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2008年11月30日

ACA-AQUAの皆さんと懇談

午前中晴れる。昼曇り。夕方晴れる。
久しぶりに太陽を見た。

午前7時起床。
午前9時過ぎ、バオミンさんから電話。今日はACA-AQUA
の皆さんがベトナム事務所を訪問されるとのこと。
朝食のおかゆを作っていたのだが、そのままにして
ベトナム事務所へ。

午前9時半~午後12時過ぎまで懇談する。
内容はACA-AQUAと一緒にマブチモーター会長が
組織しているマブチ財団からのベトナム青年への
奨学金支給の件。フエから日本の大学に留学する学生に
毎月必要な奨学金を支給するというプロジェクト。
マブチ財団はアジアの青少年の育成を目的としている。
2009年6月試験、9月からの支給をめざす。

午後12時過ぎ「ハイリーホテル」に戻る。
太陽が顔を出している。急いで屋上に布団を干す。
いつ雨が降り出すかわからないので、そとの状況を観察ながら
「全かゆ」を食べる。

メール拝受・送信。

午後3時、夕食の「ほか弁」15000ドン(88円)を買う。
ご飯の上に野菜炒め、豚肉炒めなどが乗る。
大学近くの学生相手の食堂。安くておいしい。

ACAの皆さんとの懇談を写すためのデジカメを持って
行くのを忘れてしまった。ACAの村上の撮ったデジカメ
写真を私のノートパソコンに入れてもらう。
村上さんからもらったベトナム事務所での懇談の様子を
撮った写真を私の「ハイリーホテル」の「PICASA」に
移し変える。

読書「永井荷風」。「濹東綺譚」読了。読んでよかった。
今回永井荷風を読みたかったのは、「濹東綺譚」を
読むことだった。
不思議な本ではあるが、「濹東綺譚」の書かれた時代背景を
理解しないとこの本の本当の意味は分からないのかもしれない。
1936年に書かれた本である。戦争の真っ只中。軍国主義の
はびこっていた時代。多くの「文士」が軍部の指示に従い
戦争を賛美し、従軍作家として、戦争を鼓舞した時代である。
日本共産党員作家の小林多喜二が築地警察で虐殺されたのは
3年前の1933年である。軍国主義を謳歌し、協力しなければ
非国民・国賊と非難された時代である。
そうした時代に戦争に一切背を向け、江戸時代の戯作文学に
没頭し、浅草の玉の井(墨田区北部の私娼街)に入り浸り、
その情景を本にまとめているという姿勢こそ、永井荷風
という反骨精神旺盛な人そのものなのだ。
偏屈に見えるのも、近代の確立された個人というものを
しかっりともっていたことを示している。
「濹東綺譚」で「私は元来その習癖よりして党を結び、
群をなし、その威を借りて事をなすことを欲しない。
むしろこれを怯(きょう)となして排けている。
治国(政治関連)のことはこれを避けて論外に措く。
わたくしは芸林に遊ぶものの往々社を結び党を立てて
己に与する(くみする)を揚げ、与せざるを抑えようと
するするものを見て、これを怯(きょう:おくびょう)となし
・・・・・といっている。近代の徹底した個人主義である。
その裏には知性と教養の裏打ちがある。
戦後「文化勲章」をもらってもその姿勢は
一貫して「非主流」「反体制」的な生き方をしていると
思える。玉の井の私娼のお客を取る様子、玉の井の
下町の「人が一人通ればすれ違うのも難しい」裏路地
での庶民の生活が克明に綴られている。
荷風は何事も「自説」を持っている。「濹東綺譚」の中で暑い
夏に銀座のカフェーに入る。夏は銀座のカフェーでは
アイス紅茶、アイスコーヒーしか出さないとして、
暖かい紅茶、コーヒーを出す「万茶亭」にわざわざ行っている。
紅茶と珈琲は、香りで飲むものとの自説・こだわりが
ある。冷たくすると香りがなくなって、紅茶、珈琲を
飲む意味がないと言っている。小さなことにも
拘る性癖を持っている。よく言えば自分を持っている、
悪く言えば「自分勝手」とも言える人生を歩んでいる。
「濹東綺譚」を読むと永井荷風の読書欲には驚く。
こどもの頃から死ぬまで古本屋を回り、本を読んで
一生が終わった人かも知れない。
昭和11年(1936年)の時点で荷風はこんなことを
言って当時の若者や流行を批判している。
「彼らは店の内が込んでいると見るや、たちまち
鋭い目つきになって、空席を見出すと共に人ごみを
押し分けて驀進(ばくしん)する。物をあつらえるにも
人に先んじようとして大声を揚げ、卓子を叩き
杖で床を突いて給仕人を呼ぶ。中にはそれさえ待ちきれず
立って料理場を覗き、直接料理人に命令するものもある。
日曜日に物見遊山に出かけ汽車の中の空席を奪い取ろう
がためには、プラットホームから女子供を突き落とす事を
辞さないのも、こういう人たちである。
職場において一番手柄をなすのもこういう人たちである。
乗客の少ない電車の中でも、こういう人たちは五月人形の
ように股を八の字に開いて腰をかけ、取れるだけ場所を
取ろうとしている。何事をなすにも訓練が必要である。
彼らはわれわれのごとく徒歩して通学した者とは違って、
小学校へ通う時から雑踏する電車に飛び乗り、雑踏する
百貨店や活動小屋の階段を上下して先を争うことに
馴らされている。
自分の名を売るためには、自ら進んで全級の生徒を代表
し、時の大臣などに手紙を送る事を少しもおそれていない。
自分からこどもは無邪気で何をしても良い、何をしても
咎められる理由はないものと解釈している。こういう子供が
成長すれば、人より先に学位を得むとし、人より先に
職を求むとし、人より先に富をつくろうとする。この努力が
彼らの一生で、そのほかは何もない」と書いている。
72年前の記述である。今日の私たちが日常思っている
こととあまりにも共通性があり驚いてる。

今、ベトナム・フエに現れている現象は72年前に
永井荷風が詠嘆した当時の日本人と同じである。
「ホリエモン」が『お金儲けをしてなぜ悪い』
といったが、これほど「はしたない言葉」はない。
今の日本は「ハシタナイ」ことをはしたないと
思わない人々のやり放題の社会だ。
と同時にまさにフエの私の身の回りの
何人かの人間は、「はしたない人間」」の
サンプルといっていいような人がいる。
お金と出世のためなら、恩も義理も仲間の
全て捨ててしまう、人非人とも言える階層が
存在している。


午後5時過ぎ夕食。昼に「おかゆ」を少し食べたきりなので
空腹。
フダビールを飲む。するめを焼いて醤油をふりかけ、
冷蔵庫に2日ほどおくと美味しいおつまみになる。
今日は「井上陽水」のCDを聞きながら飲む。
「5月の別れ」などは落ちついて聞ける。いっそセレナーデ
も飲んで聞く時の歌。

フダー缶ビール2本。その後、「志太泉」(しだいずみ)
純米大吟醸(静岡県藤枝市志太泉酒蔵)を冷やして
飲む。JASS静岡の会のある方からの差し入れである。
するめをおつまみに「心太泉」を口中に入れ、転がすと
何ともいえない日本人の心が感じられる。魏志倭人伝
以来お酒は人間の生活につきもの。
ただし、清酒を飲むようになったのはそう遠い昔ではない。
昔は濁酒。(どぶろく・・・・)。吟醸酒は大名のお酒と
聞いたことがある。ベトナムで最高級の日本酒が
飲めることに感謝。確かに「するめ」と日本酒はあう。
今日は日曜日。休日であるが、午前中仕事をしたので
「午後の飲酒権」を獲得したと自認している。
この種の日本酒の味を知っている人こそ真の
「愛国者」なのである。「志太泉」を送ってくれた方に
感謝する。政界では「偽愛国者」が連日テレビに出ている。

洗濯。1週間溜まった衣類・タオルなどを洗濯する。

投稿者 koyama : 2008年11月30日 18:00

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