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2007年04月25日
DUOC君の退所式
デジカメ寄贈に感謝。
デジカメを頂いた。栃木県から4月末来訪されるSさん
より新品1台の寄贈。(訪問時、寄贈)
香川県在住・京滋YOUの会Eさんより中古デジカメの寄贈。
この日記上をお借りして、お二人に心からの感謝を
申し上げたい。
お二人以外に何人かの方から心温かい寄贈の話あり。
ベトナム事務所として「何台でもあればよい。もらえるだけもうらう」
という姿勢はない。。子どもたちや事務所活動に必要な
最低限度のご支援で活動を進めて行きたいと決意している。
JASSご支援の全国の皆さんの素早い反応に驚き且つ感心した
しだである。
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晴天
30度。70%。
気温が8度下がる。寒く感じる。
午前7時、朝食。フォー。
午前8時半、徒歩、ベトナム事務所へ。
今日から元日本料理店員(6人)の英語の授業。
6人は、ベトナム事務所に何とか仕事を世話して欲しいと
自らやって来た子どもたちだ。
フエ市人民委員会外務部員が英語の先生を買って出てくれた。
ホンニー・グエット・フエン・トゥオイ・リーの5人。ターオ君は、
「勉強しない」とのこと。
英会話中心に授業は進む。
先生「あなたはどこから来ましたか?」
リー君「アメリカから来ました」。
先生「何日間、フエに滞在しますか?」
リー君「二日間」。
などというような形で授業は進んでいった。
1時間の授業が終わり、1階の玄関まで見送った時、子どもたちが
「先生に話がある」という。
子どもたちが集まり、代表してホンニーさんから「要請書」を手渡される。
ざっと目を通す。「日本料理店を再開して欲しい」という趣旨のようだ。
子どもたちはいつこんな話し合いをしたのであろうか?
先日は、イン君が代表して「日本料理店で仕事をしたい」と
言って来た。今日は、公式の文書での要請である。
6人全員のサインもある。誰かが手書きで書いた文章である。
子どもたちがこんなに日本料理店に自分たちの人生をかけていた
のか、と思うとつい目頭が熱くなる。子どもたちは並々ならぬ
決意で日本料理店再開を要望しているのだということが良く分かる。
「君たちの気持ちは良く分かった」と応えるしかなかった。
●子どもたちが書いた「要請書」(ベトナム語)
●子どもたちの要請書(ハンさんに翻訳してもらった日本語版)
子どもたちからの突然の要請書をもらい、今後どうすれば良いのか
を考えようとした矢先、税田さんから「学生さんが突然訪ねてきた。
先生に会いたいと言っている」とのことで学生さんと会う。
現在3年生で1年休学し、アジアを旅しているとのこと。
1時間半ほど話し合う。
昼食。コムディア(75円)
昼寝。
読書「森鴎外:百物語」読了。
午後3時、「子どもの家」でDUOC君(23歳)の退所式を行う。
DUOC君と母親(53歳)、セン所長、ロック寮長、バオミンさん、
小山
(セン)DUOC君は長い間「子どもの家」で生活していた。
本来は18歳で社会に出るのだが、フエ高等師範大学に
入学し、勉強があるので今日まで「子どもの家」にいた。
現在23歳になる。他の子どもたちより5年以上長く
「子どもの家」で生活していた。
今回、本人から「母親と同居し一緒に生活したい」
との強い申し入れがあり、退所式となった。
日本の里親の若林さんから長い間の支援があったことを
DUOC君は忘れないように。
(母親)私は生まれつき足が弱い。長い間の支援に感謝している。
私は53歳になる。もう息子の世話になりたい。
息子と同居して生活したい。
(小山)DUOC君。喫茶店の仕事、お母さんとの同居、そして
大学通学とすごく大変な生活になるが、頑張っていける?
(DUOC)仕事をしながら、母親の面倒を見て、必ず大学で勉強
します。
(小山)「子どもの家」から大学へ通うということをもう一度考えて
欲しい。
(DUOC)仕事をしながら母と同居したい。その上でフエ高等師範
大学に通って勉強する。自信がある。心配しないで欲しい。
(母親)私も息子と同居したいので、どうしても「子どもの家」を
退所させて欲しい。私は足が少し弱いので疲れやすい。
もう、息子の世話になって楽な生活をしたい。
(小山)二人で同居するということだが、どうるすの?
(母親)二人で下宿して、パン屋を始める。
(小山)パン屋開店の資金はあるのか?
(DUOC)資本金は僕が持っているので安心して欲しい。
(ミン)今日で「子どもの家」での支援は終わりとなる。
今後はJASS事務所が里親の若林さんの意向を受けて
直接支援する形となる。
毎月20日にベトナム事務所に来るように。その際、
里親の若林さんからの在宅支援金を手渡す。
20日にベトナム事務所に来た際には、勉強の現状報告、
生活の実情について必ず報告するように。
(DUOC)分かりました。約束します。
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以上で「退所にあたっての最終確認」を終わる。
続いて退所式。
●ロック寮長「退所の誓約書」を朗読。
「2007年4月25日。DUOC,母親、セン所長が同席。
DUOC 1984年4月14日生まれ。1997年9月入所。
この間、DUOCの生活はJASSを通して若林氏より
頂く。本日、本人と母親の希望で退所する。
今後のDUOCのことは、母親の責任となる。」
母親とDUOC君、セン所長のサイン。
母親は諸般の事情で字が書けないため拇印とする。
最後にDUOC君と母親のお礼の言葉があった。
(DUOC)JASSと里親の若林さん、「子どもの家」のスタッフの
皆さんに長い間面倒を見て頂きました。
本当に有難うございます。皆さんのお陰で大人になる
ことが出来ました。心から感謝します。
(母親)長い間、息子の面倒を見て頂き感謝したい。
今日から息子と一緒に住むようになる。責任を
もって息子の成長を見守りたい。
(セン)DUOC君は10年間、「子どもの家」にいて大きくなった。
今回の退所はDUOC君、あなたの希望です。
お母さんと協力して生活して欲しい。勉強が第一です。
退所しても「子どもの家」と関係が切れた訳ではないです。
困ったことがあったら「子どもの家」やJASSベトナム事務所
に来て欲しい。社会に出ると色々と問題もある。
社会や仕事をあまり甘くみないように。
(小山)DUOC君、「子どもの家」退所、おめでとう。
里親の若林さんの長年の支援、心から感謝する気持ちを
持って欲しい。今後も在宅支援となり引き続き若林さんが
支援してくれる。若林さんの期待を裏切らないよう、日々の
努力と研鑽を続けて欲しい、
これから一番大事なのは、「勉強」である。
仕事と勉強の両立は相当難しい。頑張って欲しい。
これで退所式を終了。
その後、記念写真を撮影。
DUOC君とは10年間の付き合いである。こうして23歳となり
母親と同居し、仕事をしながら大学へ通うという。
並大抵の努力では難しいことであるが、何とかDUOC君が
大学を卒業し、音楽の先生になることを祈っている。
また、長い間DUOC君を支援してくれた若林さんには心から
感謝したい。また、これからの在宅支援も宜しく。
「子どもの家」では中学3年生が「高校受験勉強」をしていた。
今年は7人ほど受験するすそうだ。こうして一緒に勉強しながら
お互い励ましあっているもの「子どもの家」ならではの
光景である。全員の合格を祈る。
心臓の手術をしたターオちゃんはすっかり元気を取り戻し
高校受験のお姉さんたちに混じって勉強したり遊んだり
していた。
東京から1ヶ月のボランティア体験出来ているMさん。
お父さんがJASS初代代表岩辺さんの知り合いとの
こと。
毎日「子どもの家」へ行き、子どもたちと遊んでいる。
Mさんは、ピアノが上手だ。子どもたちにピアノを
弾いてあげたり教えてあげたりしている。
午後6時。フエ市内某所で某共産党幹部と夕食会。
午後8時近くまで。ブダビールを20本ほど飲む。
トンチンカンホテルに戻ると大塚さん、税田さん、
仁枝さん、石塚さんがちょうど夕食を終わって、
懇談中。
早速、闖入し、元日本料理店の残滓である
生ビールを飲む。1時間程。
部屋に戻る。明日は、ベトナムの休日。
もう少し飲むか・・・・。久々に日本酒を飲みたくなる。
訪問者からの差し入れ。冷やしてあった「久保田万寿」を飲む。
大塚さんが作ってくれた『するめの軽炙り』をおつまみに。
長い1日が終わった。
投稿者 koyama : 2007年04月25日 13:25