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2007年04月21日

ベトナム事務所員会議

晴天 真夏。

気温31度。湿度70%

★終日、メール受信できず。
(送信される方は koyama1947@yahoo.co.jp まで)

午前7時、朝食。ブンボー。

午前8時、徒歩でベトナム事務所へ。日本の支援者から
電話。日本料理店閉店についての問い合わせなど。

午前8時半、ベトナム事務所員会議

(ソン)日本語の勉強をした
(石塚)観光コーステスト
    上級コーステスト
(ラーム)特に、何もしなかった
(ハン)給料支給の準備、支援者と里子からの手紙の翻訳
(税田)日本語学校で日本語を教える。毎週2回。水、金、
     午後5時から7時まで。
     今週は、上級4クラスの授業をした。
     退所した里子のチュン君。ホーチミン市に行ったが
     母親と連絡が付く。今年里親の方から頂いた支援金の
     残金を里親へ渡す手続きをする。
(サン)上級、ガイドコースの授業
(ミン)ODA縫製研修センターの会計監査の準備。
    最近「子どもの家」退所者が数人いる。
    現在59人。5月3日に2軒の家庭調査を行い、入所が必要と
    判断されれば、入所させる。5月3日は、小山・ミン・ロック、
    じゃむじゃむの佐藤さんで家庭訪問を行う予定。

★日本語学校主任のフーンさんは体調を崩し、今週1週間
 休んでいる。
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続いて、バンベー第31号の編集会議を行う。
前号までは、日本事務所の西山優子さん(現JASS東京代表)
が中心となってバンベーの編集作業を行っていた。
2007年2月4日の総会決議で、「JASS機関紙は現地ベトナム事務所
で基本的に作成する」方針となった。
今回は「JASSベトナム」として初めての独力でのバンベー編集作業と
なった。『現地の自立』などと掛け声ばかりでは意味がない。
現地の自立は、具体的・実践的な行動が伴って初めて意味のあるもの。

バオミンさんからJASS機関紙「バンベー31号」(ともだち)の編集
内容の提案があった。参加者の意見、質問などの後、基本的に
提案内容が了承された。
バンベー編集はベトナム事務所員全員で行うことにした。
ベンベー編集という作業を通して、今JASS全体が行っている活動は
どんなものなのか? JASSの抱えている問題は何か?など
JASS全体像をベトナム事務所員全員が考える良い機会である。
またJASSベトナム事務所員が、JASS全体の問題を考え
全体の中の「現在している自分の仕事」という自らの活動の
意義と位置づけを理解して欲しいとの気持ちもある。

●編集会議の内容


編集会議終了後、昨日閉店した日本料理店の店員だった
リー君とフエンさんがベトナム事務所を訪ねてきた。

バオミンさん、ハンさん、税田さんで応対し、子どもたちの
希望、考えをじっくりと聞く。子どもたちはしっかりとした大人の
考えを持つようになったことに10数年間の子どもたちの
成長を感じた。また、二人とも「仕事する」ということに
強い生きがいと喜びを感じていることが分かった。

(リー君)
自分は小山先生と10数年付き合っている。
家族がなく、生活が出来なかった時に「子どもの家」に入れて
もらい、今日まで生活してきた。昨日、急に日本料理店が閉店と
なり、今後、自分はどうして生きていけば良いのか困っている。
何とか今後の自分の生き方、生活の方途などについて相談に
乗って欲しい。今、自分は20歳となった。きちんとした人生を
歩んで行きたい。自分の力で仕事をしたい。何か仕事を紹介
して欲しい。

(フエン)
私は1994年に父親が胃がんになり入院・手術をした。
その時に小山先生に助けてもらった。その2ヶ月後に
17歳の姉が服毒自殺をした。その頃、母親は既に死んでいいない、
父親は病院に入院。頼りにしていた姉が自殺し、弟と妹と
私(9歳)。通夜や葬式、生活など、何も出来ずに困っていた。
その時、小山先生と渡辺和代先生が家に来てくれ、
御通夜とお葬式のお金を全額出してくれた。また、私と妹を
在宅支援にしてくれた。それから今までお世話になり大人になった。
2年前から日本料理店で日本語の勉強や仕事をさせてもらいながら
通信制高校も卒業させてもらった。感謝している。
昨夜、日本料理店が閉店になり、私はずうっと泣いていた。
これから自分の人生はどうなるのか不安だ。私は自分の力で仕事を
したい。仕事をして生きて行きたい。どんな仕事でもしたい。
何とか仕事を紹介して欲しい。

伝言ではあるが、「子どもの家」のニー、グエット、トゥオイさんの
3人娘も来週、ベトナム事務所に今後の身の振り方について
相談に来たいと言っているようだ。


リー君、フエンさんと1時間ほど話す。二人の希望をじっくりと聞く。
給料を2ヶ月分もらったので当面の生活は心配していない。
その間に何か仕事に結びつくことをしたい、出来たらJASSに関係
する仕事させて欲しい、というような話もしている。

バオミンさん、ハンさん、税田さん、リー君、フエンさんと話し合い、
リー君は『臨時ベトナム事務所手伝い』として採用することにした。
月曜から金曜まで午前8時半出勤でベトナム事務所の雑用などの
手伝いをすることで本人も合意した。

フエンさんは、英語と日本語を勉強したいという。
来週からベトナム事務所3階で「週2回英語教室、1回はソン君の
日本語教室」を実施することにした。
希望する元日本料理店員がいれば一緒に英語と日本語のスキルアップ
を行う機会を作ることにした。リー君も希望した。
とりあえず、来週月曜日から金曜日まで、リー君とフエンさんは
ベトナム事務所に来るよう話す。

午後12時。トンチンカンホテル1階で昼食。
大塚さん、税田さん、仁枝さん、石塚さんと。
久しぶりの仕事のない土曜日の午後である。
(今までは日本料理店の昼の開店があった)
軽くフダ生ビールを飲み、皆さんの作ってくれた
手作りカレーを堪能する。

日本の支援者から電話。日本料理店の件など。

昼寝。

YAHOOのメールにいくつか受信。
返信。

日本料理店で食べていた夕食がなくなる。
食欲なし。
午後8時半、久々の夜の入浴。
その後、元日本料理店の残っている
フダ生ビールを飲む。「もったいない」の精神?
夕食の食欲なし。

読書「鴎外・百物語」続きを読む。

早めに就寝。

何だか疲れた。起きている間は、常に何かを
考えている状態が続く。無意識のうちにいくつかの問題の
シュミレーションを頭で行っている。軌道修正を繰り返す。
それを何度も繰り返しているのだが、意識してのことではない。
日本料理店問題、フエ高等師範大学日本語学科問題、
夏のスタディーツアーのこと、「子どもの家」、「縫製研修センター」、
「アクセサリー研修センター」、造船研修生問題・・・・・・・・。

「季節病」というのがあるそうだ。急激な気温の変化があった場合、
体が気温の変化についていけない現象。
頭痛・・・・・・。フエに戻って11日目。気温変化が10度から15度位
ある。季節病のきらいあり。頭痛、腹痛、痰のからみが続く。
フダ生ビールを飲むと季節病が治るような気がする。

明日の統一地方選挙後半戦と参議院議員福島・沖縄補欠選挙、
フランス大統領選挙結果が気になる。

フランスの大統領選挙は、アメリカ流の「新自由主義」(大きな
貧富の格差があっても良い。自己責任だ)を主張する保守・民衆
連合のサルコジ候補と社会の公平と人権を基調にしたヨーロッパ流
の経済政策を主張する社会党のロワイヤル候補。
フランスの大統領選挙は、対立軸がはっきりしている。
日本の選挙が白けるのは、対立軸が不明確なのだ。
自民党と民主党はほとんど対立軸がないままである。
日本の選挙の対立軸は自民党と共産党である。

私がフランス大統領選挙に危惧を感じるのは、極右国民戦線
のルペン候補である。極端な人種差別、外国人排斥を主張。
日本の安倍首相と基本的には同一の立場である。
同じ保守でも加藤紘一氏などの「良識」をもった保守もいるが、
現在の日本の保守は、小泉首相以来、異常なアメリカべったり
と北朝鮮への強硬姿勢だけが目立つ。安倍首相は日本版
ルペン。ルペン候補が首相になってしまい、急遽表面的な
路線を『修正』しているのが、安倍首相である。
従軍慰安婦問題を謝罪した「河野官房長官談話」に反対した
安倍氏である。従軍慰安婦の狭義の強制はなかった
などと世界では通用しない国会答弁をした首相。
親分のアメリカや世界の良識から強烈な批判を浴び、
昨日、「従軍慰安婦問題で国として謝罪する』という趣旨の
発言に「修正」を余儀なくされている。
フランス大統領選挙で極右ルペン氏の動向が注目される。
今後のヨーロッパの流れを占う選挙でもある。
アメリカの格差社会を容認する『新自由主義路線』『グローバリズム
路線』が勝利するのか、格差是正、人権路線が勝利するのか、
ヒトラーをほうふつさせるペロン極右が勢力を伸ばすのか?
日本の政治にも影響を与える選挙でもある。

投稿者 koyama : 2007年04月21日 20:37

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