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2008年09月12日

地球の歩き方5班の出迎え

終日雨

昼の気温30度。午後6時の気温28度。寒く感じる。

午前7時朝食。朝、肌寒く感ずる。精進料理うどん。

午前中、静岡大学関連の文書を書く。
静岡大学の教務部長先生へ電話。いつくかの打ち合わせ。

ある「賞」の申請書を渡辺和代さんが探して送信してくれる。
必要事項を記入する作業を始める。

午前11時半。昼食。

海老と豚の甘辛煮、空芯菜のニンニク炒め、野菜スープ。

午後12時半から昼寝。気候が急変し、寒くなり体調も良くない。
だるい。疲労もたまり頭が働かない時に限って、頭を使う仕事
がたくさんある。現在、10個ほどの仕事を平行して進めている。
寝ている時も、横になっている時も常にこれらの問題の
解決策を考えている。最善の策は何かを。子どもたちに
取って何が一番良い策なのか? 全ての可能性の
シュミレーションをいつも頭の中で行っている。

30分昼寝をしたが直ぐに目が覚めてしまう。

読書「グローバリズムと不平等 階級社会」
イギリス人の著作だが、非常に興味をそそる内容。
世界で最初に工業化したイギリスで労働者がどのように
発生し、どのような階級・階層の中に位置していたのか?
労働者の運動はイギリスではどのような歴史と展開をしたのか
を歴史的に辿ってゆく。『階級』という言葉の語源から始る。
ラテン語のCLASSISであり古代ローマ人が課税の目的で
6つの身分(RANKやSTATION)に分けられていたことを
意味する。西欧では階級(CLASS)という言った概念が意味を
持つ以前、個人の社会的な地位の表現として使われた。
中世では3つの身分(ESTATE)。貴族・聖職者・平民。
階級(CLASS)という言葉が使われるようになったのは、
18世紀フランスの「百科全書派」の著作以降。
マルクスがブルジョアジ(仏語)ーとプロレタリアート(仏語)との間
には非和解的な利害の対立があるとの見解を表明。マルクスは
階級が生産手段に対する関係を表現していると喝破した。
資本家は作業場や鉱山工場を所有し、労働者は
売るべき労働力以外何も持たない。
プロレタリアートの語源はラテン語のPROLETARII。
これは最下層の貧困階級を意味し、子孫を残す以外に
資産を持たない人々を指す言葉であった。その意味では
現在の私は100%PROLETARIIであるといいたいが、
「子孫を残す以外に資産を持たない」の「子孫を残す」
の部分にさえ既にその資格を失っているような感触を
もっているので、PROLETARIIを僭称することさえできない
存在なのかもしれない。社会の最下層のPROLETARII
の更に下層に私は位置しているのかもしれない。
英語でプロレタリアートは、1853年に最下層の階級を
軽蔑して使われたのが最初の現代的な用例だそうだ。

ブルジョアジーは少し複雑な経過をたどっている。ラテン語の
BURGUSとドイツ語のBURGが「城塞」によって守られた
町を意味する。そこから中世のフランスでは農民や貴族に
対する市民を表す言葉であった。17世紀、フランスでは
商業的中産階級(貿易や商取引に従事する人)を指していた。
フランス革命前、貴族はブルジョワジーという言葉には
軽蔑の意味を込めて使っていた。英語圏では、今でも
プロレタリアートもブルジョアジーも外国語の響きを
持っているそうだ。

午後3時、引き続き「某賞」への申請書を書く。

午後5時半、地球の歩き方5班の宿泊するホテルへ行き、
バスでフエ空港へ。今朝、バオミンさんがホーチミン空港へ
出迎えに行った地球の歩き方5班の皆さん(14人)が
午後6時20分にフエ空港へ到着。今回は小学校1年生も
参加。私とクアンさん、バオミンさんで市内まで案内。

市内のフォー(米の麺)専門店でフォーの夕食。

午後8時、地球の歩き方5班の投宿するホテルへ到着。

諸注意を行い、ホテルで20分ほど待機し、問題がないことを確認し
引き上げる。

投稿者 koyama : 2008年09月12日 22:29

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