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2007年04月30日

ベトナム南部「解放」32年記念日

終日雨。朝から豪雨。気温が急降下。寒い。

午前7時、朝食。フォー。

午前8時半。ベトナム事務所へ。徒歩。

朝から異常な豪雨。台風のように風も強い。
いつも通る道は、30センチほどの浸水。
歩いてベトナム事務所へ行くことが出来ない。
回り道をしてベトナム事務所へ。

●ひざ近くまで水が出る。道路は完全に冠水


ベトナム事務所1階新日本料理店工事第4日目

ベトナム事務所1階の新日本料理店建築工事は順調に進行。

今日はベトナム「解放」記念日。祝日である。
しかし、民間建築会社は突貫工事で何とか5月10日~15日まで
の間に完成させたいと、今日は10人の職人さんを集めて
工事を進めていた。


朝7時前から工事が始まり、大塚さんが鍵を開ける。
税田さん、リー君、バオミンさんも工事現場の視察や
工事内容のチェック。

午前11時半までベトナム事務所の工事チェック。

昼食は精進料理の「ほか弁」(37円)。
昼寝。1時間。

読書「鴎外:山椒大夫」読了。
子どもの頃、小学校の図書館で読んだ「安寿と厨子王」
と同じ内容だった。内容よりは、鴎外の心理描写が
100年前とは思えないほど現代的だった。

「鴎外:二人の友」読了
この短文は、文京区小石川
から巣鴨など私の生活圏を描いている。90年ほど前の
小石川の様子。

「鴎外:最後の一句」読了。
「鴎外:高瀬舟」読了。
京都で島流しになる囚人は「高瀬舟」に乗り大阪に
渡り、島流しとなる。
ある同心が島流しの囚人を高瀬舟で京都から大阪
まで運ぶ任務につく。囚人になぜ弟を殺したか?と聞く。
兄弟は貧しく真面目に生きて仕事をして生活できない。
弟が剃刀で喉を刺して自殺したが、死に切れない。
「お兄さん、喉に刺した剃刀を抜いて欲しい」と言う。
これは、私は苦しいので剃刀を抜いて殺して欲しい
ということを意味する。兄は考えたが、剃刀を抜く。
丁度その瞬間を近所のおばあさんに見られ、
「人殺し」で捕縛され島流しになるという話。
鴎外はこの中で「安楽死」という医学の言葉を使い、
苦しんで「死なせて欲しい」という人がいても
苦しませたまま「最後まで殺さない」のが医療と言われるが
果たしてそれが本当の医療なのか?と問題を提起している。
鴎外は既に100年ほど前の日本で「ターミナル医療」に
ついての問題提起をしていたのだ。

午後4時。ベトナム事務所へ。
日本料理店建築の進捗状況視察。

午前中までは「箱庭の池」が午後には、工事で出たレンガや
セメントの廃材で埋められていた。非常に合理的なリサイクル
社会である。



カウンター付近に水道管が敷設された。仕事が速い。


厨房の「流し」も既に設置の準備が出来ていた。

午後5時、雨の中、「子どもの家」へ。

今朝の豪雨と暴風で庭の木の一部が折れていた。

7月に高校を受験する子どもたちは、特別支援教室プロジェクト
で雇った大学生の特訓を受けていた。

寒い夕方である。しかし、男子は相変わらず元気に
生活していた。男子の間で「茶髪」が流行っている。

今日の夕食は、ザウムオン(空芯菜)、アヒルの玉子焼き、
野菜スープとご飯。夕食だけでご飯は10キロ炊く。
1日最低20キロのご飯が必要。

ビショビショに濡れてトンチンカンホテルに帰る。

午後7時半、バオミンさん、リー君と一緒に「じゃむじゃむ」
の佐藤さんを出迎えにフエ空港へ。

刺傷事件があったリー君。その後の動向が不安なので
一緒に出迎えに行くようにした。
毎日3食しっかり食べて、抗生物質・痛み止めを飲むように
言っている。傷の痛みは少しずつ減っているとのこと。

午後8時ホーチミン市からフエに着く予定だったが、10分早まる
とベトナム航空からの知らせ。しかし実際には午後8時10分着。
栃木県にあるベトナム支援ボランティア団体「じゃむじゃむ」の
佐藤さんが無事フエ空港に到着。記念写真を撮る。

バオミンホテルに行く途中、空港から夕食レストランの
「フォーサイゴン」へ。

軽く地ビールを飲み、フォーティェウやチャーハンを
食べる。

午後10時、フォーサイゴンを出て、バオミンホテルへ。
佐藤さん、お疲れ様。今夜はリー君と佐藤さんは
見事に英語で意思疎通。リー君の実践的英語も
結構行けるのだと改めて分かった。

朝から豪雨の「南部解放」32年だった。

投稿者 koyama : 2007年04月30日 20:04

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