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2008年12月22日
京都からの来訪者対応
終日、曇り・小雨 気温20度。湿度90%。
昨夜(今朝4時まで)寝られなかった。体中に発疹。
両手は虫に刺されたように腫れてしまう。
頭も痒くなる。
体に発疹が出来たので「マラリア」を疑い、体中が
かゆくなり発疹が出来たので「食物アレルギー」を疑い、
手だけが全体に腫れて痒くなっているので何か化学物質の
アレルギーを疑い、と一晩中、かゆみと腫れとの闘いだった。
とりあえず、松田先生がおいていってくれたメンタム「かゆみ止め」
を塗り当面の対処をしたが、とにかく痒く痛く眠ることは出来ない。
色々と考えた。この症状が出だしたのは3日前。
3日前に何か変わったことをしたかを思い出すことが出来ない。
エイジングの進行。直近の記憶力が減退している。
とにかく夜中、ベッドの中で悶々と何か最近変わったことをしたか
考える。最終的に思い出したのが、日本の支援者から
頂いた羽毛の薄いかけ布団を止めて、昨年からホテルに
おいてあった薄いベトナム製の掛け布団に変えたことだ。
直ぐにベトナム製の薄い掛け布団をやめる。
そのまま2時間ほど「うとうと」しているうちに夜が明けた。
朝になり手の腫れは引けていた。
結局、体中の発疹、頭の痒さ、両手の晴れとかゆみは
ベトナム製うす掛け布団に化学物質が大量に吹きかけられて
いたことから来る、薬品アレルギーと結論。
直ぐに洗濯機で洗う。
ベトナム製の掛け布団から離れて1日。すっかり発疹と
かゆみはなくなった。恐ろしいことだ。目に見えないが
ベトナム製品は、想像も出来ない大量の薬品が塗布されカビや
腐敗を防止しようとしている。目に目ないので防ぐのが難しい。
このまま原因に気づかず、喘息発作を起こし、夜中に呼吸困難に
なる可能性もあった。
強いアレルギー体質。遺伝なので仕方がないが、困ったもの
である。ベトナムで発症した新たなアレルギー。「金属アレルギー」
(これは日本では想像できないほど汗をかくのでめがねのフレームの
金属が溶けたり、腕時計の金属が溶けたりし、顔や手首が真っ赤に
腫れてしまう)、「かびアレルギー」(エヤコンに溜まったベトナム独特
のかびのアレルギー)、今回の「化学薬品アレルギー」。
午前7時、寝不足中で朝食。
石上先生、中島先生はフエ高等師範大学の授業参観で
朝食を摂らずに出かける。朝食は私とハイ君の二人。
朝食は「ブンボー」と生野菜。
バンベーの原稿依頼。日本の関係者にメールでお願いする。
電話で依頼。
私担当の原稿を書く。関係する写真をパソコンから探し出す。
洗濯。部屋にかけてあった衣類が全てかびる。湿度が高い。
全ての衣類を3回に分けて洗濯。
午前10時、ベトナム事務所へ。バオミンさん、税田さんと
当面の諸問題を協議。
午前11時半。昼食
午後12時過ぎから1時間昼寝。熟睡。
読書「一人で暮らすということ」(寿岳章子著)読了。
国文学者だけあり言葉に関する薀蓄と教養あり。
各種雑誌などに書いた短いエッセーをまとめたもの。
主題は三つ。寿岳家の家風。特にご両親の素晴らしいこと
既に亡くなったご両親の思い出を延々と書いている。
二つ目が京都がいかに素晴らしいかという「京都自慢」。
三つめは「和紙」の巣晴らしさを解説。京都の綾部の
「黒谷の和紙」は素晴らしいから始まり、日本中の和紙の
紹介。
ここまで書かれると東京の私などは、少し「食傷気味」。
寿岳先生の言われるように京都の伝統と素晴らしさは
良く分かります。東京など新しい成り立ての町。その上
日本中からの人間の寄せ集め都市などとひがみの一つも
言いたくなるほどの「京都大賛歌」。国文学者の寿岳先生に
「ひいきの引き倒し」という言葉をプレゼントしたい。
寿岳先生の面白い所は実際に調査することだ。
学生と一緒に数千曲の歌謡曲の歌詞を調査したそうだ。
その結果、以下のようなことが分かったとのこと。
・女はかわいらしいのが良い。
・女は「待って」「泣いて」「耐える」。
・女は髪が長く、小花模様の着物を着ている
・女のいる場所は「湖」「川」「海辺」とウエットな場所。
●男は「俺」「俺」を連発。
●男は相手に対し「お前」を連発。
●男は「男」に酔いしれている。「男一匹」「男の意地」
「男人生」
寿岳先生のまとめ。「たかが演歌、されど演歌。『女は
無口がいい』と八代亜紀が舟歌で歌う時、音楽的には
なかなか素敵だが、何たる歌詞。しゃべる時にはしゃべらねば
ならぬ。怒りを言葉にしなければならぬ。それが何で
無口がいいのか? では男は?
演歌を愛するのは自由である。しかしそのような言葉を
口ずさむとき、違和感を感ぜぬ人に、たとえば差別撤廃の
闘いができるであろうか?むしろ反差別の歌を歌って
欲しいものだ。」
午後3時過ぎ、第13回目のクリスマス会を寄贈してくれる
内田さんがフエに着き、ベトナム事務所へ。
こどもたちへベトナム事務所などへのお土産をたくさん
持って来てくれる。
午後3時、ベトナム事務所へ。大塚さんの知り合いの方が
昨日からフエへ。オアシスの会の活動など視察。
午後5時過ぎにフエ空港へ。
その前にわざわざ日本料理店支援のために日本料理店を
注文してくれる。午後4時頃から1時間ほど、JASS活動などを
説明。京都市・長岡京市から来られた方々。
来年2月に京都へ行くことなどを話す。
午後5時、「子どもの家」を辞めた19歳のこどもが
ベトナム事務所を訪ねてくる。仕事がないとのこ。
1年半前に「子どもの家」を出て行ってからの生活などを
詳しく聞く。
午後7時、内田さんと税田さんで近くのレストランで夕食。
午後10時半まで。痛飲。
「ハイリーホテル」へ戻り、直ぐにベッドへ。今夜は
ベトナム製のかけぶとんを使わず。1枚の掛け布団で
我慢する。
投稿者 koyama : 2008年12月22日 10:45