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2006年08月13日
『戦争で死ぬ、ということ』(島本慈子著)岩波新書
終日雨。時々豪雨。
午前6時起床。
午前7時 NHK日曜討論。
中曽根元首相インタビュー。
戦後61年をどうみるのか? 2人の学者の討論。
中曽根首相の話は特別なものではなかったが、
それでも首相の靖国神社参拝問題には慎重な態度を
取っていた。自分が首相の時に靖国に行ったのは、
一度行くべきだと思ったからで、一度行ったのでその後は
参拝をやめたと言っていたい。日米同盟を機軸にアジアでの
日本の役割を考えるべきだと述べ、小泉首相との違いを
主張。
戦後61年、これからの日本の進むべき道、を語る2学者の
討論はほとんど意味のないものだった。
討論と言っても二人の学者の基本的な対立軸がないのである。
二人とも「日米同盟は正しかった」との認識では一致していた。
従って今後も日米同盟を機軸にアジア外交をするめるとの
主張。
中曽根氏と言い2学者といい、特定の主張の人たちしか
出演さえないNHKの報道の仕方は、偏ったものであることは
事実である。日米同盟に批判的な学者・世論も強い。
学者に討論をさせるならそうした討論をこそ組織すべきである。
「戦争で死ぬ、ということ」(島本慈子著:岩波新書)読了。
2006年7月20日発行。
素晴らしい本である。8月15日の敗戦記念日を前に
この本は全国民、特に若者に戦争というものの本質を教えてくれ
ているものである。
1日あれば読める本であるが内容は非常に豊かで、示唆に
富むものであった。
読んだあと、様々な考えや思いが浮かんだ。
著者が一番言いたかったことを想像すると、戦争の実態とは
人間がするものであり、人間が人間を殺す事である。
戦争で人間が死ぬということは、肉片が飛び散り、
鉄片が刺さり、首がなくなりと具体的に一人の人間が
この世の中から突然いなくなるという事実をもう一度考えよう、
その事実を知ろう、と呼びかけているように思えた。
右翼も左翼もどのような思想を持っている人も、もう一度
61年前に終わった戦争で人間が具体的にどのように死んで
行ったのかという事実を知ろうではないかと呼びかけている。
広島・長崎に原爆が落ちたくさんの人が亡くなった。
その後も白血病・ガンなどになり多くの人が死んでいる。
アメリカが行った「人類に対する戦争犯罪」である。
多くの日本人が「広島・長崎の原爆で日本がひどい被害を
蒙った」と思っている。アメリカは残酷なことをしたと。
これはその通りの話であるが、著書は「日本人は被害者
と思っているが、もしかしたら日本が世界最初の原爆投下国
になっていたかも知れない」と書いている。
具体的には、日本、ドイツ、アメリカと原爆の研究を進めていた。
これは結果的に誤報であったが、戦争末期、日本の新聞は
「ドイツがロンドンにロケットを飛ばし原爆を落とした。たくさんの
イギリス人を殺した」の記事が掲載されている。このときの
日本の新聞の論調は「鬼畜米英に原爆が落ちて良かった」という
論調になっていた。それは同時に当時の日本人の気持ちを表した
言葉でもある。日本も1941年4月、大日本帝国陸軍は正式に
原子爆弾の開発開始を決定している。
東京の理化学研究所と京都帝国大学を中心に軍部の指示で
原爆の研究を行っていた。福島県石川町にある阿武隈高地から
原爆用のウラン鉱を採掘するため、旧制石川中学
(現学法石川高校)の生徒が勤労動員させられている。
あるいは、日本が一歩早く原爆を作ったら
明らかに連合国に投下していたことは間違いない。
著書の島本氏は戦争は「殺す事と殺されること」がセットになっている
と言いたいのではないかと推察した。
小泉首相が「国家のために命をかけて戦ってくれた英霊」として
アジア太平洋戦争で死んだ・殺された日本人を語っているが、
本書に出てくる「伏龍特攻隊」は国のために死んだのではなく
国家に意味なく殺された若者という事実を突きつけている。
潜水帽子をつけ、背中に酸素製造機をつけて、7Mの棒の先に
地雷をセットし、本土決戦の水際でアメリカの上陸用舟艇を
爆破するための潜水夫特攻隊が伏龍特攻隊であった。
その他、国のために死んだのではなく、いかに無駄な死に方を
人間はしたのか、を体験者を訪ね具体的な聞き取りを
行っている。
戦争中朝日新聞の従軍記者だった「むのたけじ」氏の言葉は重い
意味を持っている。
『戦争になれば人間はゴミみたいに扱われる。そうならざるをえない。
だから戦争はやっちゃだめなのだ。』
『国会で有事に備えて国民保護法をつくると言っているけどね。
1945年3月11日の朝、私は大空襲をうけた東京をの下町を
歩き回りました。したいが道路にいっぱいだった。戦争って一晩に
10万人死ぬんですよ。あんた、誰がどうしてそれを助けるの。
要するに、戦争が起こってしまえば助けようがない。本当に
国民の安全を守ろうと思ったら、戦争をやっちゃだめなんだよ。
やってしまってから助けるなんてことはできなないということを
、3月10日(東京大空襲の日)は教えている』。
東京大空襲と同じ大空襲をその4年前に日本は中国の
重慶で行っている。1941年6月4日のことである。
原爆を落とされた広島の地元紙は「重慶市街廃墟と化す」
「巨弾命中 燃えたぞ重慶」「重慶市街数ヶ所から燃え上がる
火焔は昼をあざむいて死の街の形相を表す」と書いて
重慶空襲を喜んだ記事をかいているのである。
広島原爆投下を呪う日本人は、同時に重慶空襲を呪う
日本人でなければならない。被害と加害は紙の裏表。
著者は現在の「労働力流動化」つまりはフリーターと
派遣派遣労働者が多い社会は実は、戦前の社会だった
と言っている。「二極分化社会」である。
上流階級は戦争で更に大もうけをしたい、下流社会の
人々は社会への不満を戦争・排外主義に向けていく。
小泉首相・安部官房長官内閣は日本に戦前のような
「格差社会」を作り出した。
1995年に野口悠紀夫は「1940年体制・・・・・」
という本を書いた。その中で戦後日本的と言われた
従業員重視の企業構造や平等主義などは、もともと
日本になかった。1940年まで戦争につき
進んでいった日本の会社は以下のようだった。
今日の日本を見るとあまりにも似ていてびっくりする。
・会社とは「株主の利益追求のための組織」であり
従業員は契約に基づいて「雇われる」にすぎない。
会社があげる利益の大部分は株主に分配。
・従業員同士も平等ではない。少数の正社員、
日給で働く「工員」「職員」との間は画然とした差があった。
・会社が資金を調達する方法は銀行からではなく
直接金融(証券による資金調達)が中心。
戦前の日本は多額の資産を保有する資産階級がいた。
現在の日本が、株主の利益を確保するために従業員を
リストラし、正社員を削減し、非正規労働者が激増し、’
信託銀行が富裕層の取り込みにしのぎを削る一方、
ホームレスたちが野宿を続けているのである。
戦前と同じ「格差社会」の実像である。
9・11テロの際、世界中のマスコミが「カミカゼ・アタック」
などと言い、飛行機によるNYのビルへの突入を
日本の特攻隊(かみかぜ)と言った。
アラビヤ語の新聞では「カーミーカーズ」と書いてあったそうだ。
自爆攻撃の元祖は日本である。
今、私たちが冷静に戦争の実態、生きた人間がいったい
どうなるのか、なったのかと言った視点でもう一度立ち止まり、
戦争を考え、見直すチャンスである。
戦争を声高に叫ぶ風潮がある。国際貢献、血や汗を流す
国際貢献・・・・。
北朝鮮のミサイル攻撃を阻止するために「敵の基地をたたく
権利がある」といった先制攻撃論とも思える主張が
自民党・公明党政権の閣僚の口から出ている。
そうした時だからこそ、島本氏の著書は今、光を発している
ように私には見えるのである。
私が島本氏の著書を高く評価するのは以下の点である。
①戦争を理屈や理論でみるのではなく、「生きた人間」という
視点見ていること。
②戦争は「人を殺し、自分も殺される」。
被害と加害の両面を持っているということを明確に指摘している
点である。
③島本氏がこの本を完成するまでにどの位の時間と労力を
かけたのかは不明だが、できるだけ生きた人間に会い、
話を聞いているという姿勢を高く評価したい。
直接体験した人の意見は本に書いてある内容や学者・研究者
のものとはかなり趣を異にしている。真実が込められていること
が多い。
日本の若者に是非読んで頂きたい本である。
「戦争で死ぬ、ということ」(島本慈子著:岩波新書)740円
見ず知らずの著者だが島本氏に「よくぞ私が求めていた本を
書いてくれた」と感謝の言葉を送りたい。
私たち団塊の世代は戦争に直接参加していない。
しかし両親・家族・親戚の多くが直接戦争に参加し、戦争の
実相を多少でも聞き及んでいる世代でもある。
団塊の世代の次の世代になるとかなり戦争から遠のいている。
私自身も両親・兄・姉が中国で生まれ戦争に参加。
兄は中国からの引き上げ中に5歳で肺炎で死亡。
二人の叔父は特攻隊でパレンバン、パラオで戦死している。
こうして身近に戦争の体験者を多数持っている世代でもある。
戦争世代がもはや極少数となった今、団塊の世代が
戦争を語っていく役割を担っているいるように思えてならない。
この本を読んで著者の人間性が推測できる。理屈や理論も
大事だが何よりも「人間が好き」な人のように思えた。また、
ステレオタイプの平和論、反戦論ではなく、「生きた人間」
を主軸においた「生身の平和論」を書こうとしたのではないか。
今、人間関係と人間そのものがますます軽んじられる社会に
なっている。そうした時代に『人間を主軸』にした島本氏という
人間の生い立ちと人生にひどく興味を持った。
本書は「京滋YOUの会」の豊田陽氏の寄贈による。
豊田氏に感謝。
投稿者 koyama : 2006年08月13日 19:11
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