« 自宅で仕事 | メイン | 巣鴨のお地蔵さんへ »

2006年11月21日

前JASS代表平野先生と懇談

晴れ

少し暖かくなった。

読書「江戸語・東京語・標準語」

午後、北区教育会館へ。
前JASS代表平野先生と懇談。平野先生は2002年度JASS代表
を勤めてくれた。

今回、12周年記念誌への投稿をお願いし、原稿の一部
不鮮明な点を解明。
今年、片肺の半分を切除する大手術をした。私はベトナムに
いたので手術の事実を知らなかった。今日は手術のお見舞い
も兼ねて懇親をした。

平野先生と初めて出会ったのは、1971年2月だった。
ちょうど35年前。
私はその年の4月1日に東京都公立学校教諭に採用され
北区立の小学校への就職が決まっていた。
私は就職するする前に教職員組合に加入ようと思い
北区教職員組合の事務所を訪問した。1971年2月の寒い頃
だった。
事務所は王子の飛鳥山の前にあった。北区教育会館。
事務所を訪ねると40年配の方が応対してくれた。
それが平野先生だった。「私は4月1日から駒込付近の
小学校に就職する者だが、教職員組合に加入したい。
手続きを教えて欲しい」と。色々話していくと、平野先生は
私の就職する小学校の先生だった。それから話が弾み
かなり長時間話し合った記憶がある。
当時、平野先生は北区教職員組合の専従書記長という
仕事をしていた。組合員は1600人ほどいたように思う。
この日の出会いから35年間、平野先生とは公私共に
お世話になっている。翌年1972年2月に私は結婚した。
平野先生ご夫妻に仲人にもなってもらった。
1980年頃、隣りからの出火で我が家が全焼した。その時も
色々とお世話になった。

平野先生も78歳になる。大きな手術をされ、大丈夫だろうか?
と私も心配だった。北区教育会館で懇談をしたあと、昔懐かしい
駒込の行きつけのおすし屋に行く。


平野先生は手術後ということもあり、コップ一杯のビールしか
飲めなかった。代わりに私がかなり飲んだ。
78歳になっても北区教育会館理事長として、毎日出勤。
教育会館の管理・運営を行っている。
午後11時近くまで35年間の思い出話をする。
考えてみれば平野先生が42歳、私が23歳での出会いである。
この35年間、色々な出来事があり、平野先生と共に過ごして
来たような気がする。いつまでも健康で長生きをして欲しい。

投稿者 koyama : 2006年11月21日 14:34

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://koyamamichio.com/mt-tb.cgi/1011

コメント