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2008年12月01日

久しぶりに晴れる

11月29日の夕方行われた静岡会館日本語学校の
「お楽しみ会」の続報

●お楽しみ会の式次第


●ゲームで楽しくひと時を過ごす



金曜日の夜から準備していた「お汁粉」(おしるこ)を食べながら
日本文化を実体験する。



午前中、曇り。時々晴れ。午後、太陽を見る。



午前5時半起床。読書「永井荷風」読了。
「花火」は明治以降の軍国主義の歩みを批判的に
分析した作品。

私の読みたかった「断腸亭日乗」(日記)は、開戦の
時と敗戦の時の日記。荷風は開戦も敗戦もほとんど
関心を持っていない風な態度が見える。

午前7時朝食。ブンボー。

午前9時、久しぶりに太陽が出たので散歩。30分。
いつ雨が降るか分からないので傘を持って散策。
「ハイリーホテル」の近くの川筋を歩く。

久しぶりの太陽で農家の人たちが牛を外に出し、草を
食べさせていた。

30分ちょっとの散策を終え「ハイリーホテル」へ戻る。

インターネットの接続が悪い。なかなか繋がらない。
繋がっても直ぐにきれてしまう。
何とか必要なメールを時間をかけて送信。

午前11時半昼食。

午後12時半から2時間昼寝。

午後2時半から読書「テロルの決算」(沢木耕太郎著:文芸春秋)
1960年10月12日、日比谷公会堂で行われた自民党・社会党
民社党の立会い演説会。7ヶ月前に社会党党首になった
浅沼稲次郎が「右翼」の山口二矢(おとや)に刺殺された。
私は丁度中学1年生だった。浅沼稲次郎の刺殺をテレビで見て
強い衝撃を受けた。本書は、山口二矢が何故浅沼稲次郎を
刺殺するに至ったのか、当時、浅沼稲次郎はどんな立場に
いたのかなどをルポルタージュした作品。1978年作品。
10%程度読んだが、私は山口二矢を「頭の可笑しい人間」と
思っていた。しかし、彼の家族、生い立ちを見ると、まかりまちがえ
ば、共産党や「新左翼」に入っていた人間であることが分かる。
二矢の父親は成城中学で校長の小原邦芳に師事。
同級生に大岡昇平、下級生に森雅之んどがいた。
東北大を出た自由主義者。新劇などの劇団にも
所属している。自衛隊の軍国主義化を阻止するとして、
警察予備隊に入隊。二矢の事件の際は、自衛隊の1左(昔の大佐)
だった。母親の父(二矢の祖父)は有名な作家村上波六。
二矢の育った家庭環境は一定程度の知識人の家庭である
自由主義の雰囲気をもった家庭であった。

午後4時、日本から電話。高校同級生のY君から。

午後5時ベトナム事務所へ。ホーチミン市に行っている
バオミンさんといくつかの電話連絡。

日本料理店には、ACAの村上さんたちがわざわざ
帰国する間際に日本料理を食べに来てくれていた。
ありがたいことである。

午後5時半、ACAの村上さん一行はフエ空港へ。

午後9時過ぎ日本料理店閉店。来客は5人。

今日の太陽を見てフエの雨降りの時期も峠を越えたものと
推測する。

投稿者 koyama : 2008年12月01日 11:48

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