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2008年12月21日
隣家「50日」法事出席
兄「小山一義」63回忌。
既に兄の死を知っている人、兄を覚えている人は
絶無に近い。兄がこの世に5年間だが存在したことを
証明するために写真を掲載したい。
63年前、政府と軍部の無謀な戦争に巻き込まれ、
たった5年の命で人生を終えた人間がいたことを記録したい。
火炎樹日記を読んで頂いた何人かの方々だけでも63年前に
こんなこどもが中国で生まれ、5歳で死んで行ったことを
知っていただければ、兄「小山一義」の追善供養になるとことと
思う。今、私のできる兄への追善はこうして世間に知って頂く
ことと、戦争はどんな理由があっても絶対反対であることを
いつでもどこで、誰にでも表明することである。
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終日晴天。久しぶりに太陽を見る。
午前7時半、外食。
午前11時半、隣家へ。昨日の手紙が結婚式だと
思っていたが、行って見たら今年亡くなったお祖父さん
の「50日法事」だった。ベトナムではこの種の法事に近隣の
人を呼ぶようだ。
亡くなったお祖父さん(85歳)の慰霊に線香を捧げる。
お祖母さんが接客をする。白い鉢巻がベトナムの葬礼の
しるし。
そのまま帰ろうとすると長男がとにかく玄関の椅子に座ってくれと
言う。しかたがないので椅子に座る。お茶とみかんが出る。
親戚や長男、亡くなった父親の友人などが座る。
長男は先日、ベトナム事務所にやってきて「自分は英語が出来る。
ベトナム事務所で採用して欲しい」と言って来た人。
親戚や友人を私を紹介する。「それでは私は失礼します」と
立ちかけると長男は「だめだめ、しばらくは座っていてください」
とのこと。結局、1時間ほど、付き合う。
1時間いたのでもういいだろうと思い、「それでは失礼」というと、
とんでもない、これから家族・親類で食事をするので貴方は
参加しなけれいけない、といわれる。私としては、既に午後12時半
を過ぎている。早く「ハイリーホテル」に戻り昼寝をしたいのだが。
「気の弱い」私は断りきれず、家族・親戚の食膳に行く。
最悪の事態が招来。ビールが出た。皆さんは氷を入れて飲んでいる。
私は氷を断る。99%ベトナムの氷ビールには自信があるが、
万一、下痢などしたらベトナム事務所の皆さんに迷惑をかける。
「断固」(正直に言えば、已む無く)として、氷を拒否。
生暖かいビールを飲む。グラス1杯で帰ろうとしたら、長男さんが
「私は英語が出来る。通訳する」と言い出す。「きたきた」と
不安な予感が頭をよぎる。フエ在中16年。この種の「英語が
出来る人」で本当に出来た人に会ったことがない。
予想的中。親戚の人がベトナム語で「貴方は何をしているんか?」
と質問をしてくる。私はそのベトナム語が100%理解できる。
しかし長男さんの自信満々の英語を無視することも出来ず、
不思議な会話が延々1時間半続く。私が英語で答えを言う。
長男さんがベトナム語で親戚・家族に伝える。また、他の
人がベトナム語で「何年フエにいるのか?」と聞く。
すると長男さんが英語で通訳するのだが、その英語が
分からない。私は家族のベトナム語の質問が分かるので
英語で答える。家族・親戚が次から次えと質問してくる。
40分ほどたったので「それでは私は失礼します」と立ち上がると
長男さんは「だめ、だめ、帰ってはだめ」という。また、気の弱い
私は帰れずに席に着く。引き続き長男の友人のフエ科学大の
化学の先生が質問をする。「私は日本へ1週間行った」という。
長男英語の通訳。私には英語が通じないが、「日本のどこへ」と
英語で返事をする。教授先生は「川崎」という。
更に40分ほどの会話攻撃。1時半近くになり、再度「それでは
失礼」と立ち上がるとやっと解放される。長男さんは、絵心がある
ようで、自分で書いた絵の入った2009年のカレンダーを
記念にくれる。感謝。午後1時半、「ハイリーホテル」に戻る。
ベトナム社会は真っ当な社会だ。こうしたしっかりとした人間関係
が残っている。私がこどもの頃の東京の地域社会と全く同じ
人間関係が残っている。長男さんに感謝。
結局、隣家では暖かいビールを3杯ほど飲み、食事はしなかった。
「ハイリーホテル」へ帰り、洗濯。
部屋の掃除。
昼寝の時間逃す。読書「ひとりで暮らすということ」(寿岳章子著)
多少、違和感を感じながら、大半は同感しながら読む。
「一人で暮らす」と表題はなっているが内容は言語学者としての
寿岳章子さんの文明論、日本社会批評論。
午後3時半過ぎ、夕食の「ほか弁」を買いに行こうと
電動バイクに乗る。動かない。良く見るとパンク。
歩いてベトナム事務所付近まで行く気にもなれない。
「ハイリーホテル」の玄関を見ると松田千草先生が
乗っていた自転車があった。カギをみるとかかっていない。
松田先生の乗っていた自転車を拝借し、ほか弁屋に行く。
15000ドン(80円)のほか弁を買う。
投稿者 koyama : 2008年12月21日 17:50