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2006年11月15日

教育基本法改正案与党単独採決に抗議。読売新聞記者懇談

午前中晴れ、のち曇り、夕方雨。寒い。

午前中、メール受信・送信。
昼、自宅を出て、午後2時、東京駅八重洲口へ。
読売新聞U記者と懇談。11月27日U記者と私でフエへ。
U記者がフエでの私たちの諸活動を視察する。

衆議院教育基本法特別委員会で自民・公明の与党は
野党全会派の欠席の中で採決を強行した。強く抗議する。
いじめ自殺、未履修問題、タウンミーティングやらせ問題など
教育をめぐる問題が山積している。これらの問題について
文部科学省、自民党・公明党は何ら説明をしていない。
学校・教育委員会・文部科学省自身がそれぞれの役割を
果たしていない現状の中で教育基本法という大きな問題を
論議する資格と時期ではない。
会期末という日程だけを考慮しての採決は、日本の今後の針路
に大きな禍根を残す。教育は国会百年の計である。
戦後の教育制度の抜本的な改悪を図ろうとしている。
国民的な論議も国会での十分な論議もないままに
日本の将来を左右する重大な問題を自民・公明という
特定党派だけで決めることは、一種のファシズムである。
教育基本法は単なる法律ではない。憲法と一体となった
基本法である。いわば、憲法である。憲法と教育基本法は
表裏一体のものである。こうしたファッショ的なやり方で
教育基本法の改悪を強行する自民・公明のファシズム的
問答無用的な体質に嫌悪を感ずる。教育基本法改悪は
同時に憲法改悪に連動している。
教育基本法を改めて読んでみた。素晴らしい内容である。
これから一層、国際社会で光り輝くものである。

「続きを読む」に教育基本法全文を掲載する。


午後7時のNHKのトップニュースは松坂大リーグだった。
情けない日本のマスコミの実態である。

子どもたちが「いじめ」で自殺している。学校は子どもたちの
自殺におろおろしている。教育委員会は本来の
任務を果たしていない。未履修問題(嘘とごまかしの教育)、
文部省は「タウンミーティング」でやらせ。
日本の教育は根本的に「狂って」いる。悲しい現実である。
子どもたちが先生に「助けを求めて」いるのに受け止められない
「素人教師」たち。学校の責任者として、子どもたちに目が向いて
いない校長など管理職。この5年間「いじめゼロ」という統計を
破廉恥にも出し続けた文部科学省。
子どもたちに責任を持っていない教育界。子どもたちの苦しみを
共感し、子どもたちに目と体を向けて対峙しない教育の世界。
50代の先生が大量に中途退職している。数年前までは、
小学校の教員採用試験は20倍などという高倍率だった。
今年の東京都の小学校の教員採用試験倍率は1,3倍だそうだ。
予想以上に「早期退職者」が出ている。「給料ではない、
こんな異常な教育の現場で生きて行けない」という50代の先生。

私は14年前に教員を退職した。その時、近い将来、学校現場は
大変な状態になると確信していた。

今の教育界のあたふたした状態の根源は既にこの10年、20年間
かかって作り上げられてきたものである。

最大の問題は「政治」である。
昨日の朝日新聞に石原都知事の「石原知事発言録」という
コーナーが掲載されていた。
いじめで自殺した子どもたちに対し、石原都知事は要旨「予告して
自殺なんかするな。大体甘ったれている。自殺するのは親と家庭が
悪い。気の毒だけど、私なんかは、子どもにけんかの仕方を教え
ましたよ。僕なんかだって転校してきた時にいじめられた記憶が
あるが、やっぱり、自分で戦ったらいいと思うね。こらえしょうが
ないだけでなく、ファイティングスピリットがなければ一生、どこへ
行ってもいじめられるんじゃない。」と記者会見で発言し、
いしめられた子どもに根性がない、いじめられた子どもの家庭に
問題がある、自分は子どもにけんかの仕方を教えたとして、
いじめられる子どもたちに問題があるとの認識を示した。
東京都知事がこの程度の認識で「いじめ自殺」問題を考えている
所に今日のいじめ自殺問題の深刻な実態がある。
今のいじめと昔のいじめの根本的な実情を理解していない。
こうした都知事が、君が代、日の丸だけには異常な執念を
持っている。子どもたちや人間に興味と執着を持っていない
ことが分かる。いじめられる子どもたちが悪い、家庭が悪い、
けんかの仕方を覚えて、いじめられる子どもたちがいじめっ子を
殴ってしまえばいいのだ、との薄っぺらな認識で教育問題、
いじめ自殺問題を考えている。教育基本法改悪を推進している
自民・公明の諸議員も、本当にいじめられた自殺した子どもたちの
心と苦悩、無念さを理解していない。人間を理解していない。
君が代・日の丸を推進すれば教育はうまく行くなどと単細胞な
考えを持っている石原都知事と同様な発想で、教育基本法改悪
を推進しようとしているとしか思えない。
生きた人間、生きた子どもたちに本当に寄り添い、思いを馳せる
ことの出来ない人間に教育基本法を語ることは出来ない。
いじめで自殺した子どもたちの心に寄り添い、無念な気持ちを
推測出来ない政治家が政治をしている吾が日本の悲しみと不幸。

1947年に教育基本法(教育の憲法)が制定された。
その後、自民党は一貫して教育基本法の骨抜きを行ってきた。
当初、教育委員会は地域・地元の住民の選挙で選ばれていた。
自民党は教育委員の公選制を否定。首長の任命制に切り替えた。
その時点から、教育が「上目遣い」の社会となった。
教師は校長に、校長は教育委員会ばかりに気を使う学校現場
が作り上げれれた。最近では20歳代の若手教師が教師に
なった途端に「校長・教頭になる」と発言する時代になった。
私が職場にいた15年ほど前でも「出世」をしたい教員は
子どもたちに目が向かず、教育委員会や校長にみえみえの
ゴマするをするという腐敗堕落の学校現場を嫌なほど見てきた。

文部省・教育委員会・校長などからの命令。またそれらの
人々に媚びへつらう出世主義者の徘徊する学校現場。

子どもたちに目をむけ、子どもたちと共に歩む先生が
本当に生きづらい学校は既に20年ほど前から日本の
多くの学校に出現していた。腐敗堕落の教育現場。

今日のいじめ自殺問題の経緯を見ると、教育委員会・
校長・教頭などの右往左往の見苦しい実情を嫌なほど
みせられた。力量のない教員が教育委員会や校長などに
ゴマをすって「出世」する腐敗した教育の社会。

しかし、これらの人々も大きく見れば犠牲者とも言える。
小泉政権になり、「教育の自由化」路線が進められた。

学校現場に「競争」と「評価主義」が導入された。
これは企業のシステムと同様の方式が学校に
導入されたとも言える。

「評価主義」「実績主義」「数値主義」。
学校現場の諸活動を上司が評価する、評価は必ず
「実績」で見る。実績は「数字」で分かるもの、となる。

およそ教育、子どもを育てるということは、時間のかかる
ものである。
私がベトナムで進めているストリートチルドレン支援、
「子どもの家」の活動も10年後、20年後、あるいは
30年後に子どもたちが人間として成長してくれれば
良いと思っている。教育・人を育てるということは、
時間とお金、「手間ひま」のかかるものである。
それがまた教育、人を育てることの面白さでもある。

しかし、小泉政権の「教育改革」は学校に企業の
「競争システム」を導入することであった。

数年前にある都立商業高校で講演会を行った。
講演会後、先生方と懇談する機会があった。
数名の女性教諭(40代後半~50代前半)が
この3月で退職するという。「財政的には
大変になるが、この異常な教育状況の中では
生きてゆけない。良心が許せない」と言う。

教育委員会から学校への評価は「実績」で評価する。
「努力している」では駄目で、こうした結果を出しましたと
ならなければ駄目。実績は「数字」で示す。
と言うことで、この商業高校では「簿記3級に何人合格したか」
など数字での結果・実績が評価の対象とされるというシステム
になったとのこと。これは個々の教員も実績・数値評価されるが、
学校(校長など管理職)も教育委員会から実績・数字結果で
評価されることになった。

この商業高校に入学する生徒は、本当は普通科に行きたかった
とか、不登校気味の生徒も多い。
良心的な先生は、こうした生徒の心のうちに食い込むような
指導、人間を育てる指導したいと念願しているが、こうした
指導や取り組みは今の学校現場では評価の対象とならない。
「実績主義」「数値主義」という魔物に学校・教育はひっかき
まわされている。
「簿記3級に何人合格させたか?」などという実績と数字こそが
重要視される現場では、合格しそうな生徒だけ集め「特訓」を
する。逆に「合格から程遠い」生徒への指導は結果が直ぐに
出ないから、やらない、出来ないという「恐るべき」実態が
ある。

今、騒がれている「未履修問題」、大学入試につながらない
世界史を履修したことにして、実際には大学入試に出る
日本史などに特化した勉強をしていたという問題が
起こった。現時点でも600校以上、数万人の高校生が
「誤魔化し」を行っていた。一説によれば実際には1000校
以上の高校で「嘘」「誤魔化し」をしているという。
これらは、文部科学省も教育委員会も校長も先生も
そして生徒も「総グル」になり、嘘とごまかしをしていた。

都立日比谷高校の学校案内を見た。
「東大・京都大00名、国公立00名、早慶00名目標」
と大々的にパンフレットに書いてあった。
こうしたパンフは一昔前は、予備校のものであった。
しかり、れっきとして都立高校の学校案内である。

こうした学校案内でも分かるように今、学校現場には
「実績主義」「評価主義」「数値目標」という化け物が
横行しているのである。教育委員会も校長など管理職も
先生も、そして生徒・子どもたちもこうした意味のない
競争・数字という「化け物」の競争に追い立てられて
いるのである。この化け物を学校に放った張本人は
小泉元首相である。

東大合格者数を増やす、商業簿記0級合格者何人
などという数字に追いまくられているのが学校の
実情である。

今回の「未履修問題」などが全国広範囲に起こっている
背景は「数値主義」「評価主義」「実績主義」での意味のない
競争である。子どもたち・生徒を人間として育てるという
教育の一番大事なことを忘れさせる「教育行政」が文部科学省
を先頭に政治行政として進められていることが原因だと思われる。

これらの問題は、教育基本法改正など制度以前の問題である。
こうした問題に何も手をつけないで、教育基本法改正を
呼号することは異常としか言いようがない。

高校の「未履修問題」は明らかに刑法上の「公文書偽造」という
れっきとした犯罪である。全国の高校で犯罪行為が行われている
ことに目をつぶって、「愛国心」もないだろうとおもうのだが・・。
「愛国心」を言う前に、教育現場に「嘘」と「公文書偽造」という犯罪
がはびこっている現実を直視すべきである。
子どもたちが学校に行くことが原因で「自殺」している
学校を直視すべきである。子どもたちの命を守り、成長させる
べき学校が、逆に子どもたちの命を奪っている現実。
こうしたことに目を向けず、国民から意見を聞く「タウンミーティング」
では、やらせの嘘質問を政府が行っていた。ます、これらの責任者
を全て洗い出し、嘘と騙しの政府の関係者全員の処分をすべき
である。こうしたことも何もしないで、教育基本法改悪案の採決
強行はあまりにも「政治的」である。

埼玉県の戸田市では教育長が卒業式で不起立の保護者を
調査するという異常事態が起こった。戦前のファシズムの
再来である。教育委員会が国民一人ひとりの心の中を
調査するという。
国旗・国家法案審議では、君が代・日の丸は個々の個人に
強制するものではないとの国会答弁をしている。
一度、法案が通過すれば、治安維持法と同様、最後には
死刑まで行くことになる。
「国家が個人の心の中に介入しない」という近代国家の
原則を無視・理解できない社会となってきた。
恐ろしい時代である。

教育基本法

昭和22(1947)年3月31日 法律第25号
昭和22(1947)年3月31日 施行
________________________________________
 朕は、枢密期間の諮詢を経て、帝国議会の協賛を経た教育基本法を裁可し、ここにこれを公布せしめる。
________________________________________
教育基本法
 われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。
 われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性豊かな文化の創造を目指す教育を普及徹底しなければならない。
 ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する。
________________________________________
第一条(教育の目的)
 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に満ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行わなければならない。
第二条(教育の方針)
 教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない。この目的を達成するためには、学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によつて、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない。
第三条(教育の機会均等)

 すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならないものであつて、人種、信条、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。

 国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によつて修学困難な者に対して、奨学の方法を講じなければならない。
第四条(義務教育)

 国民は、その保護する子女に、九年の普通教育を受けさせる義務を負う。

 国又は地方公共団体の設置する学校における義務教育については、授業料は、これを徴収しない。
第五条(男女共学)
 男女は、互に敬重し、協力し合わなければならないものであつて、教育上男女の共学は、認められなければならない。
第六条(学校教育)

 法律に定める学校は、公の性質をもつものであつて、国又は地方公共団体の外、法律に定める法人のみが、これを設置することができる。

 法律に定める学校の教員は、全体の奉仕者であつて、自己の使命を自覚し、その職責の遂行に努めなければならない。このためには、教員の身分は、尊重され、その待遇の適正が、期せられなければならない。
第七条(社会教育)

 家庭教育及び勤労の場所その他社会において行われる教育は、国及び地方公共団体によつて奨励されなければならない。

 国及び地方公共団体は、図書館、博物館、公民館等の施設の設置、学校の施設の利用その他適当な方法によつて教育の目的の実現に努めなければならない。
第八条(政治教育)

 良識ある公民たるに必要な政治的教養は、教育上これを尊重しなければならない。

 法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない。
第九条(宗教教育)

 宗教に関する寛容の態度及び宗教の社会生活における地位は、教育上これを尊重しなければならない。

 国及び地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない。
第十条(教育行政)

 教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである。

 教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。
第十一条(補則)
 この法律に掲げる諸条項を実施するために必要がある場合には、適当な法令が制定されなければならない。
附則
 この法律は、公布の日から、これを施行する。

投稿者 koyama : 2006年11月15日 01:02

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