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2008年07月22日
停電
晴天
午前5時半起床。血圧/体重測定等。
シャワーを浴びる。シャワーのとってをバスタブ近くに下げると
電気湯沸かし器の電気がつく。
午前7時朝食。フォー。美味しい。
「ハイリーホテル」の住人は「擬似家族」。1日一度か二度は
擬似家族全員で顔を合わせ食事をする必要がある。
皆さんの顔色や様子を見て体調が悪くないかなど
フエでの海外活動が出来るかどうかをお互いがチェックする
ことが出来、助け合って子どもたちの支援活動が遂行できる。
午前中は、関係者に長文のメールを送る。
部屋の荷物の整理。灰谷健次郎と一緒に写った写真が
2枚出てきた。小さな額に入れて部屋に飾っておく。
灰谷健次郎も既に鬼籍に入ってしまった。
リー店長。「ハイリーホテル」の5階から1階までの
階段の掃除を復活。「いつまで続くか?」などと
醒めた目で見てはいけないと思いつつ、醒めて目で
見てしまう。それだけ、何度もこの階段掃除では、
開始ー断念を繰り返している。
午前11時半昼食。天気予報では36度言っていたが、
外の気温はゆうに40度を超えている。暑い。
イカの煮物、魚の煮物、青菜のスープ、ご飯。
午後12時半から1時間昼寝。
バオミンさんは、地球の歩き方スタディーツアー第1班の
出迎えのため早朝から ホーチミン空港へ行っている。
ご苦労様。
読書「物語 戦後文学史(中)読了。
1945年から50年。「国民文学論」をめぐる論争。
竹内好の「魯迅論」。1950年のコミンフォルムの日本共産党
批判以前の竹内好による日本共産党批判。
朝鮮戦争勃発とその原因。本書は1966年に書かれた。
その時点では、朝鮮戦争を北朝鮮がしかけたのか、
韓国・米軍がしかけたのか分からなかった。本書の
本多秋五氏も「どちらにも戦争をしかける可能性と必然性が
ある」と言うような論評をしていた。
現在では、北朝鮮の金日成が仕掛けた戦争であることが、
歴史的事実として確定している。
安部公房の登場とその難解さ。そして安部文学の
変転。安部の共産党入党。
午後3時、ベトナム事務所へ、停電。
この調子では夜の日本料理店開店時まで停電は続きそう。
大塚さんから「今日は、夜停電になっても日本料理店を
続けたい。日本料理店内と厨房に蛍光灯を買って欲しい」
との要望を受ける。ソン君・リー君と一緒にドンバ市場
近くの「フエの秋葉原」へ行き、日本料理店内用の
蛍光灯と厨房の蛍光灯を各1台ずつ買う。
この蛍光灯は24時間「充電」すると5時間ほどは、電気が点くと言う
代物。
日本料理店で大塚さんに見てもらう。こんな蛍光灯で良いとの
こと。ソン君とリー君に再度「フエの秋葉原」へ言って、更に
1台ずつ買って来てもらう。
充電をしていない。ソン君・リー君と私で「ハイリーホテル」まで
蛍光灯4台を持って行き、充電する。
私はそのまま「ハイリーホテル」に残り、午後5時15分に
充電途中の小型の蛍光灯1台を持って日本料理店へ
戻る。
午後5時半、日本料理店の夕食。小型蛍光灯1つで
食事。その途中、停電が解除され電気がつく。
当面、7月27日までは停電が続くとの「噂」あり。
多分、電気をたくさん使う9月一杯までは、停電が
断続的に続くものと思われる。今後、14組の
スタディーツアーの皆さん全員が一度は日本料理店で
食事をする。その際、停電になり真っ暗な中での食事では
申し訳ない。今日買った蛍光灯を今後の停電の際、活用する
予定。更に日本料理店内には2台ほど蛍光灯の追加が必要
ということが分かった。
数時間の停電で「フダ生ビール」は温かくなってしまったのか?
テストのため「試飲」。冷たい生ビールのままだった。
そのまま試飲が続く。
午後8時半、東京荒川区の教職員の仲間Sさんが突然
日本料理店を訪問。旧交を温める。東京の教育現場の話など
意見交換をする。
フランス人グループも来店。
午後10時前閉店。
護送船団方式で「ハイリーホテル」へ帰る。
午後8時過ぎ、バオミンさんは地球の歩き方スタディーツアー
第1班を引率し、夕食を摂りホテルへ到着とのこと。
明日から地球の歩き方の皆さんとの活動が始まる。
投稿者 koyama : 2008年07月22日 07:08