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2008年12月15日
終日雨。帯広のYさんフエ訪問
終日雨。
午前6時半の気温20度。湿度95%。(「ハイリーホテル」5階)
シャワーを浴びる。体重を量る。数キロ落ちている。
腹痛・吐き気、薄らぐ。平常の体調に回復しつつある。
一安心。
午前7時朝食。精進ブン麺(チャーカーブン)と野菜。
日本語の松田先生が帰国したため今日から朝食は
4人となった。さすがに寂しい。
午前中、ボランティア貯金への対応。外は雨。
メールの送受信。
午前11時半、昼食。ご飯、サラダ、厚揚げの甘辛煮、
野菜スープ。
午後12時半から1時間ほど昼寝。
午後2時読書「とはずがたり」。14歳で伏見天皇の
父である後深草院の寵愛を受けた後深草二条であるが、
西園寺実兼とも関係を持ってしまい、女児を出産する。
更に寵愛を受けている後深草院の弟にあたる性助法親王
とも関係を持ってしまい、禁断の男性関係に悩む。
古文ではあっても相当「危ない記述」の箇所もある。
後深草院の父である後嵯峨院の子供である「がい子内親王)
と関係を持とうとする。その仲介を寵愛している後深草二条に
頼む。本書の著者である後深草院二条は、院も内親王も
「偉い人」なので仲介を断れず、内親王の部屋へ後深草院を
案内する。兄妹の関係となる間柄である。
後深草二条は、内親王がそうやすやすと関係を持つとは
思っていなかったが、二人が同衾する隣で添い寝をし、
寝たふりをしながら様子を伺うと、内親王はいとも簡単に
関係をもってしまったと嘆いている。内親王は「先の斎宮」
である。斎宮とは天皇の代わりに伊勢神宮に奉仕した未婚の
内親王のこと。
「・・・眠たしや。更けはべりぬ。」と言ひて、空眠りして居たれば、
御き帳の内も遠からぬに、いたく御心も尽くさず、はや打ち解け
たまひにけりとおぼゆるぞ、余りに念なかりし。心強くて明かし
たまわば、いかにおもしろからむとおぼえしに・・・」
南北朝の原因ともなる『後深草院」と弟の「亀山院」との
争いを見る。
ボランティア貯金関連の調査。バオミンさんと電話で打ち合わせ。
午後4時過ぎ、雨の中30分ほど散策。
午後6時半、日本料理店へ。
午後8時、Yさんをホーチミン市まで出迎えに行った
大塚さん、税田さん、Yさんが日本料理店へ。
一緒に夕食を摂る。Yさんは、1997年のテレビ東京「ドキュメン
タリー人間劇場」を見て、支援を始めてくれた方である。
障害のある里子を10数年支援し、更に「暖炉寄金」として
5人の障害児を大学まで行かせるプロジェクトも行っている。
今回は、里子と暖炉寄金の障害児の様子の視察。
ホーチミン市で大塚さんが日本料理店用に「生のまぐろ」
1本を買ってくる。早速、刺身にする。
こどもたちの支援のことなど遅くまで話し合う。
投稿者 koyama : 2008年12月15日 18:35