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2006年06月03日
明治大学へ
曇り。寒い。
午前中、メール受信・送信。
午前10時半に自宅を出て水道橋ーお茶の水経由で
明治大学へ。11月11日、25日と2日間行う
明治大学成田社会人大学講義の打ち合わせ。
昼食を採りながら明治大学情報コミュニケーション学部の小保内教授、
「カンボジアに学校送る会」代表の辻村さん、地球市民交流基金の
藤田さん、NPO法人国際協力NGOセンター事務局長山崎さんと
打ち合わせ。
「真夜中の太陽」(米原万里著)読了。
5月25日に56歳で卵巣がんで亡くなった米原万里さんを偲び、
哀悼の気持ちを込めて米原万里の本を何冊か読むつもり。
「真夜中の太陽」は1999年に書かれた雑誌などへのエッセー集。
20世紀を振り返り、21世紀がどんな世紀になるのかを論じたもの。
米原万里さんの文章は、本質的に現体制・現政権に対して厳しい
批判の目を持ち、そのことをずばりと書いてしまう。
ここまで書いて良いのか?などと私などは考えてしまう。
しかし、ユーモアと博識・経験・体験の豊かさ・人間的な
高い成熟度から来るまろやかさで毒舌を包んでしまう。
「ODAの寄生虫」の項では、「日本の、そしてもしかして世界の
先進諸国による途上国支援は、結局、国際貢献の大義に隠れた
自国企業支援だったのではないかしら。税金を直接ポンと
特定の企業に与えるのは難しいので、大きなU字を描いて
それをしているというわけ」。とODAの本質を喝破している。
米原万里さんは本質的に「自由人」である。自由人だからこそ
現体制の腐りきった本質が我慢出来ないのである。
我慢できない人はいるが、ここまで書くか?と思えるほど
率直に体制批判を書いている。
10日ほど前まではこの世にいた米原万里さんである。
本を読んでいると、米原万里さんの顔と声が聞こえてくる
ようである。昨年あたりまでか? TBSの朝の番組の
コメンテーターをしていた。あれだけ文章がうまい人なのに
テレビでのコメントには不向きなようだった。
私は1967年・68年頃、米原万里の父君の衆議院議員
故米原昶(いたる)氏のボディーガードをしていたことがあった。
「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」で大宅壮一ノンフィクション賞。
「オリガ・モリソヴナの反語法」を読んで、米原万里さんが
スターリン主義に憎悪を持っていたことを知った。
美文薄命ということか?
夜、するめをだし汁と醤油、お酒で2日間ほど漬けておいた
おつまみで吟醸酒を飲む。するめと日本酒は本質的に
合う。
福島にいる孫と電話で話す。孫は猫ちゃんになっていた。
何を言っても「ニャー、ニャー」だった。
投稿者 koyama : 2006年06月03日 17:35