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2006年04月25日
花田さんと鍛冶屋へ:日本料理店
晴天。38度(バオミン気象予報士による)
午前9時、アクセサリー会社社長の花田氏と「ネックレス」
工場へ。街中の家内工業。若者が8人ほど仕事をしていた。
主に金のネックレスなどを「蝋付け」していた。
1971年から18年間、東京駒込の小学校に勤めていた。
駒込は徳川幕府時代以来「金細工」の職人の地域だった。
私の勤務中も家庭訪問をすると家内工業で金細工の
指輪、ネックレスなどをバーナーで「ロウ付け」し細工をしていた。
今日、フエの金細工の家内工業を花田さんと視察し、
1971年当時の駒込の教え子の家の「金細工」の家内工業
と全く同じ雰囲気を感じた。
金細工の親父に「ペンチやクイッキリなどを作る鍛冶屋を
紹介して欲しい」と頼む。近くに専門の鍛冶屋があると
聞き、訪ねる。
この鍛冶屋も家内工業。数人の家族で鍛冶屋をしていた。
はさみや農器具などを手作りで作っていた。
ふいごを使って石炭を燃やしていた。
人間が働くという原点を見た思いがする。
鍛冶屋視察を終え次の視察場所へ行こうとした時、
「子どもの家」にいた子どもが「お葬式の紙人形」を作っている
家の前を通った。
A君は未婚の母。数年前に母親も死亡。現在は天涯孤独。
親切な方が引き取ってくれ、お葬式の特に使う紙人形を
作り、生活をしている。卒業生がこうした形で生活している
現場を見て、ほっとする。A君の幸せを祈る。
人生とは偶然である。私とミンさん、花田さんがA君と
話しあっていると、これまた「子どもの家」の卒業生が
道を歩いているではないか・・・・。
ラム君である。偶然にフエ市郊外で二人の卒業生と
出会った。二人ともしっかりと生活をしていた。
少し時間があり、花田さんも疲れを見せていた。
ミンさんと相談し、中国茶を飲ませる茶園へ行く。
茶園はティエンアン山の麓。
午後12時過ぎ、フエ名物「チャオバインカイン」
の店へ。チャオバインカインは、キャッサバと米粉を
混ぜた手打ちうどん。
午後3時から縫製研修工場視察。午後4過ぎ、
ベトナム事務所の刺繍みやげ物店視察。
午後4時半、日本語学校視察・交流。
花田さんが日本のアクセサリー業界の現状を説明する。
午後6時半、再度、日本料理店支援も兼ねて日本料理店へ。
日本料理店に赤提灯とのれんを出した。
直ぐに日本人のお客さんが一人、スイス人の家族3人が来店。
日本人の方はフエ中央病院の建築工事に来て4日目。
町を歩いていて「赤提灯とのれんをみてほっとした」と
言っていたい。日本料理店をフエ作って社会貢献が
出来たような気がした。
●日本人・スイス人家族・花田さんなどの来店で賑わう
日本料理店
スイス人は、中学生らしきお子さんを連れて来訪。
建築家夫妻とのこと。3週間、日本の建築を
視察に来た経験があるとのこと。
スイスでは「ドイツ語・イタリア語・フランス語・ラテン語」が
共通語。学校では英語を学んでいるとのこと。
5ヶ国語の勉強をしている。スイス建築家夫妻は
流暢な英語を話す。家族ではドイツ語を話していた。
しばらくストリートチルドレンや「子どもの家」などの
話をする。退店の際、全員で記念撮影。
投稿者 koyama : 2006年04月25日 23:28