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2006年06月23日
1日自宅
終日曇り。
携帯電話をパソコンに接続してインターネットができるようにする接続機器を西台駅前に買いにいくが売っていない。
赤塚公園付近のコジマへ。ちょっと前までおいていたが今はないとの
こと。結局、2時間ほどウオーキングをした。良い運動になった。
8日間連続で講演会や懇談、例会などに出ていた。さすがに疲れる。
少し体調が悪い。今日は1日休む。
午後、メール拝受、送信。ベトナム事務所長のバオミンさんと子どもたちのこと、夏のツアーのことなど連絡し合う。
明日の 「OYKOT ネットワーク」講演会の講演草稿を作る。
新しいパソコンとお付き合い。慣れるまで時間がかかる。
私が日本へ帰って来てから連日マスコミはサッカーワールドカップ。
ほぼマスコミ報道は「畠山鈴香容疑者問題」と「サッカードイツ大会」
一色と言っても良いほどである。
特に第1戦のオーストラリア戦の前のテレビ、新聞はサッカー一色。
朝日新聞などは、サッカーの記事部分は真っ白い紙を使い特別体制で臨んでいる。サッカーに沸き立っているのは、別に問題はないのだが、気になることがある。
オーストラリア戦の前は多くのテレビ解説者、サッカー専門家などが
「絶対に勝つ」などと発言し、サッカーの「国民的」雰囲気を盛り上げていた。私は正直サッカーのことがわからない。オフサイドという意味すらわからない。そんな人間からするとテレビやマスコミがこぞって「サムライ日本」などと持ち上げる異常な雰囲気に戸惑いを感じていた。
スポーツを鑑賞するの個々人の応援・楽しみの仕方があるのになどと思っていた。「日本は必ず勝つ」と多くの解説者が豪語していた。マスコミ人も「日本が勝つ」と言わなければならない雰囲気があった。
日本がオーストラリアに負けた。マスコミも解説者も「負けたことは忘れて、次のクロアチア戦に気持ちを切り替えよう」との大合唱。
私は、何故、日本が最後の9分間でオーストラリアに負けたのかを客観的に分析する国民的な声が起こらなかったのか不思議だった。
クロアチア戦で引き分けになると、クロアチア戦は忘れて、ブラジル戦だ、
ブラジル戦では2対ゼロで「さむらい日本」(どうして急にさむらい日本なるのかわからないが)が勝つとマスコミも解説者、専門家も言う。
結局4対1で敗北。すると、「4年後のワールドカップで必勝だ」との声が起こっている。
例えは悪いが、戦前の大本営発表のようなマスコミであり国民の反応に思えた。戦争は客観的に敗北しているのに戦前のマスコミは「日本は連戦連勝」との報道を繰り返していた。結局、1945年8月15日に日本は負けた。すると「国民総懺悔」(こくみんそうざんげ)と称して、戦争の責任もなにも究明しないままに今日に至っているわが日本である。
客観的な現実を直視しないで「希望的観測」で物事判断し、うまくいかないとその原因と総括をせずに、「次はがんばろう」と精神主義に走る。
今回の「サッカー騒動」をみていると日本人の特性を見る思いがした。
主観主義・情緒主義的に物事を見る姿勢。事実は事実としてみょうとしない。
「たかがサッカー大会」ではあるが、何かマスコミの扇動で国民が客観的な現実をきちんと見ないまま「サムライ日本の勝利」などと呼号している現実に背筋が寒い思いがした。
選手の皆さんの奮闘には拍手を送りたいが・・・。
37年前の6月23日。安保条約の10年間の固定期限終了の日。1970年6月23日、
当時、日本中で大きな集会が開かれた。あれから37年の月日が流れた。当時の大学生は還暦を迎えようとしている。
61年前の6月23日。日本本土の捨石として戦われた沖縄戦の組織的な戦いが終結した日。20万人の人が殺された。哀悼。
夕食。気分転換と疲労回復のため納豆まき、野菜巻きを作る。
投稿者 koyama : 2006年06月23日 17:17