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2006年11月27日

ベトナムへ「帰国」

東京は雨。

雨の中、京成上野駅へ。午前7時50分、京成上野発。
午前9時、成田第2ターミナル駅着。
ベトナム航空カウンターでチェックイン。荷物が重量超過とのこと。
2、5キロ。超過料金1万円程度を支払えと言われる。
ベトナム航空は自分たちの都合ならいつでも飛行機を飛ばさな
かったり、いくつかの便を合同したりと勝手気ままな運営をして
いる。2、5キロの重量オーバーに目くじらを立てて1万円もの
お金を支払えというのも「あこぎ」なこと。
「今まで何十回もVN便に乗っているが、重量オーバーで
お金を支払えといわれたのは初めてだ。」と聞く。
「決まりです」とのこと。先日、ハノイでAPECが行われ、
ベトナムもWTOに加入。世界の国々との協力関係を
強める方針を決めた。世界の多くの企業は「社会貢献」
をしている。私の荷物の90%はベトナムの貧しい
子どもたちの物。ベトナム航空も社会貢献という意味で
2、5キロ程度の重量オーバーに目くじらを立てずに
いてもいいのでないでしょうか?と聞き、名刺をだす。
カウンターの若い日本人女性は上司の所へ行く。
ややしばらく経って「わかりました。荷物をホーチミン市
までお届けします」とのこと。何でも言って見るものだ。

そんなこんなで時間をかけてしまった。急いで出国手続き。
掲示板を見ると「出発が10分早まる」と出ていた。
急いで待合室へ。読売新聞のU記者と合流。

予定より早く機内へ。10時30分発が10時20分となる。
機内でしばらく待つが出発しない。結局機内で
40分待たされる。何のことはない「10分早まるとの
掲示は嘘っぱちで、実際は40分遅れる」ということ。

機内で読書。
「死の彼方へ」(三浦綾子著;講談社文庫)

昼食。缶ビール2本。白ワインカップ1。
うとうとするうちにホーチミン市へ40分遅れで到着。
ホーチミン市は32度。暑い。

ホーチミン空港入管で一悶着。
私の切符はベトナムで買って日本へ行き、またベトナムへ
戻るもの。入管の公安警察は「ベトナムまでの切符しか
もっていない。なぜ、日本へ帰国する切符を持っていないの
か?」と。名刺を出し、フエでボランティアをしていると説明。
しばらく時間があり、入国許可となる。

読売新聞U記者と一緒に税関手続き。

午後4時半、ホーチミン空港国際線を出る。
その足で国内線へ。
国内線のベトナム航空カウンターにチケットを出す。
カウンターの若い女性は「あなたの名前はコンピューター
の乗っていない。従ってボーディングパスは出せない」
ときれいなハノイ弁で言う。そういわれても困ってしまう。
リコンファームをしている、名簿の登載されていない訳は
ない、と何度も言うが、カウンター女性は「聞く耳」を
持たない。更にしつこく「コンピューターをしっかり見ろ」と
言う。若い女性は上司の所に行く。上司がコンピューター
を操作する。若いカウンター女性に「KOYAMAさんの
名前はコンピューターにあるじゃない・・」と言っている。
若いカウンター女性がコンピューターの操作に不慣れだった
のだ。若いハノイ弁の女性は自分の無能を恥じず、
相手を攻めることしかできない可愛そうな人だ。
ベトナムに13年住んでこの種の無能で相手を攻撃
する人間を何人見たことか・・・・。
ニセ社会主義・官僚主義の実態。

1時間半ほどホーチミン空港国内線で待機。
午後5時半、ホーチミン空港発。プロペラ機。
2時間かけてフエ着。午後7時半。
フエ空港にはバオミン・ベトナム事務所長と
税田さんが迎えに来てくれていた。

読売新聞U記者、バオミンさん、税田さんと
一緒に「フォーサイゴン」へ行き、フォーを食べる。

長い1日だった。

投稿者 koyama : 2006年11月27日 23:52

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