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2008年12月14日

兄の63回忌。洗濯・部屋の整理・休養

終日雨。

今日は、兄「小山一義」の63回忌。既に兄がこの世にいたことを
知っている人は数人となってしまった。
昭和20年(1945年)中国からの引き上げの途中で肺炎で
死亡。生きていたら68歳。私は理屈ぬきにいかなる戦争にも
絶対反対する。ベトナムで改めて「反戦・平和」を誓う。
一人の人間が理不尽に死んでいったことは絶対に許せないこと
であり、戦争反対は生きている人間の最低の勤めである。
色々と理屈をつけて戦争を賛美する人間もいるが、賛美する
人間は、まず自分が戦争の最前線に行き、死ねばいいのだ。
自分だけは安泰なところにいて偉そうなことを言っている
人間は信用しない。兄はたった5歳で栄養失調で死んでいった。
何も分からないまま。生きている弟の私の勤めは二度と
戦争をしないこと、世界中から戦争をなくすことである。


今日は忠臣蔵討ち入りの日。
私の読書の開眼は、古本屋の1冊50円位の講談本だった。
板橋本町岩の坂商店街に古本屋があり、忠臣蔵、義士銘々伝、
義士外伝などたくさんの戦前の講談速記本があった。
小学校5年。私は毎日母親から50円もらい、1冊買って読んでいた。
この古本屋にある講談速記本の忠臣蔵関係の本は全て
読んだ。講談速記本は、全て漢字にルビがふってある。
結構、漢字を読む勉強になった。難しい漢字も小学校時代に
だいぶ覚えてしまった。忠臣蔵から猿飛佐助、石見重太郎、
真田十勇士と読書の領域が広がった。全て、娯楽の本である。
読んで楽しかった。小学校時代の思い出である。
毎年12月14日になると芝泉岳寺の47士を思い出す。
本が好きになったきっかけは忠臣蔵である。小学校5年生。

午前8時の気温20度、湿度90%。

午前7時半起床。

洗濯。

部屋の掃除。

午前9時、朝食用の卵を買いに雨の中、外へ出る。
近くのお店まで行ったが、お金を持っていくのを
忘れる。帰宅。

腹痛と吐き気あり。
午前9時半。昨日買ったベトナム米1合で「全かゆ」を作る。
外は雨、曇り。
午前11時。おかゆを塩で食べる。

午前中読書「蜻蛉日記」を読み終わる。1030年ほど前に
書かれた。
藤堂志津子の恋愛小説を読んでいるような錯覚を
覚える。必ずしも望んだ結婚ではないが、結婚し
男児を生む。通い婚の時代である。夫は直ぐに
女性遍歴をはじめ、家に来ない。じりじりと悩み
苦しみ、最後は、「達観」の境地に達する。
それでも時々やってくる夫(最後は摂政・関白・太政大臣)
が来ると、うれしくもあり、冷ややかな斜に構えた気持ちにも
なる。現代の「女心」(私は詳しくはないが・・・)と相通ずるもの
を感ずる。夫藤原兼家の「言い訳」も現代の男性の言い訳に
ほぼ通じる。1000年たっても男女関係の機微な本質は
変わっていないかに思われる。

午後2時間ほど昼寝。

洗濯物を畳みしまう。

午後読書「とはずがたり」(後深草院二条著)
著者は14歳で後深草院の寵愛を受け、49歳までの
出来事を綴っている。700年ほど前(鎌倉時代)
の宮廷、その後出家し各地を廻る女性の半生。
「とはずがたり」は昭和13年(1938年)
宮内庁の図書寮に眠っていた作品を発見し世間に紹介した。

午後4時、夕食の「ほか弁」(2万ドン:110円)を買いに行く。
午後から雨は止んだが曇り。いつ雨が降っても良い天候。

日本の支援者から電話あり。


午後6時、ほか弁を夕食に食べる。ベトナム「バックダイ茶」を飲む。

帰国した松田先生からメール。無事、沖縄の実家へたどり着いた
とのこと。ひと安心。随分と長旅だったことと思う。ご苦労様。

午前2時に目が覚める。外は雨。

投稿者 koyama : 2008年12月14日 11:38

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