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2006年04月29日
ベトナム事務所員会議 :日本料理店スタッフ会議
雨。寒い
昨日は猛暑だったが、今日は一転雨で寒くなった。
気温差の大きさに朝から喉と頭が痛い。体がだるい。
町の人たちもセーターを着ている。10度から15度の気温差。
午前8時半。ベトナム事務所でベトナム事務所員会議。
会議が始まる前にドック君から電話。ドック君は1997年の
テレビ東京「ドキュメタリー人間劇場」で橋の上に寝ている
所で出会い「子どもの家」へ入ったこである。北部から
来た子どもであった。「子どもの家」で18歳まで過ごしその後
トンチンカンホテルの前で貸し自転車屋さんを開店し
店員にした。初めは1台1日1ドルで結構繁盛じていた
のだが、そのうち、貸し自転車を1台、また1台と売ってしまい、
大筋売れ終わったら、家出をしてしまった。北部に行ったとの
噂があった。そのうち、ハノイの刑務所から手紙が来た。
今日の電話は北部のTHAI NGUYEN省で仕事をしている。
今は真面目にやっている。フエで先生に迷惑をかけたことを
謝りたいとの電話だった。頑張って生活するように、
フエ遊びに来なさいと話した。人間は「年齢」というものが
必要である。あり年齢にならないと理解できないこともある。
ドック君は28歳。社会や人間というもんが、少しずつわかって
来た年齢である。ドック君の幸せを祈る。
(ミン)今週の反省と来週の計画などを報告して欲しい。
(ソン)ベトナム事務所の倉庫の整理をした。ベトナム事務所の
指示で自動車の免許を取りに行っている。
(サン)特にない。
(税田)倉庫の整理。全教松原さんの刺繍発送した。
日本から注文があった竹の民芸品を日本へ郵送した。
(フーン)日本語学校は特に問題ない。
一昨日、昨日とガイドクラスの生徒連れてダナン・ホイアン
・ミーソンなどへ行った。無事帰って来た。生徒は熱心に
勉強した。
(石岡)フーン先生・中村先生とダナン実習へ行った。
(ハン)奨学金を支給している学校の先生を呼んで
奨学金支援者に手紙を書くように頼んだ。
手紙は具体的に書くように依頼した。卒業後の進路は?
仕事は? 大学は?夏の予定は?
(松下)月曜にガイドクラスの生徒と一緒にミンマン帝廟、カイディン
帝廟の案内をした。
(ラーム)日本料理店に新たに採用したイエンさんが「はしか」
になった。
(ミン)アクセサリー花田社長を4日間案内した。
ベトナムテレビ取材の案内をした。
静岡市国際交流協会の山田さんとメールで打ち合わせ。
ハノイの日新電機で働く希望のTY君とチュン君の
就職用に履歴書が出来た。急いで採用依頼をする。
(ミン)反省が終わったら、バンベ編集会議をしたい。
今回からできるだけベトナム事務所でバンベの
編集をしたい。私の方で次号のバンベの編集内容を
書いてみた。字数と内容である。以下、各項目を
説明したい。
午前9時40分。会議終了。
「子どもの家」で退所式に参加。
ヒエウ君(17歳)が退所する。
ヒエウ君は1998年に入所。母親は再婚し、新しい父親と再婚。
ヒエウ君は家庭の様々な事情で「子どもの家」へ入所してきた。
現在、中学4年生。しかし、学校へ行かずに「家へ帰りたい」と
何度もセン委員長に話し、勝手に家へ帰ってしまう。
何度も「子どもの家」へ帰るが「家へ帰りたい」と繰り返す。
母親も「ヒエウを家へ引き取りたい」とのこと。
本人と母親・家庭の希望で家へ帰ることになり退所。
義父は農業。母親は天秤棒でうどんなどを売っている。
11歳の弟、9歳の妹。何とか生活できると母親は言っていた。
母親はヒエウ君の退所承諾書に署名。
今後、ヒエウ君は家の農業を手伝いながら、靴作りの研修を
したいと言っていた。ヒエウ君が家族と同居することで
家庭生活を楽しみ、未来への希望を実現できるように
なって欲しい。子どもは基本的には親と生活した方がよい。
例外を除いて。
午後3時。日本料理店でスタッフ会議。
今日のスタッフ会議で改めて日本料理店の仕事運営の
システムについて話し合う。
オーナーそして店長の指示で仕事をすること。
最近、子どもたちは日本人の指示に従わず、狭い自説に
こだわり、日本料理店の仕事にも支障をきたす傾向が
現れてきた。また、無断欠勤や日本料理店終了後、
「子どもの家」に帰らず、寄り道をしていることもある。
子どもたちは現在どのような立場にあるのかを
説明。現在は「研修中」「日本料理店を勉強している途中」
日本料理を教える先生に指示に従わない場合には、
2回注意し、それでも勝手な行動をした場合は研修を
辞めさせる。仕事は気分でしてはいけない。責任がある。
したい時に好きな仕事をするという態度はやめるように。
給料や手当てをもらうということは、大変な努力が要る。
この数年でしっかりと日本料理を勉強して欲しい。
勉強中は謙虚でなければならない。日本料理店で
日本料理を教えている日本人はみんな子どもたちの
自立のために無報酬で教えているということに感謝の
気持ちをもつように・・・・・・。
こんな話をする。子どもたちは「子どもの家」で支援を受けていた
時と同じ気持ちでいる。日本料理店ではお客さんにサービスと
美味しい料理を提供し、お金をもらう。「お金をもらう」ということは
全身全霊で仕事に打ち込まなければならないということを
伝えたかった。また、関係する日本人への尊敬と感謝の
気持ちを持つように。日本料理を教えている日本人の
していることが「当たり前」と思いがちな態度が見えるように
なったので・・・・。
子どもたちと話し合う。子どもたちも私たちも主旨を理解した
ようだ。
午後6時、子どもたちと日本人スタッフと夕食会。
投稿者 koyama : 2006年04月29日 22:50