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2006年07月01日

支援者懇談会

終日曇り(時々雨)

19通のメール受信。20通のメール送信。
送受信の大半はベトナムとの間。

午前11時過ぎ、上野アメ横散策。
午後支援者と懇談。
夜帰宅。

「お言葉ですが・・・漢字語源の筋違い」(高島俊男著:文春文庫)

著者は中国文学研究者。
週刊文春に連載中のエッセーをまとめたもの。
政治的な文脈では意見を異にするが、興味津々の本。

中国に「けつ後語」というのがあるそうだ。これは一種の
言葉の遊び。「駄じゃれ」。
「昨日のマージャンどうだった?」と聞かれたら
「孔子の引越しさ」となるそうだ。「孔子の引越し」とは
「負けてしまったよ」という意味。
これは同音語を使った言葉あ遊び。
日本で言えば「便所の火事だ」=「やけそく」みたいなもの。
学者である孔子の引越し荷物は全て本。本は書と書く。
「全是書」。「書」は「シュー」。「輸」も「シュー」と読むそうだ。
「輸」は「負ける」という意味。「全是輸」。(全部負け)となる。
「全是書」(全て是れ書)と「全是輸」(全てこれ負け)が同音となる
しゃれ。これは一般庶民の中でも結構使われている言葉遊びだ
そうだ。

1970年、アメリカのジャーナリスト「エドガースノー」が毛沢東と
会見。スノーが会見録を発表した。その中に毛沢東が言った
として「私は傘を手に歩む孤高な行脚僧だ」とのことばが
あったそうだ。この言葉は、毛沢東が死んだ1976年の
朝日新聞の天声人語にも引用され「毛主席は肉体労働
を重んずる行動主義者であると同時に、詩人であり愚公山を移す
という農民的なしぶとさを持つ革命家であると同時に
、孤高の思索家であったらしい。晩年の主席がスノー氏に
自分は破れ傘を片手に歩む孤高な修行僧に過ぎないともらした
言葉は、この不世出の革命家の内面を知る上で実に印象的だ」
と書かれている。

スノー氏と毛沢東の会見の通訳をしたのは唐聞生(当時25歳位)。
彼女はアメリカ育ち。英語力を買われて25歳で通訳をした訳
である。アメリカ育ちのため、中国の庶民の生活は知らなかった
ようだ。

毛沢東は「まあ、俺なんか、坊主が傘をさすんだから」とけつ後語
(しゃれ)を言ったのだが、アメリカで育った唐聞生は「しゃれ」を知らず
そのまま訳した。それを聞いたスノーが更に脚色し、「私は
傘を手に歩む孤高な行脚僧だ」と書き世界に発信してしまった。

毛沢東は『無髪無天』(無髪は髪がないので坊主。無天は傘で
空が見えないい意味。そこから坊主が傘をさすとなる)の
音で「無法無天」と言ったのである。髪(ファ)と法(ファ)の同音
をかけて、『坊主が傘をさす」という音で「法もなければ天もない」
つまり「勝手放題、やり放題」と言ったのだ。
しかし、通訳はそうした「しゃれ」が分からずに「孤高の行脚僧」と
なってしまい、それが高名なジャナリストが英語で世界中に発信
し、天声人語となってしまったのである。

1993年頃、アメリカの高名なジャーナリストがベトナム戦争後
初めて南北縦断体験記を書き出版した。
その中に「ベトナムの農村に行くと農民が私を指差し
MY(マイ)と言った」との記述があった。
これでは、意味が全く分からない。そのまま訳せば
「農民が私を指差し、私の と言った」となってしまい、意味が
通じない。ベトナムに多少でも住んだことのある人なら
ベトナム語でアメリカを「MY」(ミー)と言う。
これは中国語の「美国」(アメリカ)から来たベトナム語だと
思われる。「農民が私を指差し、アメリカ と言った」となるのが
普通である。
世界への発信が英語となっている昨今、欧米人の発想で
発信された情報も結構怪しいものがあることをもっと
知る必要があるのでは・・・。

投稿者 koyama : 2006年07月01日 07:55

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