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2008年02月01日

久しぶりの休日

晴天


寒い。

1月23日フエを出て昨日まで9日間連続活動。
さすがに疲れる。
文字を読むのも少し嫌になって来ていた。

午前8時起床する。
午前10時半西台発のバスで「板橋温泉」へ。
自宅を出て西台駅まで行く途中、たくさんの受験生が
歩いていた。
今日は我が家の裏にある大東文化大の入試。
地図を片手に入試会場へ。駅前では業者や大学関係者が
案内をしていた。
私の大学入試は1967年2月。この寒さと受験生を
見ていると40年前の大学受験時代の空気と雰囲気が
一気に蘇ってきた。父親が急死し、翌年弟が白血病で
入院。6ヶ月間弟の病室のベッドの下に畳を敷きラーメン屋に勤め
ながら看病をした。1966年11月に弟が亡くなる。勉強をする
時間もなく、お金がない。私立大の授業料は出せない。
受験料を払うお金もなかった。たった一度の受験。
寒い2月に受験をした当時の不安な、未来が見えなかった
頃が蘇る。たった一校の大学受験だった。人生とは不思議な
ものである。私の人生は断崖絶壁に立つことが何度かあった。

西台から送迎バスに乗り15分。板橋温泉へ。
バスには、70代のおばあちゃんが5人ほど乗り込む。
板橋温泉で3時間ほどゆっくりと温泉に入り、休む。

読書「旧約聖書を知っていますか」(阿刀田高著:新潮文庫)
堅苦しい文章でなく、旧約聖書の解説本。
ユダヤ教では、本書は「聖書」。旧約とつくのはキリスト教。
アブラハム→イザク→ヤコブ→ヨセフ→モーセ→ヨシュア→サムソン
→ダビデ

イスラエル人がカナンの地に定着するまでの苦難の歴史の
概略を知る。
旧約聖書を読んで一番感じることは、非常に排他的且つ
選民主義的な考えに貫かれていること。絶対神の指示
であれば、かなり酷いこともしているように読めた。

昔、イタリヤのフィレンツェで「ウフィッツ美術館」へ行った。
ミケランジェロのダビデ像があった。ダビデが片手に石を持っていた
のだが、この本を読んで若いダビデがなぜ石を持っていたのかが
分かった。


板橋温泉の帰り古本屋へ。
「ワーキングプア」(NHKスペシャル ポプラ社)
「噺家のカミサン繁盛記」(郡山和世著 講談社文庫)
定価の半額。

与謝野源氏本3冊はフエにおいてくる。在日中に読む本と
して買う。

今後の講演会の講演内容の原案を作成。
2月4日 宇都宮講演会
  5日  足立4中教職員研修会(レジュメを作成)

午後7時過ぎ一杯飲む。昨夜ご馳走になったOさんから
頂いた食べ物をおつまみに。

毒入り餃子事件。日本中が大騒ぎ。テレビでもコメンテーターが
検査体制の不備を指摘している。
最大の問題は、我が日本人が食料の60%を海外に依存している
ということである。
自国で食料を調達するということは、「先進国」では常識。
歴代の自民党政権が農業を切り捨て、繊維産業を切り捨ててきた。
アメリカからの要求にしたがっている。
愛国心や美しい国などと言っている御仁こそ、愛国心のない
人々である。今回の毒入り餃子事件を契機に日本の農業を
再生させる必要がある。今後の温暖化問題などを考えれれば
近い将来、食料輸入が難しくなるいことは、自明の理。
食料自給は国の安全保障の根幹である。


今日は早めに寝る。明日から4日間の活動。


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『石塚啓子先生母校の小学校で講演会』

昨年末まで静岡会館日本語学校の教師をしていた
石塚先生が、帰国後、母校の小学校の道徳の時間に
「ベトナムの体験談」を話す授業を行った。
こうしてフエから帰国し、その体験を日本の子どもたち
に伝える活動をしてくれることが私には一番嬉しいことである。
フエでの生活・日本語学校の仕事などで得た石塚さんの
体験を基にした「異文化体験」の話は子どもたちの心に
響いたものと思う。石塚先生に心からお礼を言いたい。

以下、石塚先生からのメールの抜粋。

「母校の小学校で道徳の時間に、いろいろな方面で地域で活躍して
いらっしゃる方を招いてお話を聞いているとのことで、
私は4回目のその時間に呼ばれました。
今週の水曜のことです。ベトナムのことを紹介したり、
私がそこで何をしていたのか、JASSについて、などを話して
欲しいとのことでした。

私にできることなら、と思い、お引き受けしました。
福田もえ子JASS代表委員長に相談し、京滋YOUの会の
藤井さんにプチバンベを送っていただき、お二人をはじめ、
家族の協力の元で成功させることができました。
私がベトナムで撮っていた写真を大きくして紹介しました。
子どもたちはとても反応よく、質問や投げかけたことに対して応え
てくれたりもし、私はその反応だけで心強く、楽しく話すことが
できました。
全校生徒32人の小さな小学校ですが、私の話を聞いて少しでも
何か心に残るものがあればいいなと願っています。
また、プチバンベを配ることで、少しでもJASSやベトナムの様子などに
興味を持って欲しいと思います。

これからも、こうして少しでもJASSのお手伝いができれば、と思います」

投稿者 koyama : 2008年02月01日 15:40

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