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2008年07月28日
停電
終日快晴
午前5時起床。
読書「アジアの聖と賤」(野間宏等著)
午前6時半、シャワーを浴びる。電気湯沸かし器を
止めたので少量だが必ずお湯が出来るようになった。
午前7時朝食。
キャッサバイモを粉にした「チャオバインカイン」。
カニの出汁が効いてうまい。
午前8時半、ベトナム事務所へ。
27日がバオミンさんの誕生日。ベトナム事務所で誕生祝い。
お祝いの品物とベトナム事務所員の寄せ書きを贈る。
今年( )才になったとのこと。二人のお子さんにも恵まれ
元気なご両親とも同居。ますます仕事と家庭で充実した
人生を送ることを願っている。
バオミンさんを中心にベトナム事務所員が一致団結して
子どもたちのために頑張って仕事をしている姿を
見て、私も感無量である。けして、易々とベトナム事務所
の運営が出来るものでもない。一部の心無い人々から
の中傷や攻撃もない訳でもない。そうしたことに
怯まず、バオミンさんを中心にベトナム事務所が
団結して活動を進めていることに感謝している。
オアシスの会の大塚さんもほとんどベトナム事務所員と
同様の位置にいる。
誕生会の後、バオミンさん、税田さんと「当面の諸問題」
について、突っ込んだ話し合いをする。2時間ほど。
午前11時半、「ハイリーホテル」で昼食。
午後12時半から1時間ほど昼寝。
その後読書「アジアの聖と賤」読了。
インド、中国、朝鮮、日本の被差別の人々の実態と
その歴史を作家の野間宏氏と京都大学の沖浦和光教授が
語ると言う形式で話は進んでいく。
インドと日本の被差別の人を支配している思想的根源は
「清と穢(え)」の思想。中国の律令制度には、「貴と賤」は
あるが、これは人間の身分の上下。
インド・日本の差別の思想的根源は「清浄と穢い(きたない)」という
概念で人間を見る思想にあると二人は話す。
インドのカースト制の「清・穢」思想の根源はヒンズー教に
あると。日本には中国から入った律令制の「貴と賤」思想に
仏教の「清浄と穢い」思想が結びついたと分析。
江戸時代から日本の被差別部落問題は始っている
という見解に対し、その基礎は、律令制とヒンズー教の
影響を受けて仏教が日本に伝来し、「清・穢」思想が
入ったところからその基礎が始ると説く。
清・穢思想は、穢い(きたない)職業と結びつく。
これは、仏教の殺生戒がその思想的根拠になっている
と指摘している。肉の解体処理、墓守、狩猟、漁業などに
従事する人間を「穢い人々」として位置づける支配階級の
政策に言及。アジア的視点で被差別問題を分析している。
日本の文化がこれらの人々に担われきた歴史を解き明かす。
説教節、歌舞伎、猿楽、人形浄瑠璃・・・・・・・・。
被差別問題は、暗く差別の苦しみと同時に日本の文化・
技術を底流から支えてきたことに誇りを持つ必要があるとも
言っている。
インドで野間宏氏が「こじきの老人」の後ろを歩いていたそうだ。
この老人の薄汚れた袋に何がしかのお金を入れるのは
同じように貧しい人たちだった、よろよろとして町を歩いて
いる物乞いの老人が車にぶつかりそうになったら、
ストリートチルドレンが老人を安全な場所へ連れて行った
場面が出てくる。私もこのような図式をベトナムで
何度も目にしている。お年寄りの物乞いの人に
何がしかのお金を上げるのは、自分も貧しい物売りの
おばさんだったりする。けして金持ちではない。
本当に貧しい人々はどこかで「連帯」の気持ちを持っている
のだろうか?
本書は1982年に書かれた。当時は、部落解放同盟と
全解連とが部落解放問題を巡って激烈な闘争をしていた
時期である。
15年前にフエに住み着いた。当時「貧しさ」を恥ずかしい
という気持ちで受け止めていた人はいなかったように
思う。「子どもの家」に「37 ストリートチルドレンの家」
という看板がかかり、貧困家庭証明証が発行され
医療費の軽減なども行われていた。皆が貧しかった
時代である。それから15年。著しい「経済発展」。
今、フエの人々や「子どもの家」の子どもたちの中には
「貧しさ」は『恥ずかしいこと』と思う人々が出て来た。
「子どもの家」から高校へ行っていた男子が、
高校通学を通して、友達などに「子どもの家」の
子どもだということをひた隠しにしていた。
自転車に乗っているのは、貧しい家の子どもと
思われるのが嫌で自転車に乗らない子どもたち
もいる。ベトナム・フエはこうした子どもたちや
大人が多数輩出している。お金があることが
人間の価値を決める唯一の基準と勘違いしている
人間の出現に戸惑っている。
午後3時半、ベトナム事務所へ。
リー君が昨日の日曜日、友達のオートバイに乗り
交通事故をお越し、手と足に怪我をした。
ベトナム事務所で仕事。
午後5時半、夕食。
なすのニンニク・唐辛子煮、人参と豚肉の煮物。
両方とも美味しい。
軽くフダビールを飲む。還暦を迎え、いつ人生が終わりになるかも
しれない時期に入ったことを自覚するようになった。
ということで、やりたいことは、もうしても良い年になったと勝手に
決め込む。1日の仕事が終わった夕食時には、大好きな
フダ生ビールを飲む「年齢的な権利」があると自己決定し、
軽く飲む。4日前に新しい生ビールを入れたとのことだが、
酸っぱくなり、美味しくない。既に発酵が進んでいる。
原因は不明。
午後7時、停電。日本料理店は充電式蛍光灯四灯でかなり明るい。
午後8時。停電が続き、来客もなさそうなので日本料理店を
閉店とし、帰宅する。
「ハイリーホテル」に着き、リー君の交通事故の怪我に
薬(抗生物質)をつけてやる。昨日怪我をして、今日は
「立派なかさぷた」が出来ていた。リー君の回復力に
驚嘆する。
「ハイリーホテル」で必要なメールの送受信。
投稿者 koyama : 2008年07月28日 07:48