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2007年04月26日
ベトナム数学オリンピックで「ニャンさん」銀メダル受賞
晴天
気温30度。湿度65%。
今日はベトナムで初めての「フン・ヴォン王記念」の祝日。
この祝日は、元「南ベトナム」(ベトナム共和国)の祝日だった。
1975年のベトナム南部「解放」後、社会主義国となった
ベトナムでは、「南ベトナム」の祝日は全て廃止された。
今年、この「南ベトナム」の祝日が復活した訳である。
事情は不明であるが、フン・ヴォン王は紀元前に存在した
という「神話」上のベトナム建国の国王とされている。
現在、ベトナム社会はドイモイ政策の下で、貧富の格差は
想像以上に増大している。
また、共産員やその幹部の腐敗堕落、汚職、ワイロ問題は
真っ当に生きている国民の不満の根源でもある。
言論、集会、結社、表現の自由はない。
フン・ヴォン王の記念日を祝日として復活することにより、
国民的な合意・団結を作り上げようとの共産党政府の
もくろみが見え隠れする。
また、1975年4月30日のサイゴン陥落で収束して
ベトナム戦争。その後、北の共産党が事実上中部・南部を
占領支配している現状がある。旧南の人たちの現政権への
不満はこの32年間、くすぶっている。旧「南ベトナム」の
祝日を復活することにより、旧南北ベトナムに住んでいた
人々の国民的和解を促進しようというねらいもあるのだろうか?
午前9時。ベトナム事務所へ。大塚さん、税田さん、仁枝さん
といくつかの問題の打ち合わせ。
午前9時半。「子どもの家」へ。
4月21日(土)。コックホック高校で「ベトナム南部解放記念」
数学オリンピック大会が行われた。ホーチミン市など「南部」、
フエ・ダナンなど「中部」、そしてタイグエンまでのベトナムの
3分の2の地域から1934人の「数学超天才」が集合。
年齢は16歳・17歳。高校1年・2年生。
この数学超天才少年少女大会で「子どもの家」のニャンさんが
見事に第2位。銀メダルを取るという快挙を成し遂げた。
大変なことである。私たちも誇りに思う出来事である。
毎年「世界数学オリンピック」が行われている。
ベトナムと日本の「世界数学オリンピック」の成績は以下のよう。
各国6人の参加者の総合成績。
●1990年 54ヶ国参加 ベトナム不参 日本(20位)
●1991年 55ヶ国 ベトナム(9位)、日本(12位)
●1993年 73ヶ国 ベトナム(9位)、日本(20位)
●1999年 81ヶ国 ベトナム(3位)、日本(13位)
●2000年 82ヶ国 ベトナム(5位)、日本(15位)
●2002年 84ヶ国 ベトナム(5位)、日本(16位)
●2003年 82ヶ国 ベトナム(4位)、日本(9位)
●2004年 85ヶ国 ベトナム(4位)、日本(8位)
●2005年 91ヶ国 日本(8位)、ベトナム(15位)
●2006年 90ヶ国 日本(7位)、ベトナム(13位)
上記の一覧を見てもベトナムの数学の水準の高さが
分かると言うものである。
一部の日本人は、ベトナムは単純に貧しい国、だから
何かを「教えてあげなかればならない」などと尊大な
態度でベトナムに来る人もいる。
上記世界数学オリンピックの結果をみれば、ベトナムが
その大半は、日本を圧倒して上位にいることが分かる。
今回、1934人中、第2位になった「子どもの家」の
ニャンさん(16歳)は、ベトナム全体の「世界数学オリンピック」
代表に入る可能性は濃厚である。代表は6人。
今回の大会は、ハノイなど一部が不参加なだけ。
ベトナム全土を網羅しても世界大会の代表6人に十分入る
可能性がある。「子どもの家」のニャンさんはベトナムの国家的
な貴重な宝であり頭脳である。
昨年の8月、ニャンさんは「子どもの家」に入所してきた。
私とバオミンさんでニャンさんの家を訪問し、家庭調査をした
結果、入所が適当と判断し、入所が実現した。
フエのあるトゥアティエンフエ省(人口100万人)の
中学3年生全員の数学試験を実施。上位36人が
フエ科学大学へ入学することになった。
ニャンさんは36人の中に入った。しかし、家庭が
貧しい。フエ郊外で農業をしている。
父親は48歳で農業。母親は45歳で病気。
兄弟5人。農業収入は、毎月3000円程度。
到底子どもたちを学校へ通わせられない。
正確には「食べることさえ」事欠くのが実態だった。
こうした家庭の貧しさを知っているニャンさんは
父親に「フエ科学大に入学できるが、家が貧しい。
勉強は好きでしたいが、家族が貧しく、自分がフエ科学大
に入れば、家族に迷惑をかける。私は中学を卒業したら
働いて、家族のために頑張りたい」と話す。
ニャンさんは18歳の姉の次の年齢。下に14歳、11歳、
8歳の妹と弟がいる。父親は数学が抜群に出来る娘が
フエ科学大学の特別コースで勉強出来るので是非入学
させたいとの気持ちは持っていたが、実際に家族7人が
食べていける農業の実態ではない。悩み抜いた父親は
村長さんに相談。村長さんは、「フエ市内に日本人が
やっている子どもの家があるので相談してみらどうか」
との助言を与える。その結果、私とミンさんが家庭調査
に行くことになった訳である。
もし、私たちがフエ市内に「子どもの家」を運営していなかったら
間違いなくニャンさんは中学で仕事を始めていた。
「子どもの家」があったためにベトナム国家としても貴重な
頭脳が生かされることになった。本来は、ベトナム政府
共産党がすべき仕事だが。
ニャンさんの生活を聞いてみた。
フエ科学大学の授業。月から土まで。午前7時から11時半。
午後1時~5時。特別な授業が行われていることが推測できる。
以下、1週間の授業内容である。高校1年の年齢である。
数学(12時間)、物理(3)、化学(3)、歴史(1)、地理(1)、
英語(3)、国語(3)、技術(1)、公民道徳(1)、
コンピュータ(2)、生物(1)、体育(3)。
午後5時、学校の授業が終了し、「子どもの家」へ帰る。
その後、毎日4時間から5時間「子どもの家」で勉強するとのこと。
就寝は毎日午前0時を過ぎていると言っていた。
よく勉強をするものだ。特別な頭脳をもっている上にこれだけ
努力しているのだ。
ニャンさんが「子どもの家」でしっかりと成長し、自分の能力を
十分発揮して、希望の進路を進めるよう応援を続けたい。
日本の里親のN村T子さんの支援に感謝したい。
「子どもの家」を一回り視察する。
フエ高等師範大学2年生のユオンさんの部屋に大学の
同級生が遊びに来ていた。
しばらく教育のことを話す。3人とも来年9月から小学校の
先生になるという。先日、教育実習をしたそうだ。
疲れたと言う。子どもたちを教えることの大変さを体験したが、
自分たちは子どもたちが好きで小学校の先生になることに
誇りをもっていると、控えめに話していた。
子どもたちと同じ視線に立った「やさしい教師」になってもらいたい。
ユオンさんとの付き合いも長い。「子どもの家」創設当時入所
の第1期生である。元日本料理店接客係りのグエットさんの
姉。「子どもの家」第1期生も段々いなくなってきた。
ユオンさんはあまり目立たないが性格の良い素直な子である。
今日も1日中、メール送受信不能。
投稿者 koyama : 2007年04月26日 17:21