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2006年11月29日

読売新聞取材第2日目

晴天

暑い。真夏。外に出ると数分で汗。

午前9時。U記者、バオミンさんと一緒にフエ市立病院へ。
市立病院院長兼フエ市人民委員会厚生部長兼障害児医療センター
所長でもあるBUI(ブイ)氏と面接。インタビュー。
フエ市厚生行政の責任者として私の活動をどう評価しているのか?
を聞く。BUI先生からは障害児医療センター(国際ソロプチミスト
東京ー東設立)の活動成果、JICA4年間の障害児支援活動の
内容などをかなり詳しく説明。特に「フエ市障害児父母の会」活動
について詳細説明。

午前11時。フエ名物「ブンボーフエ」を食べる。

昼、「死の彼方までも」(三浦綾子著:講談社文庫)読了
巣鴨お地蔵さん近くの古本屋で100円。1983年版。

三浦綾子の作品は長編の「氷点」などが知られているが、
この本は短編集であるが、実に含蓄のあるものだった。
三浦綾子の著作を貫くバックボーンは、キリスト教。
この本では「人を本当に信じるということはどういうことか?」
を問い、正直で真面目な一般庶民の奥底に潜んでいる
「悪」「罪」というものを深く追求している。どんな人間にも
その奥底に罪な部分があると訴えているように読み取れた。
4つの短編のどれを取っても答えの出ない、問題提起とも
思える内容ではあるが、同時に人間の本質とは何なのかを
深く追求する姿勢が読み取れ、答えは出ないとも思えた。
最後の短編「逃亡」は非常に興味のある内容であった。
戦前の北海道。貧しい庶民が樺太(サハリン)原野の
開拓に狩り出される「たこ部屋」を描いたもの。
あまりに過酷な労働にたこ部屋労働者が脱走をする。
シェパード犬数頭が見張りをし捕まる。
見せしめのリンチは凄惨そのもの。竹で殴り続け失神させ、
最後に火の燃え盛る棒をお腹に突き刺すというもの。
王子製紙の雇用。
三浦綾子は「人間が人間扱いされないという時、そのかげ
には、必ず、横暴な大資本家や非常な国家権力がある」
と書いている。
以前、三浦綾子の「母」を読んだ。戦前の侵略戦争に
反対したプロレタリア作家であり日本共産党員の
小林多喜二の母親を書いた長編小説である。
築地警察に捕まった小林多喜二は、その日に
築地警察の国家権力の陰惨な拷問によって
虐殺された。その遺体をみた多喜二の母親の
気丈な姿が印象に残った。戦前、国民全体が
戦争に酔っていた当時、「赤」「非国民」「国賊」
と罵られた小林多喜二の母親は、貧しい生い立ち
もあり学校へも行っていない。しかし「息子の
多喜二は悪いことはしていない」ときっぱりと
言う。三浦綾子は共産主義者ではなないが、
こうした多喜二の母親に共感し、国家権力の
暴力であるリンチ殺人を厳しく糾弾している。

午後2時。フーハウ診療所へ。この地区は
船上生活者の多い地域。
フーハウ地区の「障害児父母の会」を参観。
20人ほどの父母・障害児が集まり、
親同士の話し合い、子ども同士の遊び、
医師との懇談、最後にお菓子を食べての交流が
行われた。
診療所長のトゥー医師にインタビュー。
障害児父母の会の内容、意義、そして
この活動に果たす私の役割りなどを聞く。

午後6時半。庶民の大衆料理店「コードー」で夕食。
U記者、バオミンさん、税田さん、私。

投稿者 koyama : 2006年11月29日 10:23

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