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2008年12月02日
散歩で道に迷う
晴天
午前6時起床。
午前7時朝食。赤米のおかゆ。
今日も太陽を見る。昨日30分の散歩をした。
今日も「ハイリーホテル」付近の川を中心に散策に行く。
今日は川沿いを歩き、橋を渡り対岸へ行き、再度橋を
渡り「ハイリーホテル」へ戻るコースを考え歩いてみた。
対岸へ行く途中、「闘鶏」を見た。フエ郊外の農村では
今でも自宅で闘鶏用のニワトリ(多分シャモ)を飼い
闘鶏場で闘わせる娯楽が残っている。
川淵に直径1Mほどのトタンで円を作り、ニワトリ2羽を
入れて闘わせていた。しばらく様子を見た。お金を
かけている訳でもない。純粋に自分の飼育したニワトリが
どれだけ強いかを競っている。
ニワトリは相手をくちばしでつつく。2羽のニワトリの
羽と首と足をつつき合い、血だらけ状態。しばらくつつきあいを
していたが、1羽がトタンのサークルから場外に逃げる。
それで勝負が付いたようだ。
飼い主は、それぞれのニワトリを抱いて、水で血が吹き出ている
場所を引いてやり、くちばしに布を置いて水を注入。
ニワトリは、何かドロドロしたものを吐き出していた。
戦いで興奮し、口中に何か異物が出来たものと思われる。
飼い主は、ニワトリを愛でながら、体中を濡れた布で慈しみながら
拭いてやっていた。こうした遊びがまだフエの郊外の農村に
残っている事を初めて知った。対岸に渡り川伝いに歩く。
何軒かの農村の庭に闘鶏用のニワトリが飼われていた。
娯楽のない農村時代には、こうした遊びが娯楽だったの
だろう。
などと考えながら「ハイリーホテル」の付近の川の対岸を
歩いているとばかり思っていたが、違っていた。
フエ郊外の農村の中心部分に入っていた。
改めて道を変え、「ハイリーホテル」付近の川沿いを探す。
何となくそんな雰囲気の川を見つけしばらく歩く。
対岸に「ハイリーホテル」を見つける。しかし、川を渡ることは
出来ない。橋がない。延々と歩きやっと橋を見つけわたる。
結局、「ハイリーホテル」まで1時間半の散歩となった。
午前11時10分「ハイリーホテル」に着く。
昼食。
昼寝。1時間の昼寝。太陽が出て夏のような気候。
洗濯。屋上に干す。
「テロルの決算」(沢木耕太郎著)を読む。浅沼稲次郎の生い立ち。
三宅島から早稲田に入り、無産者運動へ。
愛国党の赤尾敏も戦前共産党に入党し、その後右翼へ。
浅沼稲次郎と三宅島で会っている。
戦前の社会民主主義政党に加入。戦争末期、体制翼賛会
に参加。「大東亜戦争」賛美、天皇制護持を主張。
戦後、社会党の書記長。
午後4時、インターネットが通じなくなる。パソコンに
ウールスが侵入したようだ。
午後4時半、ベトナム事務所へ。ベトナム事務所で
インターネットを開く。
午後5時半から日本料理店で夕食。
中華料理でいう「五目うま煮」。
ベトナム事務所に、日本発の郵便が2通届く。
1通は理由なく「開封」されていた。
ベトナムでは通信の秘密はない。
来客若干名。
午後9時、日本料理店を出て「ハイリーホテル」へ。
洗濯の乾燥。
投稿者 koyama : 2008年12月02日 21:55