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2006年07月25日
日本料理店全員協議会
晴天。午後、スコール。 休肝日
午前8時半、ベトナム事務所へ。
バオミンさん・税田さんといくつかの問題を協議。
ベトナム事務所では、7月29日(土)日本語学校ガイドコース
卒業式の準備でおおわらわ。
午前中、12通のメール受信。必要な返信。
昼食は野菜とご飯中心のコムデイア。1万ドン(70円)。
午後12時半から「閨閥 特権階級の盛衰の系譜」続きを読む。
午後2時、日本料理店全員協議会。
昨日、「牛すじ煮込み」「豚の角煮」の注文があり、料理を出したが
両方とも『腐って』いた。お客さんに指摘され、大塚さん、久保田
さんが平身低頭、謝罪をし一応事なきを得た。
子どもたちは誰も「腐った」料理をチェックしないままお客さんに
提供してしまった。
間違ったこと自体は取り返しがつかないが、この失敗を重要な
教訓にし今後の日本料理店に活かすために話し合った。
子どもたち全員、妊娠で休んでいた店長のホンさん、ラームさん、
大塚さん、中村さん、税田さん、石岡さん、久保田さんの参加。
●腐った料理を出してしまった原因は何かを分析し話し合う。
①第1の原因は、しばらく前に作っておいた、「牛すじ煮込み」
「豚の角煮」を冷凍庫ではなく冷蔵庫に入れてしまったことで
ある。
当然数週間もたってしまえば、品質が落ち、腐敗してしまう。
本来は冷凍庫に入れておくべきものだった。
子どもたちは、今まで冷蔵庫そのものを使った経験がないの
で、冷蔵庫と冷凍庫の区別があまりはっきりしないまま、
とにかく冷蔵庫のどこかに入れておけばよいという
『冷蔵庫神話』にとらわれてしまっていた。
②第2の原因は調理をする子どもたちが、食材の適否、食材の
手触りや臭い、色合いなどを確認し、料理がお客に出せる
ものなのかどうかを吟味しないまま機械的に調理したこと。
③第3に最終的にお客さんに料理を出した接客係りがきちんと
料理そのものの最終をチェックしていなかったことである。
料理の適否は、少なくとも3箇所でチェックができたはずである。
しかし、そこでも誰もチェックをしないまま、最終的に腐った料理
が提供されるという、日本料理店の「自殺行為」をしてしまった
訳である。
昨日の様子を見ていると子どもたちは、「重大な問題」との
認識が弱いように思えた。食べ物を扱う仕事をする人間の
社会的な役割りについての認識に根本的な弱さがあることが
露呈された。
調理グループ、接客グループなどそれぞれの担当者の意見
も聞きながら、日本料理店の根本的な責務は、腐ったり、
伝染病などの原因となる料理を出さないことであることを
改めて全員で確認した。手洗いの励行、料理の確認。
清潔・整理整頓。
ただ、料理を作り、お金をもらうということが日本料理店の
仕事ではない事、社会的な重大な役割を持っていることを
子どもたちとともに確認した。
その後、大塚さん、久保田さんなどから、料理の作り方
について、細かい点の指摘があった。
「味噌汁」の作り方を子どもたちに尋ねる。子どもたちは
だしと野菜をと味噌を入れて煮ると答えた。
味噌は「風味」のもの、だしをしっかりとり、野菜を入れて
煮ること、野菜の味をきちんとだし汁の中に出す事。
味噌は「煮てはいけない」ことなどを教える。
子どもたちとの話し合いが終了した後、大人だけの
打ち合わせ。
近日中に実施を予定している日本料理店の「昼開店計画」に
ついて話し合う。
私のほうで昨年から準備をして来た日本料理店の
1年間を振り返り、簡単な総括、昼夜の日本料理店開店計画
と問題点を文章にして提出。
5月1日から公式に午後6時~日本料理店開店を開始。
月別の来客数は以下の通り。
5月 153人
6月 155人
7月 132人(7月24日現在)
約3ヶ月間で440人の来客があった。
大幅な黒字にはならなかったが、小幅ながら黒字となった。
7人の子どもたちの給料、1人のベトナム人スタッフの
給料、子どもたちや日本人の夕食、日本人の朝食、
光熱費、食材費等必要経費を落とした上で
「小幅な黒字」となったことは、日本料理店開店が基本的に成功した
ことを意味している。
私たちは誰一人日本料理店の経験がない。経験がない
中で「手探り」で始めた日本料理店が開店3ヶ月間で
曲がりなりにも黒字になったことは、大成功と言って
良い。日本語教師の皆さんは、ボランティアである。
フエ滞在費用の半額は自己負担となっている。
今回、日本料理店を開店した事で、日本語教師の
皆さんの朝食と夕食代を無料にする事が出来た。
それだけでも日本料理店開店の意味は大きい。
この間、日本語教師の松下さんの子どもたちへの
日本語指導、鳥取の徳岡さんや茨城の中村さんの
日本料理指導、大塚さんのボランティアによる
臨時店長、2ヶ月半におよぶボランティア日本料理員
として活躍してくれた静岡市清水区出身の久保田さん、
日本語教師の皆さんの協力など多くの人々の
見えない所での努力・協力があったことに改めて
感謝したい。
昼・夜の日本料理店開店を実施することとした。
子どもたちを昼と夜のグループに分け、ニ交代勤務体制を
作る事にした。子どもたちの勤務時間に無理や違法がないよう
十分配慮し、ニ交代制を実施。
7月26日(水)午後2時、子どもたちとの全員会議を再度行い
ニ交代制について子どもたちの意見や希望を聞く事にした。
その結果も加味し、最終案を私が作ることになった。
昼・夜の日本料理店開店も未知の分野である。
小さなことかも知れないが「新しいことへの挑戦」ともいえる。
とにかく考えていても進まない。8月・9月と2ヶ月実施してみて
途中問題が起これば、問題にあわせて柔軟に対応し、
変更しながら進めることにした。
午後5時半、子どもたちと夕食。
午後6時過ぎから日本料理店を開店するがリー君が無断欠勤。
のれんを出す人がいない。
リー君が出勤してきたのは午後7時。午後2時出勤のはずが
5時間の「遅刻」である。しかし、リー君は至って平静に堂々と
入店してきた。「遅刻と無断欠勤」を注意する。「眠っていた」
そうだ。なかなか身についた生活は直らないところがある。
時間をかけて、「仕事をすることは責任をもつこと」を体験的に
知ってもらう必要あり。二人で「遅刻・無断欠勤記念写真」
を撮影。
今日の来客は日本人3人。
豚の角煮、大根金平、かぼちゃサラダ、味噌汁、ご飯。
午後9時閉店。
7月27日に「子どもの家」と日本料理店に来るはずだった
ピースボート(41人)は台風の影響でダナン港入りが遅れ
7月28日の深夜1時過ぎにダナンに入港。
午前6時半にダナンを出て、41人の「子どもの家」訪問者が
やってくる来る事になった。
私とラームさんの二人は、7月27日の夜ダナンへ行き、
7月28日の午前6時半にダナン港から41人の皆さんを
案内し「子どもの家」へ行く事になった。
投稿者 koyama : 2006年07月25日 21:38