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2006年11月28日

読売新聞記者現地取材同行

晴天

例年の8月・9月のような「真夏日」。
今年は私がフエに滞在した13年間ではかつて
なかった異常気象。例年11月末は気温20度を
割り、セーター、ジャンパーの防寒服装になる。
今年は気温32度。半袖シャツ1枚。世界中の
気候が大きく変化している一環か?

午前7時45分。読売新聞U記者、バオミンさん、
税田さん、フエ医科大学の先生(20人)と
一緒に「定期健康診断」。毎年定期的に4回実施。
フエ省立盲学校(62名)、フエ省立「子どもの家」(22名)
そして私たちの「子どもの家」(64名)。

初めにフエ省立盲学校へ。この盲学校が発足した
当初は私たちの「子どもの家」の近くにあった。
ベトナム戦争前に銀行の寮を借りていた。物も食べ物も
なかった。盲学校からの依頼で生活費、運営費の支援を
行っていた。
現在は移転し、大きな2階建ての盲学校となっている。
この盲学校はトゥアティエンフエ省内の目の不自由な
子どもたちの中で生活困難で家庭で生活できない
子どもたちを寄宿させて手話や点字、職業訓練などを
行っている。
健康診断開始前に主催者の私からフエ医科大学の20人
の先生方へお礼の言葉を言う。今回は内科、耳鼻咽喉科、
皮膚科、歯科、眼科の健康診断を行う。

フエ医科大学20名の先生の中には、太平観光北垣会長
から支給している奨学金(年間200万円;10年以上)を
もらってフエ医科大学を卒業し、こうして生活困難な
子どもたちの医療支援をおこなう人間が育ってきた。
何事もそうであるが、人を育てるということは、手間と
時間とお金と忍耐が必要なのである。
各科の診療を受け、最後に虫下しを飲み、お菓子を
もらい全て終了。

続いて省立「子どもの家」へ。ここには、22人の子どもたち
が入所。盲学校と同様の診療を行い、お菓子歯ブラシ、
歯磨き、石鹸をもらい終了。

最後の私たちの「子どもの家」へ。1ヶ月半ぶりに「子どもの家」
へ行く。10月の大きな台風で庭の大木3本が破損。
特に「子どもの家」の音楽室前の火焔樹は根元から折れて
しまった。

前半は午後に学校へ行く子どもたちの診療。
11時近くになり、午前中学校へ行っていた子どもたちも
帰宅し診療を受ける。
問診、内科、耳鼻咽喉科、皮膚科、歯科を終え、健康診断個人票
に記入。最後に虫下しを飲み終了。お菓子セットと歯ブラシ、
歯磨き粉、粉石けんセットをもらい全て終了。

午前11時半、子どもたちは昼食。

私たちは、チャオバンカン(フエ風煮込みうどん)を食べに行く。

午後1時、トンチンカンホテルの戻り、若干昼寝。

午後3時。フエ市人民委員会外務部へ。
U記者はニエン外務部長から取材。フエで私が行っている
医療活動の総括的な評価、効果などについて質問。
ニエン外務部長は一つ一つの活動を具体的に説明。
1時間ちょっとの取材を終える。

その後、若干時間があったのでティエンアン山の中腹に
ある中国茶園に行き、ウーロン茶を飲む。U記者、バオミンさん
私の3人。

午後7時、日本料理店「子どもの家」へ。
U記者、バオミンさん、税田さん、私で日本料理を楽しむ。
今日は大塚さんが市場で魚を買って来て、刺身にして
くれる。鯛のような魚の白身の刺身は美味。
午後9時過ぎまで会食。その後、日本語教師の石岡さん、
日本料理店ボランティアの仁枝さん、大塚さんも加わり
日本の諸事情などを話題に若干飲む。

投稿者 koyama : 2006年11月28日 19:48

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