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2006年10月21日

こうばこの会口演会

晴天

「智恵子抄」(高村光太郎著 新潮社)を読む。
家の前の古本屋で100円で売っていた。

この詩集は、光太郎の独身時代、智恵子との出会い、
結婚、智恵子の発病、智恵子の死、死後の孤独な
光太郎、そして光太郎の死までを年代順に詩が編集
されいる。
光太郎と言う人間の生の叫びと声が、その時々の
光太郎のおかれている生活実態に合わせて、聞こえてくる。

光太郎は明治の高名な彫刻家高村光雲の子供として
生まれ、フランスなどに留学。昭和初期にすでに16ミリ
フィルムで智恵子を撮影している。

智恵子は福島県二本松町漆原(当時)の裕福な
造り酒屋の長女として生まれる。
日本女子大で学ぶ。卒業後、油絵を勉強。
平塚雷鳥などの「青鞜」運動にも参加。雑誌青鞜の表紙なども
描いている。

智恵子が「東京に空はない」と言ったのは、精神に変調を
来たことも原因かと思っていたが、そうではなかった。
智恵子は生まれ故郷の福島県二本松をこよなく愛していた。
結局、東京での生活には最後まで慣れないまま結婚生活
に入っている。年に3ヶ月ほどは福島の実家に帰っていた
とのこと。東京に空はない、と言う詩は、当初の智恵子抄
には入っていなかった。光太郎の死後、新しい詩が出てきて
改定時に付け加えられた。「あどけない話」と言う詩の一部
である。

光太郎と智恵子の恋愛中、結婚中の詩は有名なので
この際省き、私の興味のある部分は以下の詩である。

これは戦後直ぐに書いた光太郎の詩である。

「報告」(智恵子に)

日本はすっかり変わりました。
あなたの身ぶるひする程いやがっていた
あの傍若無人のがさつな階級が
とにかく存在しないことになりました。
すっかり変わったといつても、
それは他力による変革で
(日本の再教育と人はいひます。)
内からの爆発であなたのように
あんないきいきした新しい世界を
命をかけてしんから望んだ
さういう自力で得たのではないことが
あなたの前では恥しい。
あなたこそまことの自由を求めました。
求められない鉄の囲の中にいて、
あなたがあなたに求めたものは
結局あなたのこの世の意識の外に遂て
あなたの頭をこわしました。
あなたの苦しみを今こそ思ふ。
日本の形は変わりましたが、
あなたの苦しみを持たないわれわれの変革を
あなたに報告するのはつらいことです。
(昭和22年 6月 1947年)

★この詩は戦後の民主化が国民一人ひとりの戦争への
 厳しい反省の上に立って行われたものではないことを
 痛烈に批判しているように思えてならない。この戦後
 の民主化の中途半端さが靖国問題、9条問題にも
  持ち越されているのではないだろうか?
  光太郎の言っている「あなたの苦しみを持たないわれわれ
  の変革」という言葉の重い意味。
   未だに多くの「世襲議員」にコントロールされている
   日本の偽民主主義を予見している。


「報告」

あなたのきらひな東京へ
山からこんどきてみると
生まれ故郷の東京が
文化のがらくたに埋もれて
足のふみ場もないようです。
ひと皮かぶせたアスファルトに
無用のタキシが充満して
人は南にゆかうとすると
結局北によかされます。
空に爆音、
地にはラウドスピーカー。
鼓膜を鋼(はがね)で張り詰めて
意思のない不生産的生きものが
他国のチリンチリン的敗物を
がつがつ食べて得意です。
あなたのきらひな東京が
わたしもきらひになりました。
仕事が出来たらすぐ山へかえりませう、
あの清潔なモラルの天地で
も一度新鮮無比なあなたに会いませう
(昭和27年 11月 1952年)

今日の「資本本位」「金儲け第一主義」による
日本の荒廃を見事に予見している。

戦後の光太郎の二つの「報告」は
その後の日本、今日の日本を見事に予言している
ように思えてならない。


智恵子抄を読んで一番衝撃を受けた詩

「淫心」

をんなは多淫
われも多淫
飽かずわれらは
愛欲に光る

縦横無碍(むげ)の淫心
夏の夜の
むんむんと蒸しあがる
瑠璃漆黒の大気に
鳥魚と化して踊る
つくるなし
われら共に超凡
すでに尋常規矩(じんじょうきく)の網目を破る
われらが力のみなもとは
常に創生期の混沌に発し
歴史はその果実に生きて
その時劫(こう)を滅す
されば
人間世界の成譲は
われら現前の一点にあつまり
われらの大は無辺際に充る

淫心は胸をついて
われらを憤らしめ
万物を拝せしめ
肉身を飛ばしめ
われら大声を放って
無二の栄光に浴す

をんなは多淫
われも多淫
淫をふかめて往くところを知らず
万物をここに持す
われらますます多淫
地熱のごとし
烈 烈ーーーーーーーー

(大正3年 1914年)


この詩は二人が結婚した年のものである。
多少、言葉が難しいところがあるが、
内容を熟読すると、スポーツ紙の下手な愛欲小説
など足元にも及ばない明け透けな男女のからみあい
が想像されてくる。93年前に書かれたものとは
思えないような描写ではある。


終日曇り

午後3時過ぎ、自宅を出て西台→巣鴨→新宿→武蔵境(中央線)。
午後5時中央線「武蔵境駅」へ。40年前に二つとなりの武蔵小金井に住んでいた。その頃、武蔵境に何度か来たが当時は、駅前に大衆食堂があっただけ。40年ぶりに武蔵境に行ったが、あまりの変貌振りに驚く。
40年の時間の乖離は大きなものがあった。
午後5時、武蔵野スイングホール着。司会の方などと打ち合わせ。
午後6時、「2006年秋季(第39回)チャリティー公演」が始まる。
参加者は100名。

「こうばこの会」は1993年に物語を語ることの好きな視覚障害者数人によって結成される。それから10年弱。会員も100人を超え、見える人、
見えない人も、男の人も女の人も、若い人もそうでない人も
「トークパフォーマンス」の世界を作り出している。「こうばこ」とは
「香箱」。お香を炊いて心をしずめた古来の雅な風習になぞらえた名前。
今回で39回の公演と
なる。私は「こうばこの会」が出来た翌年の1994年に公演会に参加。
「子どもの家」への支援を訴えた。それから10数年から一貫して
こうばこの会は「子どもの家」への支援を続けている。今回も入場料の
純益を「子どもの家」へ寄贈してくれた。

初めに「舞扇」。
続いて「セメント樽の中の手紙」。戦前のプロレタリア文学。葉山佳樹作。
コント。「力」「しりとり病」「勇者ですけど」。


中入り休憩。

私のお礼と挨拶。


「つ」の字(なまくら より)

最後の参加者全員の挨拶。


午後8時過ぎに全て終了。
公演会には福田もえ子副代表も参加。



今日の感想をインタビュー。


自宅宅午後11時。


投稿者 koyama : 2006年10月21日 13:12

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