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2008年12月20日
ベトナム事務所員会議
終日雨・曇り。
午前5時起床。読書「同日・同刻」(山田風太郎著)
午前7時朝食。キャッサバ麺。
午前8時半、ベトナム事務所員会議。
静岡の巣山先生からベトナム事務所員に年末と正月の
料理、お菓子、湯たんぽなどを送ってきてくれる。
感謝。
バオミン・JASSベトナム運営委員長の司会で始まる。
(ソン)帯広のYさんと行動。昨日午前10時、Yさんの知り合いの
方が「子どもの家」のこどもたちの食堂に大型のテレビを
1台寄贈してくれた。Yさんと一緒にテレビを買いに行った。
(石上)月 フエ高等師範大学2年生の授業、会話。
日本語会話能力にかなりの差がある。何とかしたい。
水に特別クラスを設定し、日本語能力の高い生徒を
教えたい。
1年生、大体理解できている。
(ゴック)火、木 静岡会館観光基礎コース
(中島)月 火 水 金 観光基礎コース
フエ高等師範大学1回
(ハン)奨学金の名簿、里子への手紙の翻訳。
全教千葉スタディーツアーの手配・・・
(フーン)月 水 木 金 観光基礎コース(2級めざす)
(税田)11月9日~1ヶ月日本へ帰国した。
12月8日からフエに戻る仕事に復帰した。
退所したり自立したこどもたちの状況を里親へ説明
(クアン)里親・奨学金お礼状などの翻訳
スタディーツアーの日程翻訳
(ミン)クリスマス会準備の打ち合わせ
静岡大学留学生の候補者が決まる。
バンベー34号の打ち合わせ。各分担をお願いする。
午前9時半、静岡大留学希望の生徒の親が相談に来る。
午前11時半、昼食。
午後12時半から30分ほど昼寝。外は雨。
午後1時過ぎから読書。
「同日 同刻」(山田風太郎著:ちくま文庫)読了。
なかなか興味のある本であった。
医学生だった山田風太郎は戦争という事実を客観的に
淡々と記している。日本だけでなく、アメリカ、アジア、
ドイツ、ソ連、満州、朝鮮。1941年12月8日と
1945年8月1日から15日まで世界中の同日、同刻に
人間が何をし、どんなことが起こり、何を考えていたのか?
を各種資料を丹念に読み込んで書いている。
1941年12月8日の日米開戦当日の国民、文化人など
多くの人々が感激・感動している。それらの人々が
4年後には戦争は初めから反対だったなどと述べいている
所に日本人の本性が見える。
フィリピン派遣軍宣伝班員作家 尾崎士郎。
「午後の空は曇っているが、想い起こすと八幡船のその昔。
海の上まるで街のようだ。これぞ世紀の大進軍だというべし。
生死すべてに心魂を絶てり。雲の中から煙が見える。
00余艘の船団が、さしてゆくのはフィリピン。」
作家 伊藤整。
「私は急激な感動の中で、妙に静かに、ああこれでいい、
これで大丈夫だ、もう決まったのだ、と安堵の念の
湧くのをも覚えた。この開始された英米相手の戦争に
予想のような重っ苦しさはちっとも感じられなかった。
方向をはっきりと与えられた喜びと、弾むような身の
軽さとがあって不思議であった」。
57歳の作家 武者小路実篤。
「真剣になれるのはいい気持ちだ。僕は英米と戦争が
始まったのになんとなく昂然とした気持ちで往来を
歩いた。来るものなら来いという気持ちだ。自分の
実力を示して見せる気持ちだ」。
人民戦線事件に関係し治安維持法違反で検挙され
翌年出獄している文芸評論家 青野季吉。
「・・・一死報国の時が来た。飽くまで落ち着いて、
この時を生き抜かん。午後3時半の臨時ニュースに
おいて英米軍に対する一戦布告の御詔勅を拝す。
無限の感動に打たれるのみ」。
細川護貞侯爵の日記。
「開戦の日、私は華族会館に近衛文麿さんを
訪ねた。周囲の人々は真珠湾の勝利にざわめいていたが、
彼(近衛)は、浮かぬ顔をしていた。『えらいことになった。
僕は悲惨な敗北を予感する。こんな有様はせいぜい
2、3ヶ月だろう』と沈鬱な声で言った」。
1941年12月8日、午後12時。真珠湾の特殊潜航艇から
逃れた酒巻和男少尉は「私はりっぱな軍人でなくてもいい、
人間の道を選ぼう」という生命の叫び声に憑かれて
、オアフ島へ一人泳いでいった。「日本人捕虜第1号」
となった。
1945年8月9日、長崎に原爆が投下され、ソ連が参戦した。
同日、ベトナムのダラット高原では、インドネシアの
スカルノ、ラーマン、ハッタ、スハルトなどが参加し日本政府主催の
インドネシア独立祝賀会が行われていた。
寺内元帥が「インドネシアの独立を9月7日と決める」と
宣言している。これに対し、スカルノは「日本政府の独立
容認に感謝し、寺内元帥の陛下に対する忠誠心を讃えた。」
1945年8月15日 天皇放送。
上海でこれを聞いた作家 堀田善衛。
「戦争中協力してくれた中国人の運命について、天皇が
何をいうか、何と挨拶をするか、ひたすら注意して聞いていた。
・・・ただ『遺憾の意を表せざるを得ず』という嫌味な二重否定
をしたきりで、ほかに触れなかったその薄情さ加減、エゴイズム
が体に応えた。放送が終わると私は、あらわに、なんと言う奴だ。
何と言う挨拶だ。お前の言うことは、それっきりか、それで
事がすむと思っているのか、という怒りとも悲しみともなんとも
つかぬものに、身がふるえた」。
8月15日上海。飛行機で撒かれた蒋介石のビラ。
「全国の軍民同胞諸君。われわれの正義が権力に
打ち勝つという真理はついに事実によって証明された。
わが中国が暗黒と絶望にとざされ、8年間奮闘した
その信念は今日はじめて実現した。・・・・・・
われわれ中国人は、旧悪を問わず、人に善をなすということが、
わが民族の伝統的な徳性であり、今まで一貫して日本軍閥
は敵とするが日本人民は決して敵と認められないと述べて
来たことを思い出さなければならない。・・・・・・
もし暴に報いるに暴をもってし、これまでの敵の誤った
優越感に応えるに、辱しめをもってするならば、
恨みは報い合って永遠にとどまるところがない。」。
人間は歴史を経なければその評価は難しい。
読書「ひとりで暮らすということ」(寿岳章子著:海竜社)
1995年発行。古本屋で100円。定価1500円。
英文学者 寿岳文章の娘。エッセー集。
午後4時過ぎ、ハイ君が私の部屋をノックする。
手紙を持ってくる。中を開ける。結婚式の招待状。
チャン・スアン・ソンさんから。
知らない名前。しかも私が「ハイリーホテル」に
いることを知っている人はそれほどいない。
バオミンさんに電話。バオミンさんも思い当たらない
とのこと。しかし、JASS代表私を明記し、
「ハイリーホテル」までわざわざ結婚式の招待状を
持ってくるのだから、私にかなり近い人に決まっている
と思い、色々な人を思い出すが、どうしても思い当たらない。
明日12月21日(日)午前11時からビーザーで結婚披露宴
を行うとの事。
ハイ君の所に行く。「手紙は誰が持ってきたの?」聞く。
「隣の人」とのこと。お隣さんの息子さんのソンさんが
結婚披露宴を自宅(つまり隣で)明日行うということだった。
隣近所になるのも何かの縁。わざわざ知らない外国人に
招待状を持って来てくれたのだから、出席しないのも
申し訳ないと思い、バオミンさんと相談し、私一人で
参加するこにする。
明日は、夜遅くまで結婚式の例の大音響『カラオケ大会』で
騒然とすることだろう。
午後8時、宇都宮縫製工業組合の佐藤さんと知り合いの
Kさん、「縫製研修センター」のKさんが日本料理店へ。
懇談する。午後9時半、懇談終了。
「ハイリーホテル」へ帰る。静岡の巣山先生から
送って頂いた「湯たんぽ」を使う。ホーローで出来ている
ので熱湯を注ぐことが出来る。私はフエに来てすっかり
寒さに弱くなってしまった。巣山湯たんぽで熟睡したい。
この半月ほどアレルギーなのか詳細は不明だが、腹痛、
吐き気があり、体中が痒くなっている。時々、唇が腫れたり
と。目がかゆくなり、鼻水が出る。スギ花粉症と類似の
症状。原因不明だが、掛け布団に原因ありと見た。
今日、掛け布団を取り替える。ある種のカビのアレルギー
かも知れない。困ったものだ。
洗濯。
先日、イラクを突然訪問したブッシュ大統領にイラクの記者が
靴を投げつけた。二つ目を投げる時『夫を亡くした妻、孤児、
イラクで殺された者からだ』と言って投げつけたそうだ。
西欧近代文明の基礎は「理性」だと思っていたがそうでもなかった。
既に近代西欧文明は理性が麻痺している。
イラクの記者がブッシュ大統領に靴を投げつけたことが下品か
どうかの論議はあるが、それ以上にこの米国のブッシュ大統領
が靴を投げつかられた程度で引退して良いのかという論議を
すべきである。ブッシュ大統領は、イラク侵略の際、フセイン
大統領が大量破壊兵器を持っている、アルカイダを支援していると
の理由でイラクへの侵略を合理化した。しかし、その後アメリカ
政府の調査団の正式な調査で二つの侵略の理由はあたって
いないとの調査報告が出た。ブッシュ大統領は大量破壊兵器
とアルカイダという意味では「無実」のフセイン大統領を
事実上「人道に対する罪」で死刑にした。
アジア太平洋戦争の「極東軍事裁判」では「平和に対する罪」
(国際法で、不法に戦争を起こす行為)で
絞首刑 7人
終身刑 16人
有期禁固刑 2人
判決前に病死 2人
訴追免除 1人
の判決が出ている。
イラク戦争を指導したブッシュ大統領は人道に対する罪でも
平和に対する罪でも起訴され処罰されるべき立場にある。
同時に世界で最初にブッシュ大統領のイラク侵略を
支持した小泉元首相の戦争支持責任も断罪されなければ
ならない。ブッシュ大統領も小泉元首相も未だに何ら
訴追も罪も裁かれていないことは、理不尽なことである。
フセイン元大統領がどんなにイラクで専制君主だったとしても
実質上ブッシュ大統領や小泉元首相が「死刑にする」権利はない。
イラク国民が決めることである。そうした意味では、靴を
投げつけた記者の言葉『夫を亡くした妻、孤児、イラクで
殺された者からだ』との言葉の重みを今一度考える
必要がある。権力をもっている人間は人殺しをしても
良いのかが問われているのだ。こうした問題を不問に
して人権を語ることは出来ない。
投稿者 koyama : 2008年12月20日 17:49