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2006年08月14日
ティン君誕生会
「戦争で死ぬ、ということ」(島本慈子著:岩波新書)推薦。
朝から雨。途中何度も豪雨。 休肝日。
二日間続いた豪雨。10月の雨季が始まったかのような
雨が続く。時々集中豪雨を思い出させるよう降る。
ベトナム事務所付近の道路は20センチほど冠水した。
しっかりとした排水システムが出来ていないため庶民は
少しでも雨が降ると町中の冠水に苦労しているが、
これも年中行事であるかのように、「自己防衛」し平然と暮らして
いる生命力旺盛な人々でもある。
午前中ベトナム事務所で仕事。
午後3時、「子どもの家」で上原さんの里子「THINH」君の11回目の
誕生会。豪雨の中電動バイクで。「子どもの家」の着いた時には
びしょ濡れ。税田さん・ソン君はバイクで。
里親の上原さんの希望でTHINH君と「子どもの家」全員に
誕生ケーキを食べて欲しいとのこと。
3つのケーキ代は上原さんからの寄贈。
子どもたちは3ヶ月間の長い夏休み。こうして誕生会を行い
3ヶ月間の夏休みにアクセントをつける必要がある。
上原さんのご好意に感謝したい。
今日はTHINH君のお母さん(41歳)も招待。
事情があってお母さんはTHINH君と親子二人。
現在はお母さんは下宿し、仕事を頼まれれば皿洗い、
荷物運搬、農作業などの仕事を行い日当をもらって
生計を立てている。月収は20万ドン(1200円)~
30万ドン(2000円)ほど。その中から10万ドンの
家賃を支払わなければならない。
実際の生活費は毎月600円から1000円。
お母さんに生活の様子を聞いてみた。
毎日仕事があるわけではない。雨の季節(10月~
2月)は仕事がない。1日70円程度で3食と生活を
しなければならない。フエ市人民委員会や地元の
行政は何も支援や相談に乗ってくれない、とのこと。
1日70円で生活するとは、1食20円。フランスパンに
野菜と肉1片を入れたものが20円程度。
素うどん(ブンボー、フォー)でも30円ほどする。
こうした生活では、THINH君を育てる事も
学校へ行かせることもできない。
8億円をギャンブルですったハノイの「お偉いさん」も
いる国であるが、毎日「素うどん」やパン一切れを
かじって生きている人間もいる。
THINH君は久しぶりに会ったお母さんの膝に乗って甘えていた。
11歳(小5年)のTHINH(ティン)君にとってはまだまだ
お母さんに甘えたい年頃である。本来なら母親と一緒に
暮らした方が良いのかも知れない。しかし、現在の生活状態
で母親と生活をしたら結局通学も出来ず、健康すら害する可能性が
ある。世の中の不条理を感じる。
THINH君の11回目の誕生会が始まる。
ケーキ点燈
●里親の上原さんからのプレゼントを代わりに渡す
●「子どもの家」の仲間の子どもたちから誕生祝の歌のプレゼント
●THINH君のケーキカット
カットしたケーキをTHINH君が「子どもの家」スタッフ、子どもたち全員に
配る。
お母さんと誕生祝いのケーキを食べる
「子どもの家」の子どもたちは今までの短い人生の中で
「スポットライト」を当てられた経験が少ない。
今日1日ではあるが、THINH君は自分のために誕生会に
集まってくれた仲間の中でスポットを浴びた。
午後5時半、日本料理店の子どもたち・スタッフと夕食。
午後6時過ぎ日本料理店開店。外は大雨。
こんな日は来客はないと思っていた。
しばらくして香港のセメント会社の社長さんと技術者3人が
来店。カレー、カツカレーライスが美味しいという。
その後、スペイン人の男女が来店。サーモンだけの握りずし、
かっぱ巻きを頼む。
その後、フエ中央病院建築の日本人と通訳のベトナム人が来店。
午後9時過ぎ閉店。子どもたちも着替え帰ろうと日本料理店の
玄関を出ようとしたところ、8人のフランス人が来店。
警備員のリー君が『8人のお客さんですが、どうしますか?』と
聞く。私はラストオーダーの9時も過ぎているし、厨房はガスも
止め、全員帰る支度も整っている。今日はこれで終わろうと
思ったが、子どもたちが『先生、お客を入れてください。』という。
8人のフランス人の入店を受け入れる。大雨の中、おなかが
すいているとのこと。
生姜焼き定食など全員が定食をばっちりと食べる。
8人はフースアン地区にあるフランスのNGOが運営している
「子どもの家」のボランティアスタッフ。
私が名刺を渡し交流する。全員が帰ったのが午後10時半。
日本料理店夜は15人の来店。
日本人1人、ベトナム人1人、スペイン人2人、
香港3人、フランス人8人。
商いは水物とは良く言ったものである。
今日のように大雨の日に来客があるとは思えなかった。
しかし、結果的には15人もの来店。この数週間では
最大の来店数となった。
料理を出し終わり、更なる注文がなくなった時点で
子どもたちや大塚さんは帰宅。
税田・石岡さん(今日の当番)・矢吹さん(ボランティア)
が残りフランス人に対応。
部屋に戻ったのは午後11時近かった。
日本料理店が始まってから私の生活スタイルは大きく
変わった。日本料理店では特別仕事をする訳ではないが
それでも来客に日本料理店の「いわく因縁」を説明する
のも「子どもの家」支援には欠かせない役割かもしれない。
スペイン人の若い男女は「素晴らしい仕事だ。明日の昼も
又来るから」と励ましてくれた。
投稿者 koyama : 2006年08月14日 01:20
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