教を取り入れた。その進取の気質に驚く。
海の物とも山のものとも分からない外国の宗教を取り入れ
更に普及した聖徳太子とそれを支えた朝鮮からの渡来人の
頭脳と革新的な気質に改めて感心した。
今日の日本人と比べると、今日の方が外国に対して
閉鎖的、懐疑的である。特にアジア諸国に対しての
日本の保守的態度は聖徳太子時代と比べるとはるかに
保守的である。
夕方前自宅に着く。急に「ぬか漬け」を作りたくなり
近くのお米屋さんに行き「ぬか」を買う。
丁度精米中で上質の米ぬかを買う。
ぬかに塩水とにぼし、こぶなどを入れる。
最後に「捨て野菜」(ニンジンや大根、キュウリのくず)
を入れ保存。毎日数回かきまわし、1週間程度で
美味しい野菜のぬか漬けが食べられる。
2009年10月18日
京都府長岡京市での講演会
晴天
朝起きたら体中に赤い発疹様のものができていた。
体中かゆい。
午後1時、「京滋YOUの会」のAさんが
投宿しているホテルへ迎えに来てくれる。感謝。
京都駅から長岡京駅、長岡市立総合交流センターまで
案内してもらう。
「京滋YOUの会」のF事務局長と京都から案内してくれた
Aさんと昼食。
午後3時半から午後5時半まで「長岡京市協同交流センター」
で講演会。
35人もの方々にお越し頂く。
ビデオを使い「子どもの家」の設立時の経過、その後の
諸問題、現在の到達点などを話す。
3本のビデオのうち1本の調子が悪い使えなかったのが
残念。現在の「子どもの家」・ベトナム事務所等の諸活動
を私が撮影したビデオだった。参加者に申し訳なく思う。
午後5x時半終了。終了後、二人の夫婦のような方が
やってくる。「私たち 分かる?」と聞かれたが、記憶にない。
「東京学芸大学で一緒に活動したTとSだ。現在は結婚し
長岡京市の小学校教師を勤め今年退職した」とのこと。
名前を聞いて40数年前を思い出す。1997年・98年・
99年・1979年時代,、我が夫婦と一緒に学生運動を
行った仲間。
40数年たって年を重ねてはいるが、当時の面影があり
記憶が蘇る。懐かしい。そして、40数年後に会えるという
人間の縁を改めて感じる。元気に退職後の人生を送っている
様子を聞き、私もうれしく思う。旦那のSさんは、
「京滋YOUの会」の事務局長Fさんのお子さんの担任
だったとのこと。人間の縁の不思議さを思う。
午後5時半の講演会終了後、「京滋YOUの会」のみなさん、
講演会にお越し頂いた方がと交流会
日本料理店で1年間指導してくれたNさんも参加
私と同年輩のみなさん。トンボの玩具をフエに依頼してくれている
方も参加
地球の歩き方スタディーツアー参加の方も
新しい参加者も
私と同年齢の近江八幡から来られた歌声喫茶運動をしている方
フエ・「子どもの家」に何度も来ているMさん
交流会は午後9時半位まで続く
交流会終了後、「京滋YOUの会」のFさんが、京都まで道案内
をしてくれる。京都の方と一緒に電車で京都へ帰る。
ホテルまで付き合ってくれた「京滋YOUの会」のみなさんに
感謝。
午後10時ホテルの部屋へ戻る。
今日は多くの方々と出会い、新しいエネルギーをもらった。
人の一生とはこうして色々な人々と出会い交流していく過程でも
あるよな気がした。今日は、私にとっては貴重なそして意味の
大きな1日であった。
40数年ぶりの大学時代の仲間との出会いも私には衝撃的な
瞬間であった。
2009年10月17日
弥勒菩薩探訪(京都広隆寺・奈良中宮寺)
晴天
午前7時起床。京都のホテルにて。
今日は1日休暇。疲れが溜まっているので休暇と考えていた。
午前10時まで寝ていた。
急に「弥勒菩薩」を見たくなる。
急いで準備をし、京都駅付近の「松屋」で牛丼の朝食。
ホテルのフロントで広隆寺への行き方を聞く。
地下鉄などだと3つか4つの乗り換えが必要とのこと。
駅前の京都バスで太秦まで行った方が良いとの
助言をもらう。
バスで1時間ほど。太秦映画村の近くに広隆寺はあった。
バス乗車のお客は全員太秦映画村へ。
広隆寺に行ったのは私だけ。
広隆寺も少しずつ紅葉が始っていた。
広隆寺は、聖徳太子によって603年に建立された。
聖徳太子建立の日本7大寺の一つ。
広隆寺本堂(上宮王院太子殿)
広隆寺の弥勒菩薩は木造。戦後、大学生が小指を折るという
事件があった。
以下、700円で買った冊子より(広隆寺 弥勒菩薩)
帰りは嵐山電鉄の路上電車と地下鉄を乗り継ぎ京都駅へ。
近鉄線京都駅から特急で「大和西大寺駅」へ。
更に鈍行で筒井駅へ。筒井駅で1時間ほど待ち、
バスで奈良の法隆寺へ行く。目的は、法隆寺の隣の
「中宮寺」の弥勒菩薩参観。
バスで「中宮寺前」で降りたのだが、何も表示ら
道順などの標識がない。
しかたなく適当に町を歩く。法隆寺という地名がある。
30分ほど彷徨し、やっと法隆寺に着く。
団体旅行、修学旅行の参観者が多数来訪していた。
法隆寺南大門
法隆寺の南大門から徒歩10分ほどの所に中宮寺がある。
中宮寺は、元々は聖徳太子の住居である斑鳩宮を中心に
西に法隆寺、東に中宮寺を配置した。これは、聖徳太子の
母親の発願による。建築当初から法隆寺が僧寺、
中宮寺は尼寺として建てられた。
中宮寺の弥勒菩薩は、1968年に建立された「新本堂」に
安置されている。
以下、1枚100円で買った写真より
今日は駆け足で2体の弥勒菩薩を見た。
それぞれに特徴がある。
広隆寺弥勒菩薩は見る位置によって感じが大分違っていた。
かるく微笑んでいるような口元の感じが見る位置によって
違うのかも知れない。
中宮寺弥勒菩薩は、一見すると今でも街を歩いている
ような女性の顔に見える。しかし、時間をかけてよく見ると
なかなか奥深い魅力が見えてくるような気がする。
二つの弥勒菩薩は20代、30代、50代と今回60代になって
と何度か見ている。
年代を重ねるごとに感じるものが違ってきた。
それぞれ30分ほど参観したが、人間の手で作る人間の
顔と体の究極の「人造物」に思えた。これ以上、人間の
心の中を「物」にあらわすことはできないと思えるほどに
二つの仏像を見ていると人間の心に奥に訴えるものが
ある。究極的には人間の暖かさというものかも知れない。
現在の言葉でいえば「究極の癒し」とも言える。
ボーっと見ているだけで何か心安らぐ。仏像とは
不思議なものである。こうした仏像を造った当時の
人たちの純粋な心が伝わってくるような気がする。
2009年10月16日
ニエン外務部長、バオミンさんを関空まで見送り
京都は快晴
午前6時起床。
午前7時過ぎ、京都駅前のホテルを出てJR「はるか」
で関空へ。
ホテルを出て京都駅へ向かうニエン氏・バオミンさん
午前7時50分京都駅発の「はるか」で関西空港へ。
午前9時40分、関空着。その足でベトナム航空チェックイン
カウンターでチェックインの手続き。お客はほとんどいなかった。
午前9時50分、関西空港からホーチミン市へ。
関空入管チェック入り口にて
午前10時から午前11時まで関西空港に待機。
ホーチミン行きの飛行機は午前11時発。
飛行機が間違いなく出発したことを確認し、
関空を出る。
関空の地下レストランで簡単な朝食。
再び、「はるか」で京都へ。京都着2時ころ。
ホテルで今までたまっていたメールを読む。
ボランティア貯金からの質問状に回答を書く。
そのためフエの税田さんに電話、。資料を送ってもらう。
ボランティア貯金への回答メールを送る。
A区主催の海外スタディーツアー関連の日本の大手の
K旅行会社からベトナム事務所へ質問あり。
私がK旅行会社に電話。担当者がいなかったので
携帯電話を教えてほしいと社員に言う。
社員は携帯電話は個人のプライバシー保護のため
教えられないとのこと。代わりに「あなたの携帯電話の
番号を教えてほしい。担当者から電話させる」とのこと。
このK観光会社からベトナム事務所に質問があったので
私のほうから電話をしたのだが。
不思議な会社である。世間では大手観光会社となっている
が。自分の携帯電話はプライバシー保護のために
教えられないが、相手の携帯電話は教えろという。
自分のプライバシー保護を主張するのなら「相手のプライバシー
の保護」にも留意するのは当然なのだが。
電話にでたK観光会社の社員にその矛盾を聞くと
「会社の決まりですから」とのこと。会社が大きくなると
こうした社会の常識すらわからない社員が育ってしまうのだ
ろうか? 「自分が嫌なら、相手も嫌だろう」という当たり前の
常識が分からないのである。
私が電話をしないとK観光会社はベトナム事務所へ国際電話を
するしかないのだが・・。K観光会社のために私からわざわざ
電話をしたのに、そうした相手の善意を理解できない大手観光
会社の社員である。
K観光会社の方から「急ぐので連絡を」と言っておきながらの
こういう対応は納得できないが、この種の出来事は
K観光会社だけではない。最近の社会の「規範」が相当
緩んできていること・常識が常識ではなくなってきていることを
強く感じる。一言でいえば、「相手の気持ち」など「相手」のことを
推測・想像できない『自己中心社会』になってきているように
思われる。大人が警告を発しないと、こうした社会が常態化
するように思われる。
2009年10月15日
奈良から京都へ
晴天
午前8時、奈良のホテルで朝食。
昨日のプレゼンテーションが終わりニエン外務部長も
バオミンさんもホッとしての朝食。
午前10時、JR奈良駅から近鉄奈良駅まで歩く。
近鉄特急で奈良から京都へ。
午前11時過ぎ、近鉄京都へ帰着。
駅には「京滋YOUの会」の藤井さんが待っていてくれた。
藤井さんの案内で京都視察。
第1の視察場所は「清水寺」。
丁度今は、観光のONシーズン。一般の観光客と
小中高校生の修学旅行で清水寺は大賑わい。
清水寺境内にて
清水の舞台をバックに記念写真
(以下2枚は小山作製の合成写真)
「音羽の滝」で口を漱ぐ
清水寺の参道で昼食
その後、私の希望で天竜寺の庭見学
新婚旅行で天竜寺の庭を見てすっかり魅せられてしまった。
既に天竜寺・嵐山付近は少しではあるが「紅葉」が始まって
いた。
天竜寺から歩いて夕方の渡月橋へ
午後6時半、京都へ。「京滋YOUの会」の有志と懇談会。
「酔心」と書かれた店の1階下の地下の居酒屋へ。
久しぶりに、1年間日本料理店の支援でフエに滞在してくれた
Nさんと出会い、旧交を暖める。
「京滋YOUの会」スタディーツアーで何回も「子どもの家」に
来て「お祭り」などを企画してくれたYさんやUさん。
縁があってフエに何度も来ているMさん
午後9時半まで和気あいあいと交流を進める。
縁があって「子どもの家」やJASSの支援をはじめ、長い期間
支援と活動を続けてくれている「京滋YOUの会」の有志の
みなさんに感謝。
午後10時半、就寝。
10月4日、東京自宅を出て成田空港付近のホテルに泊まり
10月5日から今日までバオミンさンに同行。東京→静岡→
浜松→東京→伊豆高原→大阪→奈良→京都と旅を続けている。
さすがに疲れたが、世界歴史都市連盟第13回総会主催都市に
立候補したフエ市として立派なプレゼンテーションができたこと、
静岡大学に入学させたフエの高校生3人の入学式に出席した
ことなど、バオミンさんとニエンさん、私の今回の任務の
90%はこれで終了した。後は、10月18日長岡京市で行われる
「京滋YOUの会」主催の講演会だけである。
1日中、京都を案内してくれた藤井さんに深謝。
2009年10月14日
世界歴史都市連盟理事会でプレゼンテーション
快晴 暑いくらい (奈良市にて)
午前6時半起床。
午前7時半、ホテルで朝食。
午前8時20分、奈良市のバスで会場の新公会堂へ。
午前9時から始まる「世界歴史都市連盟理事会」で
行うフエのプレゼンテーションの準備を行う。
開会時間が遅れる。午前10時、フエのプレゼンテーション。
世界歴史都市連盟は京都市が世界に呼び掛け、現在世界
の70都市が加盟している。
ベトナムでは2006年にフエ市が加盟している。
ハノイも加盟。
2010年10月第13回世界歴史都市連盟総会が
奈良市で行われる。
今回は総会前年の準備のための理事会。
理事都市は会長の京都市をはじめ副会長の西安市、
理事都市のパリ、キエフ・・・・・・・。
今回は京都市と西安・韓国の慶州・オーストリアのウイーン
の4都市が参加。
2年に1度の総会である。2010年の次は2012年。
フエ市が立候補を表明したが、中国の揚州市も立候補を
表明。
今回の理事会ではこの2都市が2012年の総会開催を
めぐって「プレゼンテーション」を行った。
議長の京都市
初めにフエ市のプレゼンテーション
フエ市国際交流センター所長(フエ市外務部長)の
ニエン氏のプレゼンテーション
フエの様子をDVDで紹介
プレゼンテーションの後、参加の理事都市からフエ市へ
いくつかの質問
財政的な準備はできているのか?
ホテルなど宿泊施設はあるのか?
中国西安市から質問
その後、中国の揚州のプレゼンテーション
パワーポイントを使ったプレゼンテーションは
「静的」であり、文字と写真の動きのないものだった。
また、当初、フエ市に割当られていた時間よりも
はるかに長時間のプレゼンテーションを行った。
理事都市から質問
空港はあるのか? ーー「空港はない」
中国の西安市は質問といいながら、
西安市の宣伝演説を始める。
午前11時半、プレゼンテーションは終了。
その後、自由時間となったので、東大寺の参観をする
午後7時からバスで市内のホテルへ。
奈良市主催の晩さん会。
仲川奈良市長とニエン外務部長
オーストリア ウイーン市長の乾杯の挨拶で開会
フエ市の競争相手の」揚州市訪日団(副市長を先頭に)
仲川奈良市長と小山
仲川市長は33歳。日本で2番目の若い市長。2ヵ月前に
当選したという
奈良名物の和食を堪能
フエ代表のニエン外務部長と共に立候補した趙揚州市副市長
午後10時閉会。バスでホテルへ帰る。
2009年10月13日
大阪から奈良へ移動
晴天
午前6時起床。火炎樹日記を書く。
午前8時、ホテルの朝食。美味しい。
朝食後、メールの受信。送信。
午前10時、チェクアウト。
フロントでトラブルあり。
私が納得できず、厳重な抗議。
時間がないので途中で不当なトラブルを切り上げ
ホテルのシャトルバスで近くの地下鉄へ。
地下鉄で「日本橋」まで。中古パソコン、デジカメなどを
買う。外務部長などの希望。
午後2時過ぎ、近鉄線で奈良駅へ。
「世界歴史都市連盟理事会」参加の準備のため
奈良訪問。日航奈良ホテル投宿。
奈良市国際課長と懇談。理事会の状況を伺う。
明日から「世界歴史都市会議理事会」が階差される。
2010年10月、奈良市で世界歴史都市会議総会が
開催される。その2年後の2012年の世界歴史都市会議に
フエ市が立候補した。
明日からの世界歴史都市会議理事会でフエ市と揚州市が
立候補のプレゼンテーションを行う。
午後6時、大阪のFホテルのオーナー会社の副社長と
支援のTさんからJASSへ多額の支援金を頂く。
バオミンさんが頂く。
夜、ニエン外務部長、バオミンさんの3人で
明日の「世界歴史都市連盟理事会」での2012年総会主催
立候補のプレゼンテーションについて最後の打ち合せ。
2009年10月12日
フエ市国際交流センター委員長ニエン氏関空来訪・出迎え
快晴(大阪)
午前6時起床。午前6時45分、ホテルのバスで関空へ。
午前7時半、関空着。
フエ市国際交流センター委員長(フエ市外務部長)ニエン氏,、
無事関空到着。JR「はるか号」で新大阪→JR大阪へ
大阪駅からホテルのバスで30分、ホテルへ。ホテルで荷物を預かって
もらい、大阪城へ。
大阪城の広さに圧倒される。
今日は祝日。大阪城では、様々なイベントが行われていた。
植木展、市民マラソン大会、交通安全協会大会・・・・。
●交通安全協会のみなさんの懇親会
●大阪城内市民マラソン大会
●秋の晴天の祝日。多くの市民が大阪城に集まり、それそれの仕方で
楽しんでいた。
多くの市民が楽しんでいるとなりには、たくさんの「ホームレス」
の人たちのブルーテントが林立。
ブルーテントの中でたくさんのホームレスの人たちがいるその横を
マラソンをし、懇親会で楽しんでいる人たちがいる現状。
なんでもない日常化した日本の現地ではあるが、改めて
見てみるとやはり「異常さ」を感じる。
JR環状線で大阪駅へ。梅田へ。梅田のガード下の
食堂街で簡単な食事。
バスでホテルへ戻る。午後3時。
ニエンさんは昨夜飛行機の中で眠れなかった。
午後8時まで休息。
午後8時、再度、ホテルのバスで大阪駅へ。
梅田ガード下食堂街の韓国焼肉店で遅い夕食。
午後10時半、ホテルへ戻り、そのまま就寝。
なかなかパソコンをあける時間がない。
メールが読めない。
2009年10月11日
伊豆高原から関空付近のホテルへ
快晴
午前6時起床。温泉に入る。
午前8時朝食。
午前9時、伊豆高原保養所を私とバオミンさんは出発。
一緒に同級生も。同級生は更に1泊。
私とバオミンさんは、明日の朝、関空に到着する
フエ市人民員会外務部長のニエン氏を出迎えに
午後、伊豆高原を発ち、関空付近のホテルへ。
午前10時半、遊覧船で30分の伊豆高原海岸ツアー。
きれいな伊豆の海を堪能する
昼、伊豆高原海岸にある「ぼら納屋」で海産物の昼食。
ぼら納屋から海岸線に沿って大吊りはし」まで散策
大吊り橋で
午後2時半、伊豆高原駅を出発。私とバオミンさんと高校の同級生
の別れ。
伊豆高原駅から熱海へ。1時間。
熱海から新幹線で静岡経由新大阪駅へ。2時間。
新大阪駅からJR大阪駅へ。更に関空付近のビズネスホテルへ1時間。
午後7時半、ホテル着。
2009年10月10日
高校クラス会のような会参加ー伊豆高原へ
晴天
午前6時起床
午前8時、上野の水ネスホテルで朝食。ロールパンとコーヒー。
午前9時、ホテルをチェクアウトし、上野駅から東京駅へ。
私の某都立高校のクラス会のような会の伊豆高原クラス会の
ような会に参加。
参加8人のクラスメートのうち7人が「子どもの家」を訪問している。
バオミンさんも顔見知り。
午前9時半、東京駅へ。すでに参加する同級生も集まっている。
ラオスでラム酒工場を運営している與芝君
東京駅「踊り子号」前にて
午前10時、踊り子号出発と同時に缶ビールが
出てきた。
車中で昼食のお弁当を食べる
午後12時半過ぎ、下田駅到着。
いくつかのコースに分かれる。私と北田君、バオミンさん
の3人は、下田の魚介類を食べに行く。
鯛の刺身などを食べる。
他のグループは下田の町の散策をしていたが、
私たち3人は引き続き、美味しい刺身で一杯。
その後、再び伊豆高原列車に乗り「伊豆高原駅」へ。
JIS規格の保養所へ。温泉に入り夕食交流会。
食堂での夕食交流会後、部屋で引き続き「人生を語り合う」。
午後11時、人生語り合い交流会終了
就寝へ。
マブチ国際育英財団訪問:JASS東京の会の皆さんと交流
台風一過 快晴
午前6時起床。
メール受信・返信
午前8時朝食。パン・コーヒー。
午前9時、京成上野から東松戸へ。
マブチモーター本社へ。
マブチ国際育英財団本部を訪問。
理事長さん以下、役員の方々と懇談。
マブチモーター本社内にて
1時間半ほどの懇談会を終わり、アクア本部へ。
アクア村上さんたちと東松戸駅付近で昼食。
午後3時、京成上野駅へ。改札口でACCLの
渡辺和代さんと落ち合い、バオミンさんが
渡辺さんといくつかの件で話し合う。
その間、私は5日間のホテル生活でたまった
洗濯物を自宅へ持っていき、新しいワイシャツなどを
持ち、バオミンさんが待っている上野のビズネスホテルへ、
午後5時40分、ホテルを出て、都営大江戸線、都営新宿線
で船堀駅へ。途中、森下駅で福田もえ子さんと出会い、
ミンさん、もえ子と一緒に船堀駅付近の高橋さんのお宅へ。
午後7時、バオミンさんを囲んでJASS東京のみなさんと
懇親会。
ベトナム事務所のスタッフ、日本語学校教師などで
ベトナム事務所に1年以上滞在した皆さんが参集。
午後10時半過ぎ、閉会。
午後12時過ぎ、上野のホテル到着。
2009年10月08日
ピースインツアー本社訪問:上尾星野さんたちと夕食懇談
雨のち晴れ
午前6時起床
午前8時ホテルの朝食。パン、コーヒー。
午前中、ホテルの部屋の掃除の時間だそうだが
受信メール(40通)に目を通し、必要な返信を
するため、掃除を午後にしてもらう。
午後12時まで部屋での仕事を認めるとのこと。
40通のメールを読むだけで頭が痛くなる。
返信。
午後12時過ぎ、バオミンさんと一緒に上野駅前の
立ち食いそば屋へ。てんぷらうどんを食べる。
山手線・地下鉄東西線で早稲田へ。
地球の歩き方スタディーツアーを実施している
観光会社ピースインツアー本社を訪問。
バオミンさんにピースインツアー本社を見学して
もらう。ピースインツアー社員のみなさんに挨拶。
責任者の堀江さんや担当者などと地球の歩き方
スタディーツアーの今後の方針、その他のツアー
実施などについて協議。
1時間ほどの話し合いで、今後も引き続きJASSと
ピースインツアーが協力・共同してスタディーツアーを
進めること、更に新たなツアーの開発を行うことなどで
意見が一致。JASSの自立にとっては、JASS観光の
発展は最重要な課題である。
しばらく時間があったので、ピースインツアーの
裏にある早稲田大学を散策。
●大隈重信像前にて
1967年・68年頃、何度もここを訪れたことがる。
当時の騒然とし、雑然とした雰囲気は一変。
キャンパスはきれいに清掃され、建物を近代的な
ものに改築。ビル内には、コンビニまでできていた。
40数年の時代の経過を実感。
午後7時、飯田橋駅で上尾のスタディーツアー
を毎年のように主催していた星野さんをはじめ
関係のみなさんと合流。神楽坂の焼き肉屋へ。
高級和牛の焼き肉は本当においしかった。
星野さんよりJASSへ支援金贈呈
バオミン・JASSベトナム雲影委員長が頂く。
和牛焼き肉をご馳走になった後、神楽坂の小さなバーで
軽く飲み直し
「子どもの家」へのスタディーツアーの思い出などを
話し合う。
壁に外国の紙幣が貼られていたが、ベトナムのドンが
貼ってなかった。バオミンさんが2万ドン札を出し
貼ってもらう。
午後10時過ぎに閉会。
星野さんをはじめ、上尾スタディーツアー関係者のみなさんに
改めて感謝したい。お付き合いも10年ほどになる。
人間の出会いとお付き合いとは不思議なもの。
人との出会いと縁は大切にしたいものである。
飯田橋から大江戸線で上野へ。地下鉄内で
バオミンさんと話をしているうち、ひと駅乗り越してしまう。
上野まで徒歩。台風一過の上野近辺。まだ多くの
人たちの雑踏があった。強風が残っていた。
2009年10月07日
静岡から東京へ
曇り 雨
昨日静岡大学工学部(浜松キャンパス)で行われた
ニフィープログムでの入学式が新聞に掲載された。
全国の国立大学で唯一の入学であった。
●日本経済新聞
●中日新聞
2年ほどかけて実現して静大工学部入学「ニフィープログラム」。
静岡大学側のN理事、K元教務部長、滝下課長、松本准教授
など多くの静大のみなさんと協力し、入学を実現させた。
JASSベトナム事務所が「静大フエ連絡事務所」となり
現地の優秀な高校での説明会などの実施、フエ省教育局長、
フエ市長と静大学長との間の留学生推薦協定の締結、
6ヵ月間の集中日本語教育の実施など、JASSとして
現地でできる最大限の協力を行った。最後は、フエから
静大まで3人の留学生を引率するところまでJASSは行い、
何とか静大工学部留学生第1期生の入学式までたどり着いた。
残念ながら3人の留学生の一人ティン君が体調を崩し入院し
入学式に参加できなかったが、今日、退院したとの連絡が
工学部学長補佐の松本先生からあった。ひと安心。
長い道のりだったが、一つの仕事をやり終えた充実感は
ある。
今後、第2期生、第3期生への日本語教育などの課題が
ある。
午前7時起床。静岡市内のビジネスホテルにて
一昨日、昨日の日記を書く。
午前8時、ホテルの朝食。パンとコーヒーのみ。
午前10時、ホテルを出て、タクシーで静岡駅へ。
午前10時半、静岡駅より新幹線自由席で
東京へ。午前11時半、東京駅着。
バオミンさんは大きなスーツケースがあり、新幹線に持ち込む
のが大変。車中では疲れが出て、二人とも寝てしまう。
東京駅で京都市役所「世界歴史都市連盟事務局」と
電話で連絡を取る。10月13日から奈良市で行われる
「世界歴史都市連盟理事会」へフエ市人民員会代表
出席の件。フエ市人民員会国際センター所長ニエン氏と
バオミンさん、私の3人がフエ市人民員会代表として
出席する旨を確認。
10月13日からの理事会の内容、フエ市人民員会代表
のプレゼンテーションの内容などの打ち合せを行う。
東京駅から上野駅まで。上野駅のロッカーにバオミンさん
の大きなスーツケース、私の荷物を入れる。
ホテルチェックインの午後3時まで3時間ほど時間がある。
今日は今回のバオミンさん・ニエンさん訪日の唯一の
仕事のない日。
バオミンさんを連れて池袋の西口の「H]という飲み屋に
行く。ホッピーや生ビールを飲み、疲れを癒す。
午後1時過ぎ、本当ののん兵衛たちが集まっていた。
午後3時過ぎ、上野のビジネスホテルへ。チェックイン。
夕方までホテルで休息。
夕方から明日からの日程などの調整。
午後8時、バオミンさんと二人で上野アメ横にある
居酒屋へ。軽く生ビールを飲んで帰る。
2009年10月06日
静岡大学工学部ニフィー入学式
終日雨
午前5時半起床。
小鹿荘の隣にある公務員宿舎に単身赴任している
静大財政担当理事のNさんのお宅へ呼ばれ、
朝食を招待される。
午前8時過ぎ、滝下さんと一緒に静岡駅へ。
静岡駅から新幹線で浜松へ。
静岡大学工学部キャンパスへ。
今日はニフィープログラム合格者のための入学式。
タン君、ティン君、ドックさんの3人の入学式。
残念ながらティン君は体調を崩し、入院し欠席。
興静大学長先生と入学式参加のタン君、ドックさんと
入学式場前で記念撮影。
静大学長、副学長、理事、工学部長など静大幹部のみなさん
来賓の地元企業の代表者。ヤマハ、スズキ・・・・・・
静大教務部長としてニフィープログラムを実務的に推進した
責任者の車谷現金沢大学学生部長
工学部の先生・3人のベトナム人担当の日本語教師など
静大工学部スタッフ
静大工学部新入学生のタン君・ドックさんと後ろで指導する
バオミンさん
学長式辞
入学式展終了後、昼食会を兼ねて、地元企業の代表者と
静大工学部・海外留学生との懇談会
静大工学部幹部
興学長の挨拶
ベトナム・インドネシア留学生
インドネシア留学生の昼食弁当はイスラム教徒用のもの
自己紹介
バオミンさんの挨拶
車屋金沢大学学生部長
工学部ニフィーの責任者松本准教授と
懇談会等終了後、3人の留学生の宿舎である「国際交流会館」
内の部屋を視察
タン君の部屋で。バオミンさんとタン君。エヤコン、冷蔵庫つき
の個室。
その後、入院しているティン君病室を慰問。
N財務担当理事と一緒に
近日中の退院が予定されているティン君。
滝下さんと一緒に浜松から静岡市へ。
バオミンさんと一緒に市内のビジネスホテルに投宿。
2009年10月05日
成田空港へバオミンさんを出迎えへ
午前5時起床
成田空港付近のビジネスホテルに前泊。1泊3300円。
午前6時50分、ホテルのバスで成田空港第2ターミナルへ。
空港第2ターミナル着。バオミンさんがはハノイから来ると
いうことになっていたので、空港の大ボードを見る。
全てホーチミン発。
これは第1ターミナル着だと思い、シャトルバスで第1ターミナル
へ。
大ボードを見るとここもホーチミン発のみ。
第1も第2もホーチミン発。どちらで待ったらよいのかわからない。
フエの税田さんに電話する。
税田さんは、多分、ANA機で言ったのでは?とのこと。
ANA機は第1ターミナル。
第1ターミナルの案内・受付の人に聞くが、詳細不明。
何となく第2ターミナルのような気がして、再度、シャトルバス
で第2ターミナルへ。午前8時過ぎ、バオミンさんが出てくる。
その足で京成スカイライナーに乗上野へ。
京成フエ上野駅着。
午前11時半、朝食兼昼食。バオミンさんの希望で
上野アメ横にあるラーメン屋へ。
午後4時の新幹線で静岡駅へ行き、滝下さんと待ち合わせをする
ことになっているので、それまで東京で過ごす。
上野公園を散策し、不忍池へ。弁天堂参観。旅行の安全を
祈る。バオミンさんはおみくじを引き末吉。
午後3時半、東京駅。新幹線に乗る。
新幹線ひかり自由席で静岡へ。
午後5時過ぎ、静岡駅へ。滝下さんと合流し、静大「小鹿荘」へ。
午後6時過ぎ、静大関係者と夕食会。
「おしか荘(小鹿荘)」は静岡大学職員会館で宿泊施設も持っている。
静岡大学関係者との夕食会終了後、小鹿荘の宿泊施設へ。
関係者と明日の「ニフィー入学式」などの日程確認などを
しながらしばらく懇談。
午後11時、就寝。
2009年10月04日
成田空港付近に前泊
晴れ
午前11時まで就寝。
静大留学生のT君が入院。学長先生・工学部長先生など
多くの方々がお見舞いに。症状は安定しているとのこと。
日比谷フェスティバルは今日が最終日。かなりの人手のようだ。
原田虎太郎君から状況報告あり。
JASS東京のみなさん、御苦労さま。
JASS第2代代表の上田さんから電話。
午後3時過ぎ、自宅を出て成田駅へ。
成田駅から徒歩10分。空港付近のホテルへ。
明朝早朝、バオミンさんが成田へ。出迎え。
ハノイからホーチミン市へ行ったバオミンさんに
朝から電話をしているが通じない。
夕方、税田さんに電話。病気のT君の件を
バオミンさんに連絡して置いて欲しいと依頼。
合わせて喧嘩をしてナイフでさされ22針縫ったイン君の
怪我の状況を聞く。イン君をめぐっては、様々な問題あり。
午後5時過ぎ、成田空港付近のホテルへ。1泊3300円。
フロントで「どうして安いのですか?」と聞いてみる。
「日曜日はお客が少ないので、安くしている」とのこと。
かなり多くのメールを受信。返信。
中川昭一元財務大臣死去。死因不明。
ご冥福を祈る。
2009年10月03日
フエからの連絡
曇り
2016年のオリンピックがリオに決まった。
そうだろうな、と自然な気持で思った。
オリンピックを「五輪」とかくのだから、五大陸
での開催が自然なもので、南米大陸での開催が
ないのであれば、やはりそこを優先するというのは
自然な気持ち。
もともと東京都民がこぞって希望していたものでもなく
石原都知事の個人的な希望でもあるかのような
東京オリンピック招致だった。
東京のプレゼンテーションを見ていたが、
環境問題を主な訴えにしていた。もちろん間違っては
いないが、オリンピックはあくまでスポーツの祭典。
環境問題は、その一部である。スポーツの喜び、
感動など、オリンピックの主題から多少それた
環境問題を主題にしたところにも石原都知事の
感覚のずれがあったように思われる。
環境問題はしっかりと環境問題全体の中で
考えるべきこと。オリンピックの主題は
スポーツと平和問題。
四日間ほど家で寝ていた。多少、体調回復傾向。
ベトナム事務所からメール数通あり。
昨日は、中秋祭り。
日本料理店が終わった後、日本料理店のイン君が
近くの路上でシクロの運転手、レストランのスタッフと
飲んでいてけんかになった。酔ったイン君がシクロの運転手を
なぐった。なぐられたシクロさんは、そこにあったナイフで
イン君の左腕を刺すという事件が起こった。
兄のリー君が現場に行った時には既に喧嘩が始っていた。
リー君が弟のイン君を連れ、フエ中央病院へ。
12針も縫うけがをした。
周りにいた地域の人たちが警察に連絡。
ベトナム事務所に連絡があり、日本料理店のスタッフが
喧嘩をした、との問い合わせと調査があった。
税田さんから何度かメールが入り、ハノイにいる
バオミンさんに電話で当面の対策等を連絡、打ち合せをする。
(日本入国のビザを取り、その足でハノイから明後日
訪日する)
半日ほど、イン君の喧嘩、ナイフ刺傷事件で費やす。
イン君の喧嘩の件は、なかなか深刻な問題を孕んでいる。
既に「子どもの家」にいた時に数回警察につかまっている。
昨年はインターネットカフェでの喧嘩でやはり包丁でさされ
、兄のリー君が助太刀に入り、リー君だけが警察に
捕まるという事件も起こしている。イン君は警察の
ブラックリストに載っている。今回の刺傷事件も
けして「被害者」とばかりは言えない立場にある。
今後、警察がどのような態度に出るのか?
警察側の対応を見ながら、私たちの方針と対応を考え
なければならない。
この数日、食欲はない。お腹がすかない。
困ったものだ。
日比谷公園で日本最大の海外ボランティアのフェスティバル
が行われている。JASS東京を中心に参加している。
原田虎太郎君から電話。日比谷公園で頑張っているとのこと。
JASS初代代表、岩辺さんから電話あり。
明日から2週間の長期出張の準備をする。
JASS日本代表の福田もえ子(旧姓)から電話。
子ども針の会の大極さんからお灸が送られてきた。
火を使わないお灸。詳しくお灸を据える場所が
書かれている。疲れなどを治すポイントに
お灸を貼る。
夕方、プリンターのインクがなくなったので
近くのダイエー西台店に行く。
古本市をやっていた。
「志ん生の食卓」(美濃部美津子著:娘さん)
「大正テレビ寄席の芸人たち」を買う。
静岡大から連絡あり。
フエからの留学生のA君が入院したとのこと。
いくつか悩まし問題が発生した。
2009年10月02日
ブライセン本社訪問 打ち合わせ
終日雨
午前6時起床。まだ、いまいち体調は回復していない。
だるく頭痛あり。
午前8時半、自宅を出て巣鴨経由、五反田へ。
IT会社「ブライセン」本社へ。
ベトナム事務所3階にブライセンベトナム支社がある。
現在、「子どもの家」の卒業生2名とベトナム事務所関係者
1名が仕事をしている。携帯電話のアプリケーション関連の
ITの仕事である。
今日は、ブライセン本社の藤木社長(途中で会議があり退席)
部門責任者・担当者と細かい打ち合わせ。
今後、さらにスタッフを増員する手筈を打ち合わせする。
雨の中、帰宅。
午後、自宅で休養。
読書「言葉と戦車を見すえてー加藤周一が考えつづけてきたこと」
(加藤周一著 小森陽一・成田龍一編)筑摩書房
1946年の「天皇制を論ず」から始まる。その時代の
社会の雰囲気と空気が良く分かる。
滝下さんから電話。
静大留学生のA君が通院。1週間程度の休養が必要とのこと。
10月6日の静大工学部の入学式には出られないとの話。
残念ではあるが、静大関係者がA君を手厚く看病してくれている
ことに感謝。A君の病気が早く治ることを祈る。
受信メール10通に返信。
フエの台風も収まったようであるが、その後の掃除や
泥の山が道路の脇に積み上げられている。
太陽が出ると町中が「ほこりだらけ」、そもれもかなり
汚い・バイ菌などの入っているほこりである。
毎回、洪水のあと、フエ市では目の病気が流行する。
2009年10月01日
体調不良
晴れ・曇り
体がだるく終日寝ている。
午前9時、静岡大学工学部より電話あり。
3人の留学生のうちのA君が昨日発熱。
新型インフルエンザの可能性もあり、
病院へ。早速、保険の問題が出てきた。
外国人登録申請済みのため。保険の適用あり。
検査の結果、普通のインフルエンザとのこと。
9月24日から28日までの訪日は、かなり
きついものがあった。
幸い、大事に至らず、ほっとする。
10月6日は工学部入学式。私とバオミンさんが
大学側から招待されt出席する。
3人の留学生を浜松まで送り、東京自宅へ帰宅した
あと、疲労が原因rと思われる倦怠感、気力喪失
状態がが続く。
風邪症状あり。
食欲なし。
午前中、静岡大学滝下さんから電話。
終日寝ている。
10月5日から10日日間、連続の仕事が入る。
成田→東京→静岡→浜松→静岡→伊豆高原→
東京→関空→奈良→京都 10月4日から19日まで
続く。何とかそれまでに体調を回復しなければ・・・・。
「彰義隊」(吉村昭著:新潮社)読了。

