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2006年06月09日

休み

終日雨。一時豪雨。

日本へ帰国して9日目。
この間、講演会などもなく比較的ゆっくりと生活できた。
妻と二人だけの生活は久しぶり。これが『老後の生活か』
と思ったら、既に二人とも退職し客観的には「老後生活」に
突入しているのだ。

午後、買い物。野菜やいくつかの食材を買う。
ぬかづけ。(きゅうり、なす、にんじん)
講演会先の都立高校から要望されたいくつかの書類を
郵送する。

教え子のT君(コンピュータ会社経営)にパソコンの買い替えに
ついて相談。日記をかいているこのパソコンはほとんど半死状態。
数行日記を書くとフリーズしてしまう。
印刷機の接続が出来なくなった。

朝日新聞朝刊を読む。

学校で「朝食」を出す動きが出てきたとのこと。
小学校で16%、中学校で20%の子どもたちが朝食を摂らずに
登校し、学業に集中できない、そのための窮余の策として
朝食を学校で出しているという。
学校と家庭の生な実情・実態が見えるような気がする。

東京都では、大量の団塊世代退職者が出ている。
教育のベテラン教師がいなくなり、新規採用者や
若い先生ばかりとなり、教育技術が伝承されないという。
学校が学校として機能していかなくなるという
重大な問題に直面しているとのこと。
東京都の小学校の先生の平均年齢は43・5歳。
しかし、平均の43歳は全都で617人。56歳は
1265人だそうだ。これらの経験豊富な教員の
大量退職が既に始まり、2007年には、更に
大量の定年退職者が出る。
多摩市では1400人の教員のうち300人が
新規採用者とのこと。

その隣には、東京都教育委員会が行った
全都一斉「学力テスト」の各区毎の平均点一覧表が
出ている。これは東京の全ての小学校5年生と
中学2年生の統一学力テストを実施した結果である。
自治体別の平均点の最高と最低の差は中学で
13、7。小学校で9、6あった。

中学で平均点トップだった国分寺市の指導室長は
「地道な授業内容の改善が成果に結びついた」と
話している。

小・中ともに全都最低の平均点となった福生市
では『各教科平均正答率7割を目標にしてきたが
・・・下回った。努力してきた7割を超えられなくて
残念』と話している。
小・中とも最下位よりいつくか順位をあげた足立区は
「取り組みの成果が出て順位を上げた。大変感激
している」と喜びを隠さないとのこと。

その記事の下に「都立中高一貫校入試は2月3日」
という記事が出ていた。
都立中高一貫校の小石川中等教育(文京区)、
白鴎高校付属(台東区)、両国高校付属(墨田区)
桜修館中等教育(目黒区)の4校。

今日の朝日の30面、34面には今の日本の教育が
抱えている問題が書かれている。

一言で言えば、文部科学省の無能さと言える。
教育基本法改正には熱を入れているが、現実の
家庭の力、学校を取り巻く深刻な状況などには
本当の意味で関心をもっていない。

以前、鳩山邦夫文部大臣の時、「偏差値教育追放」を
文部省は呼号し、全国に大号令をかけた。
教育課程、指導要領を改訂した。「点数で子どもたち
をみない」「子どもたちの生きる力を育てる」「子どもたちに
様々な体験をさせる」との発言が、文部大臣、各都道府県
区市町村の教育長から発せられた。
学校では校長が先頭となり、「新しい学力観」、学力評価の
改善などの運動を始めた。
この話はちょっと前の話。遠山文部大臣までは、その路線
が正しいと強引に推進してきた。
それから数年後の今、各区市町村ごとの平均点を出し、
各区では学校ごと、こどもごとの平均点をだして、
「点数競争」に奔走。平均点に教育委員会も校長も
子どもたちも一喜一憂している。

家庭では朝ごはんを食べないで登校する子どもたちが
20%(2000年。日本スポーツ振興センター調べ)もいると
いうが、私の回りの先生に聞くともっと割合は多いようだ。

片方では家庭が家庭として成り立ていない家が急増。
一方で教育行政は、統一学力試験をして、各区市町村を
「点数競争」に駆り立てている。

その結果として、エリート都立高校の新設。

これらの現象を一本の糸でつないで見ると、
今の日本の教育は明らかに「二極分化」していることが
分かる。

中高一貫校に入れる家庭はそれなりに経済力を持ち、
進学塾に子どもたちを通わせることの出来る家庭である。
朝食抜きの家庭との格差は歴然としてくる。

子どもたちが「二極」に分けられる。

学校教師は、全都平均点に比べて自校の平均点の下回った
点数をどのようにして上げるかにしばりつけられる。

1950年代に文部省が行った「全国学力テスト」の結果がどうだった
を学ぶべきである。
私が大学の頃「学テ残酷物語」と言う本を読んだ。
学力テスト日本一は愛媛・香川県だった。愛媛・香川県では、
学力テスト日本一になるために、試験当日勉強の出来ない、
平均点を押し下げる子どもたちは登校させない。
テスト中は先生方が背広の裏に答案を張って、間違った子ども
たちの机をトントンたたき、解答を教えたと愛媛の先生たちが
証言している。

今の教育行政と学校、家庭の状況が進めば子どもたちの
人間育成がもっともおろそかにされることになる。
人間を育てるということは「数字」に出来ない。
「数値主義」「結果主義」「実績主義」を強く推進している
今の教育行政は、結局、全都・全国一斉学力テストを行い、
その結果の数字がもっとも「科学的な証拠」として、
教育を進めることになる。教育現場は平均点向上運動に
狂奔し、教育行政は平均点という「数字」で校長や
学校、教職員を評価する。教育と学校の荒廃。
おいていかれるのは子どもたちだ。

今日の朝日新聞のいくつかの記事を読んで、
何か背筋が寒くなった。私たちがベトナムで行っている
ことは、むしろこうした日本の教育の動きと反対である。
子どもたちの心と自立をめざしている。

昨日、ベトナム事務所から連絡があった。
L君(19歳)とT君(18歳)が窃盗容疑で捕まった
犯人に窃盗指南をしたという容疑で警察に連行されたという。
このふたりは、過去何回も警察のお世話になっている。
ベトナム事務所の皆さんも苦慮している。
私たちはこの二人の警察からの「もらい下げ」と
今後の自立のために彼らを「切り捨てず」に付き合って
いこうとメールで話し合っている。

教育は子どもたちを育てることだ。ほとんど数字に換算できない
分野である。数字と結果、実績などを強調し、学校に
「競争原理」「市場経済原理」を導入している今の教育界は
異常である。

前任校の卒業式に参加し、君が代の際、起立斉唱しなかった
教員を東京都教育委員会は処分した。(6月10日朝日35面)

教育が命令と恫喝と脅迫で進められては、結局、言いなりに
なる「羊教員」「羊学校」が多数出現するだけ。

教育は膨大な一見「無駄」のような活動の中から
数十年後に結果が出来るものである。
学校と教職員が「人間」そのものに注目しなくなったら
教育は終わりだ。

今の東京の教育は一歩、一歩「自殺」に近づいている
ようで恐ろしい。

投稿者 koyama : 2006年06月09日 19:33

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