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2006年07月23日

フエ・セメント会社社長「子どもの家」視察

晴天

昨夜遅くまで飲み、起床は午前7時過ぎ。
NHK海外衛星放送で「日曜討論」を見る。
消費税問題など・・・。
政権与党の出席者が「2007年には大量の団塊世代が
退職し、年金、医療などに財政的な負担をかける」と
発言していた。私たちは社会に迷惑をかける世代なのか・・・
と改めて政権政党の出席者の発言を聞いて「ひがん」でしまった。
悲しい政治家たちである。私たちがどんな悪い事をした
というのか? 
戦後直ぐ大量の子どもたちが生まれたのは
第2時世界大戦、アジア太平洋戦争が終わり、
海外から多くの兵士が日本に帰って来て子どもたちが
たくさん生まれたという客観的な理由である。
これは世界的な出来事でもある。「ベビーブーマー」とい
ことばもある。強いて言えば、国家が行った無謀な侵略戦争
の結果である。
「寿司詰め教室」「受験競争」などという言葉にも代表
されるように、団塊の世代は、かなり「粗雑」に扱われて
来た世代でもある。
1970年・80年代の日本の経済成長を支えた世代。
60歳になり退職して使い物にならなくなったら、急に
政権政党の政治家たちは「人数が多いので財政を圧迫し」と
いかにもその存在自体が迷惑な世代と言いたげな
発言をしている。私たちを利用する時だけは利用し、
利用価値がなくなったら「迷惑者」と切り捨てる。
本来なら「国家の責任でアジア太平洋戦争という侵略戦争を
行い、アジア諸国にたくさんの兵士を送り出し、戦争に負け、
たくさんの兵士が一挙に帰国し、多くの子どもたちが生まれました。
一度にたくさんの子どもたちが生まれ、これらの子どもたちの
みなさんには、きちんとして施設や食料も与えられずに申し訳
なかったです。その後も政府の施策が十分でなく、学校も
足りず、1クラス65人、1学年15クラスなどという教育的に
考えれば、およそ申し訳ない教育条件の中でもみなさんは
良く頑張り成長し、1960年代後半から今日まで40年近く
日本国家のために身を粉にして良く働いてくれました。
感謝します」という言葉がでなければ、人間として、
政治家として情けないことである。
「団塊の世代」が財政を圧迫し迷惑な人々であるかの
ような発言は、政治的な差別発言である。
戦後直ぐに生まれたことをいまさら迷惑などといわれても
どうしようもないでしょう・・・・・
それにこの40年間、団塊の世代は多くの税金や
社会保障費を支払っているのですよ。
60歳で年金がもらええるという国家の嘘を信じて、
せっせと年金をかけて来ました。突然、年金支給は
65歳からですと言われた時もそれほど「怒らず」に
来ました。昨年の総選挙前でしょうか「100年安心の年金改革」
という素晴らしい年金改革で支給金額もおよそ退職時給与の
60%支給から50%に減らせれました。50%程度は大丈夫
だろうなと思っていたら、何と最低30%程度まで減らされる
というではないか・・・・。それも出生率が1、25になった今では
全く意味のない「100年安心年金」である。
団塊世代の人数が多いので医療費も抑制するそうだ。
日本語とは便利なもの。抑制といえば聞こえが良いが、
結局、病気になっても面倒を見ないよということ。
40年間、頑張って国家に税金と社会保障関連の費用を
大量に支払ってきたのに、いざ退職、老後となったらこの
仕打ち。
昨夜午前2時まで飲んだアルコールがまだ頭に残っている。
ついイライラし、朝から怒ってしまった。気持ちを抑える。

午前8時半。東京の内田征子さんから電話。
昨日フエを発って訪日した「子どもの家」卒業生の
メンさんが無事日本に到着したとのこと。
中野の内田さんのお宅に着き、そのまま疲れもあり
寝ているとのことだった。ほっとする。
初めての海外旅行。それもたった一人での訪日で
ある。一昨年はベトナム事務所のソン君が一人で
訪日したが、成田の入管で1時間以上「取調べ」
を受けた。ブライセンに来ているホアン君も同様。
メンさんが成田の入管で「取調べ」を受けなければ
良いのだが、と心配していた。
ほっとする。これからしばらく内田さんご夫妻に
お世話様になる。感謝。

午前9時。日本料理店前でバオミン・ベトナム事務所長、
Tセメント会社社長と待ち合わせ。

セメント会社社長の車で「子どもの家」へ。
「子どもの家」でセン運営委員長と懇談。セン委員長は日曜日
だったが、訪問者があるということでわざわざ出勤。

T社長は中部・トゥア・ティエン・フエ省最大のセメント工場の社長。
セメント工場は香港資本とベトナムの合弁会社。
T社長はフエに来て11年。従業員800人の最高責任者。

T社長との出会いは日本料理店だった。T社長は日本料理店
に何度か足を運んで日本料理を楽しんでくれていた。
今回、私がフエに帰り、T社長が日本料理店に来られたので
挨拶し交流すると『私は11年フエにいて企業活動をしているが
お金儲けだけで社会貢献をしていない。小山さんのしている
ストリートチルドレン支援の活動を応援したい』との話だった。
T社長は香港出身の中国人。ベトナム中部でも大きな企業の
経営者である。中々忙しい方であり「子どもの家」視察の時間が
とれず、今日の日曜日となった次第である。

バオミン・ベトナム事務所長と「子どもの家」を案内する。

T社長は「今後、JASS、子どもの家に対する財政的な
支援をしていきたい」とのことだった。
なかなか心のある社長さんである。
同時に人間の出会いとは不思議なものでもある。
T社長は日本料理店に「お刺身」「お寿司」を食べに
来ていた。カナダのバンクーバーに長年住んでいた
とのこと。カナダで日本料理を食べていたようだ。
私がもし、日本料理店を作らなければ、T社長との
出会いもなかった。また、私の方で声をかけ、日本料理店
の「いわく因縁」を説明しなければ、今日の「子どもの家」
視察もなかったかも知れない。人間の不思議な縁というもの
を感じたい。帰りの車の中で繰り返し、「自分は何か社会的な
貢献活動をした。フエでたくさんの貧しい人々を見ていて
いつも心が痛んでいた」と話していていた。
T社長がどんな方かは知らないが、ベトナム中部最大の
会社の社長の一人であるT社長が、わざわざ日曜日に
「子どもの家」へ視察に来る必要も本来はないのである。
こうしてわざわざ来てくれたT社長の人間性が分かると
いうものである。13年間フエに住んでいるが、地元フエのベトナム人
の「お偉いさん」「お金持ち」がこうした形で視察に来た事は
一度もない。


「子どもの家」では、夏休み中であり日曜日ということもあり
子どもたちはリラックスして休みを楽しんでいた。

●休みを楽しむタン君たち

●昼食を作るクーアちゃん

●パソコンでゲームを楽しむチュン君

一昨日発表があった高校受験である。
ハイバーチュン高校に合格したターオさん(チュン君の姉)
の受験の成績が分かった。50点満点で換算して46、5とのこと。
合格したハイバーチュン高校の合格基準点は35点。
基準点を10点以上も上回っていた。
ちなみにトゥア・ティエン・フエ省で最難関校である
グエンフエ高校の合格基準点は40点。それさえ6、5点も
超えている。
セン委員長や「子どもの家」の関係者からは最初から
グエンフエ高校を受ければ良かったとの声しきり。

そういえばこの1年、「子どもの家」に行く度にターオちゃんは
いつも自分のベッドの上で勉強していたっけ。
「46、5」ということは、100満点に換算すると93点である。
高校入試の全ての教科で93点だったということである。
この13年間「子どもの家」に来た子どもたちの中では、
最も成績優秀な子どもとも言える。「子どもの家」は
特別勉強しやすい環境でもない。そうした中でも
ターオさんがこうした受験結果を出したということは、
もって生まれた能力と本人の努力としか言いようがない。
今後の精進を期待したい。本人は「先生になりたい」と
言っていたが、今はどんな将来を夢見ているのだろうか?
一人の子どもではあるがこうして自分の能力と力を信じて
生きて行く機会を作ってやれたことに喜びを感ずる。


●高校合格を喜ぶ「ターオさん」

昼前にトンチンカンホテルに帰る。その足でコムディア屋へ。
ぬるま湯に20分ほど入浴。
コムディア屋さんで野菜を中心としたおかずを買う。
それらをおつまみにフダビール3缶。

午前中、洗濯。

午後3時過ぎまで昼寝。7月15日にフエへ戻って10日目。
かなり疲れが溜まっているというのか、年齢的なこともあるの
だろうか? 体が相当硬直しることが分かる。
体を温めるように努める。

「放送禁止歌」(森達也著:知恵の森文庫)読了。
大変興味深い本だった。
ドキュメンタリーのディレクターである森氏が
1960年代後半から1970年初め頃までの
「フォークブーム」で歌われた「竹田の子守唄」
の追跡をしながら、「放送禁止歌」のドキュメント番組を
作り、フジテレビの深夜番組で放送した時の体験を
中心にまとめたもの。
多くの日本人は「放送禁止歌」があると思っている。
私もそうだった。しかし、森氏が実際に関係者に当たって
事実を究明していくと「放送禁止」という歌はなかった。
民間放送連盟(民放連)が作成した「要注意歌謡曲指定
制度」に基づき18章143項からなる「放送基準」に
よるものである。しかし、これはあくまで「基準」であり、
強制力はもっていない。制度的には各放送局が自主的に
放送するのかどうかを決めるというのが制度である。
森氏も含めて「竹田の子守唄」は部落差別の歌なので
『放送禁止だ」と皆が思っていた。
森氏が60年代、70年代の放送関係者や現在の
放送関係者にインタビューをするとほとんど全員が
「放送禁止」だといっている。しかし、実際に森氏が
調べてみると上記のような基本的な制度がある以上、
どこでも「放送禁止」を決めることは出来ない。
最終的には放送局自身が自ら決めるものだのだが、
どこの放送局の担当者も自ら判断をもたず、
調べもせずに「放送禁止」のような感じがすると
言うだけで放送しない、というのが現在の
マスコミ・放送関係者の実情だ、ということが
良く分かった。
現在の放送関係者は差別用語、政治的な発言、
皇室や特定宗教、右翼など、抗議や問題追求が
少しでもありそうなことが予想される場合には、
何も考えず、全局が横並びに「自粛」してしまう。何となく
指示されたり強制される前に「自らが雰囲気を
察知し」放送しないという現在のマスコミ・放送業界の
実態に強く警告をあたえてる。放送業界が死ぬ
一歩手前、「薄皮で首がなんとかつながっている」
状態と書いているが、私には、既に「首は落ちている」
としか思えないのだが・・・・・。

森氏はマスコミ・放送業界の現状を厳しく指摘しているが
これは放送・マスコミ業界だけではなく、今の日本の
社会情勢そのものを象徴しているようでもある。
何ごとも「無難に」「人と違ったことはしないように」という
国民の何ともいえないフヤケタ空気が蔓延している。

同時に「非国民」などという物騒な発言や空気が日本に吹き始め
ている。
W杯なども「サムライ日本万歳」といわなければ、
「非国民」と言われそうな嫌な雰囲気があった。
「憲法を守る」「9条は日本の命」などという発言は
10年ほど前なら何憚ることなく言えた言葉であるが、
最近のマスコミ、放送では中々そうした発言をする
人間がいなくなった。

「放送禁止歌」を読んで、NHKETV2001の従軍慰安婦
問題の番組について「偏向」発言をし、変更を求めたという
疑惑があるポスト小泉の最有力候補である安部氏という
人間の本質的な怖さを考えた。

午後8時。数日前に作った私の大好物のおつまみで
一杯。するめ、人参、昆布をだし汁にいれ、お酒と
醤油、少量のつけ汁に2日間つけておく。
するめがやわらかくなり、するめの何とも言えない味が
出る。

「閨閥 特権階級の盛衰の系譜」(神一行著:角川文庫)
を読みながら、『小樽 ふなくち酒 搾(しぼりたて)』を
飲む。するめと日本酒は古来より調和する食物。


投稿者 koyama : 2006年07月23日 17:48

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