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2008年07月30日
北海道のSさんご家族、「子どもの家」訪問
晴天
午前5時起床。
読書「古典落語 正蔵・三木助集」(ちくま文庫)
正蔵「あたま山」。
午前7時朝食。
フエ名物「ブンボーフエ」。地元の家庭の主婦の
手作り。本物。美味しい。
「ハイリーホテル」の住人も皆さん元気に活躍している。
私も含め、暑さに少々辟易している傾向あり。
午前8時過ぎ、ベトナム事務所へ。
バオミンさん・税田さんと「当面の諸問題」について協議。
午前8時45分、北海道札幌のSさんご家族(3人)が
ベトナム事務所を訪問。Sさんは、4年前に地球の歩き方
スタディーツアーで「子どもの家」を訪問。その後、ご自分の
通っている札幌の大学に私を招請し、講演会を開く。
講演会にご両親も参加してくれる。その際、Sさんご家族と
知り合う。ご両親とも教員。お父さんは、現在校長先生。
1時間半ほど、「子どもの家」の活動、JASSのめざすもの
などを話し合う。
午前10時、Sさんご家族を案内し「縫製研修センター」へ。
その後、「子どもの家」を訪問。各施設を参観し、子どもたちと
交流。
午前11時半、子どもたちと一緒に昼食を摂る。
Sさんご家族と色々と話す。お父さんの校長先生の
人柄が話の端々からにじみ出ている。
こういう校長先生となら一緒に仕事をしたいな、などと
思ってしまう。昔の「金沢嘉一校長先生」を彷彿とさせる。
こういう校長先生が一人、また一人と教育現場から
いなくなっていく時代になってきた。あと1年半で退職だそうだ。
「子どもの家」の子どもたちと一緒に私も昼食を摂る。
海老と豚肉の甘辛煮、野菜スープ、ご飯。
午後12時半から1時間ほど昼寝。実際の気温40度以上の
室外、室内を歩き回ると疲れる。
読書「正蔵・三木助集」。「花見酒」。
本書は8代目林家正蔵(蝶花楼馬楽→正蔵→彦六)
と3代目桂三木助(4代目は私も多少の知り合いだったが
自殺)の1950年、60年代頃の落語の「速記本」である。
午後3時、JICAベトナムの関係者と電話で話し合う。
午後4時、ベトナム事務所へ。バオミンさん・税田さん
当面の諸問題について、話し合う。
午後5時45分、日本料理店の皆さんと夕食。
大塚さん・税田さん・いぶき先生・千草先生・
5人の日本料理店の子どもたち、「ハイリーホテル」の
警備員ハイ君。10人。皆さんそれぞれの分野で活躍。
日本料理店は、リー店長、トゥーイ副店長をはじめ
5人の子どもたちが頑張って仕事をしている。以前よりも
仕事に対して積極的、前向き。
今晩の夕食
午後7時過ぎ、日本人2人来店。欧米系2人。
午後8時半、オーストラリア人の家族3人来店。
英文ガイドブック「ロンリープラネット」を読んだと言って
来店。私に色々と質問をしてくる。子どもたちや貧困の
対して「自説」を持っている家族である。
メルボルンから来たというご家族。ご両親と息子さん。
JASSの活動に感動したとして、オーストラリアドルを
寄付してくれる。
午後9時45分閉店。7人の来客あり。
護送船団方式で「ハイリーホテル」へ。午後10時。
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今日、成田でベトナム航空の飛行機が煙を吐き、
その後発火。一部が燃えたとのこと。
ベトナム航空が墜落事故を起こしたのは、10数年前。
ホーチミン市からカンボジアのプノンペンまでの
途中。知り合いの高野道朗さん(元JALホーチミン支店長)が
運悪く乗り合わせて死亡した。現在、高野道朗メモリアル基金
から支援金を頂いている。それから10数年、大きな事故が
おきていない。ベトナムで生活して15年。その国民性と
お役所など関係者の仕事振りをみていると、金権体質、
工事の手抜きなど目に付くところ多数あり。
いつか「大きな航空事故が起こっても不思議ではない」
と個人的には思っていた。今回は、大きな事故に至らず
ほっとする。
以下、新聞の報道
『30日午前7時40分ごろ、成田空港に着陸し、ターミナルへ
移動中のホーチミン発ベトナム航空950便の
ボーイング777―200型機(乗員・乗客277人)右側主翼下
第2エンジン部分から煙が出ているのを、管制官が発見した。
同機は第2旅客ターミナルビル前で停止。煙はいったん収まりかけ
たが、乗客が降りた後の午前8時半ごろ、同エンジン部分から
炎が出たため、消防車17台が消し止めた。けが人はなかった。
この影響で、同空港の暫定平行滑走路が、
午前7時46分から約15分間閉鎖された。国土交通省は、
航空事故の恐れがあったと認定。
航空・鉄道事故調査委員会の調査官3人を派遣して原因を調べる。
同省によると、エンジンから少量のオイルが漏れて引火した可能性が
あるという。』
投稿者 koyama : 2008年07月30日 17:38