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2007年04月27日

JASS日本料理店新規開店決定

晴天

暑い

午前7時朝食。フォー。

トンチンカンホテルに隣接している「ズイタンホテル」の玄関前が
私たちの部屋のまん前にある。
毎朝、午前5時から9時位の間、観光に行くための宿泊客を
待つバス、小型車などが待機している。お客さんが乗車した時、
エヤコンが効いているように乗車の30分ほど前からエンジンを
かけている。マフラーからは、排ガス規制無視の「黒煙」が
吹き出ている。毎日午前中は、「真っ黒な排煙」をたっぷりと
浴びて起床している。逃げようにも逃げるところがない。
CO2と発ガン物質を多量に含んだ黒煙・排ガスは部屋中に
充満している。昨年から朝起きると目やにがでるようになった。
痰がひどくからむ。気管支炎にかかりやすくなった、などの
諸症状がある。何よりも道路で真っ黒な排気ガスをはき出しながら
走る大型バスの後ろをオートバイで走っているようなものである。
人間が住む場所ではない。何とかしなければ、本当に体を壊す。
悲しいかなオーナーは何も知らない。
朝の新鮮な空気が吸えないだけでなく1日中、部屋のドアは全て
閉めておかなければならないが、立て付けが悪く隙間が多い。

午前8時過ぎ、徒歩でベトナム事務所へ。
午前8時半、ベトナム事務所で元日本料理店の子どもたち5人
が英語の勉強。(水・金)。
子どもたちの真摯な態度に「私たちも頑張らなければ」と決意を
固める。

午前10時。臨時のベトナム事務所員会議を開催。
昨日、6人の子どもたちが持ってきた「日本料理店再開」
要望書をみんなで検討する。現在「子どもの家」の子どもたち
の就職のため研修(英語・日本語)を行っている。
しかし、昨日(4月24日付け)「日本料理店で仕事をしたい」
との子どもたちの要望書を受けた以上、日本料理店を
再開すべきだとの結論に達する。
元日本料理店は私が全額支出して作った私的な日本料理店
である。
この際、JASSベトナムとして「子どもたちの自立」
「ベトナム事務所の財政自立」のために日本料理店を作った
方が良いとの意見が出て、最終的に今までのような
個人的に作った日本料理店ではなく、JASSベトナムと
して作ろうということになった。
但し、JASSベトナムはお金がないので、ベトナムの庶民が
いくようなお金をかけない日本料理店にすることが確認された。
また、必要な機器(冷蔵庫・冷凍庫・・)、皿、などは
元日本料理店で使ったものを再利用し、必要最低限の
費用で日本料理店を作ることになった。
早速、JASSベトナム日本料理店建設実行委員会を
立ち上げる。

●総括責任者    バオミン(総合調整)
●総合デザイン
  コーディネーター 大塚(内装全般)
●事務局長      税田(連絡調整)
●副事務局長     仁枝(連絡調整補佐)
●事務局員      ベトナム事務所員(全業務への協力)

昼食。
昼寝。疲れを感ずる。1時間。
読書「鴎外:興津弥五衛門の遺書」読了。
  鴎外は、5歳から漢書講読を始めている。
  本書は、全て漢文で書かれている。非常に勉強になる。
  

午後3時、建築会社を選定。
(フール小、「縫製研修センター」を作った会社)。
直ちに建築会社担当者を呼び、日本料理店建築の相談をする。

大塚さんに新日本料理店の総合デザインを依頼する。
基本は現在のベトナム事務所1階を改築せず、そのまま
使用するということ。

バオミンさん・大塚さん・税田さん・仁枝さんで明日から
日本料理店をどんな手順で作っていくのかを相談する。

5月10日~15日位には日本料理店を開店したという
ことで一致。改めて、建築会社に早期建築終了を
要請する。建築会社からは明朝から「全力で頑張る」との
返事だった。

バオミンさんとベトナム事務所の「大家さん」へ挨拶と
日本料理店開店の話に行く。大家さんは家賃の値上げを
要請してくる。足元を見ての態度だ。ベトナム事務所を
借りたときは、借り手がいないので何とか借りて欲しい
と頼んできたのに。仕方がない。ある程度の値上げは
甘受しよう。具体的な金額はバオミンさんと大家さんとで
交渉することにした。

今日1日、何だか非常に疲れた。
私が持っているベトナム事務所とトンチンカンホテルの
2台のパソコンが壊れてしまう。ウイルスの侵入。

投稿者 koyama : 2007年04月27日 12:40

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