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2006年11月14日

御茶ノ水へ

晴天

午前9時に家を出る。地下鉄で水道橋→お茶の水へ。
御茶ノ水にある共済本部へ。1時間ほど懇談。

帰り、御茶ノ水「三楽病院」前で偶然にもHさんとすれ違う。
私が35歳、Hさんが28歳位だったのだろうか?
5年間ほど、一緒に仕事をした仲間。
現在は都内小学校の副校長先生になっているとのこと。
あれから25年ほど過ぎた。Hさんも健康診断にひっかかり
再検査のために病院へ来たとのことだった。
Hさんは、私がベトナムに渡って以来、一貫して「子どもの家」への
支援を続けてくれている。里親など・・・・・・・。

久しぶりに御茶ノ水から明治大学の駿河台を通って神保町を歩く。
25年程前、35歳から40歳位までここで5年間仕事をした。
思い出の地でもある。途中何軒かの本屋に入る。

夕方、11月26日に「子どもの家」を訪問する教師・保育者の
団体の関係者と電話で打ち合わせ。
読売新聞と打ち合わせ。明日、会うことになった。

縫製研修工場関連の支援者であるS社の社長さんと部長さんが
明日からベトナムへ行き、「子どもの家」や
縫製研修工場を視察する。関係者と電話で打ち合わせ。
詳細打ち合わせのためベトナム事務所のバオミンさんさんに
電話で確認。

「俳句の作り方が面白いほどわかる本」(金子兜太著:中経の文庫)
読了。

先日、上野鈴本演芸場となりの何万冊も本がありそうな
大きな本屋へ行き『「季題」関係の本はどこにありますか?』と
店員に聞いた。
店員に「季題って何ですか?」と聞き返され「季語関係です」
と言うと『季語って何ですか?』と聞かれた。
多分、アルバイトなのだろう。一昔前の本屋さんだと、お客に
聞かれて知らない本などがあったら「専門家」「プロ」として
恥ずかしいとの気持ちになったものである。
結局、この本屋には俳句関連の本がないことが分かった。

巣鴨駅前の中型書店へ行っても俳句関連の本(歳時記)はなかった。
昨日、高島平商店街にある小さな個人書店に行った。
きちんと俳句関連のコーナーがあり、歳時記から俳句関連の理論書
までおいてあった。

店構えが立派で何でもありそうなところが実は、見せかけだけで内容の
ないという社会である。小さな「場末」のおじさん個人経営の書店は
おじさんの好みで本をおいてある節がある。こうしたところのおじさん
の方がよっぽど専門家である。

薬局も然り。日本はみせかけの社会となってしまった。


何か日本社会を象徴しているようである。
本屋の店員でも本をあまり読んでいないか、本についての知識が
ない。あくまで「経営効率」「人件費削減」である。
日本の社会が正にこの大型本屋のようになってしまった。
本はおいてあるが、専門家がいない。人件費を減らすことだけが
最優先されている。「良い仕事をしよう」という気迫が希薄である。
この10年近く日本社会に蔓延している「仕事が出来ない」現象。
これらは全て経営効率のために「専門家」を削減・排除したために
起こったことを知るべきである。
専門家を養成あするためには、10年ほどの時間とお金が必要である。
日本はそうした専門家養成「人つくり」を営々としてきのである。
この10年程、日本社会は「人間を育てる」ということを忘れた感が
ある。特に大企業などはその傾向が強い。


投稿者 koyama : 2006年11月14日 18:19

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