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2007年04月11日
オアシスの会田畑さん夫妻懇談
小雨。曇り
気温22度。湿度90%(トンチンカンホテル廊下測定)
★日本滞在中(4月3日、4日)の火炎樹日記に
写真を追加する。
★今日は終日、メールの受信が出来なかった。
日本からベトナム事務所宛てに送信された方には
お詫び。ベトナム側プロバイダーの事情か、日本から
送信されたメールは、全て受信拒否されている。
フエで生活をしていると「暑い・寒い」の分水嶺は25度である。
25度を割ると寒く感じ、長袖やセーター、ジャンバーが必要となる。
午前7時朝食。フォー。
午前中、日記を書く。
午前10時、ベトナム事務所へ。ベトナム事務所の皆さんに
ベトナム帰国の挨拶。
ベトナム事務所もやっと落ち着きを取り戻してきた。
2月末から3月一杯で300人ほどの訪問者を迎え、案内や
説明、生活等のお世話をした。訪問者の大きな波がやっと
去り、現在は2人の男性の中期ボランティア体験(2週間から1ヶ月)
を受け入れている。ベトナム事務所も何となく落ち着いた雰囲気が
漂っていた。
正午頃までバオミン・JASSベトナム運営委員長、
税田さんと不在中のベトナム事務所の活動、当面の取り組み、
諸問題等について意見交換。
昼寝。
読書「山椒大夫・高瀬舟」(森鴎外著:新潮社)
森鴎外の明治43年から数年間の短編をまとめたもの。
山椒大夫・高瀬舟以外の短編は9編。
1910年頃書かれた短編。丁度100年ほど前の作品で
あるが、明治維新を終えた東京の雰囲気、当時の知識人
の意識が良く分かる。短編「杯」「普請中」を読む。
鴎外がドイツに留学したこともあるが、やたらフランス語
、ドイツ語が出てくる。日本語で言える簡単な単語を
フランス語やドイツ語を使う鴎外の意識構造に当時の
知識人の精神構造をみた。アザレエ(つつじ)、
ロドダンドロン(石楠花・しゃくなげ)、クウヴァエエル(ナプキン、
スプーン、フォークなどのセット)、カナル(運河)、バチスト(高級麻布)
ヴォラン(縁飾り)、ブリュネット(褐色がかった髪の娘)
などは全てフランス語。
「普請中」は、鴎外がドイツに留学しドイツ人女性と恋愛をした
経験を下敷きにして、ドイツ人女性と日本人の官吏の簡単な
会食中の会話。
午後2時半、オアシスの会(船上生活者の医療支援NPO)の
田畑さんご夫妻・大塚さんとベトナム事務所で懇談。
オアシスの会のフエでの活動について意見交換。
JASSベトナムは、オアシスの会の現地の代理人を引き受けいている。
現在、オアシスの会は、大塚さんを現地代表として派遣している。
8000人と言われる船上生活者の医療支援を行っている。
医療船を運営し、毎日フォン川に医療船を浮かべ、コロニーを
形成している船上生活者を訪問し、治療や医療相談を行っている。
医療船には、医師、看護師、薬剤師が乗船している。
また、船上生活者の多い、フーハウ地区の診療所内に
船上生活者のための無料診療を行っている。
オアシスの会の現地代表の大塚さんは、午前中、医療船活動を
行い、昼から夜10時まで日本料理店の店長と私たちの活動も
支援してくれている。今回は田畑さんご夫妻で現地の活動を
視察に来られた。
午後6時半、日本料理店で田畑夫妻、バオミンさん、大塚さん
税田さん、石塚さん、私の7人で会食交流。午後10時まで。
投稿者 koyama : 2007年04月11日 07:43