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2006年04月23日
アクセサリー会社の花田さん「子どもの家」訪問
晴天。34度。日曜日。
フエに戻って10回目の日曜日。休めたのは2回だけ。
午前7時45分、ミンさんと一緒にフエ空港へ。
東京浅草橋のアクセサリー会社の花田社長がフエ空港へ
到着。
花田社長は昨年10月テレビ東京で放映された
私のフエでの活動の番組をご覧になり支援をしたいとの
連絡があった方。今年、浅草橋の花田社長の会社を訪問し
親交を深めた。
フエで子どもたち支援のための「起業」ができないか?
今回の視察はそのためのもの。わざわざフエに来て
子どもたちのために仕事作りを考えてくれるというのは
本当にありがたいことである。私とほぼ同年代の
「団塊の世代」。花田社長は「お金儲けは、もういい。
これからの人生、人のために何か役立つ仕事をしたい、
人を育てたい」「小山さんのテレビ番組を見て、こんなことを
している日本人がいるのを知り、感動し支援をもし出た」と話し
ていた。
午前9時、バオミンホテルへ。暫時休憩し、「子どもの家」へ。
午前9時半、「子どもの家」着。
セン委員長へ記念品の贈呈。子どもたちに「三色ボールペン」
を。
セン委員長・私・バオミンベトナム事務所長と懇談。
「子どもの家」支援、子どもたちの自立支援、財政支援の
プロジェクトについて詳細説明。
その後、私の案内で「子どもの家」の各施設を視察。
●コンピュータ教室でコンピュータの研修をする子ども
午前11時、子どもたちと一緒に昼食を摂る。
●子どもたちと食事をする花田さん
●子どもたちにも「ホワイトバンド」が流行っていた。
子どもたちに「このバンドはどんな意味があるの?」と
聞いてみた。子どもたちは「2006年ワールドカップ成功」
のためと言っていた。ホワイトバンドが明らかに
ファッションの一つと堕してしまった一例を見た思いがする。
何事も当初の意図や気持ちは時間の流れの中で変質
してしまうものである。私たちの活動も同じ。
「初心忘るべからず」
午後12時過ぎ、「子どもの家」を後にする。
花田さんはバオミンホテルで休息。
私は昼寝。先週は体調を崩した。途中強行日程でハノイへも
行った。まだ完全体調復活とは行っていない。
時間がある時は、とにかく体を休めるだけ。
午後2時過ぎ、5通のメール受信。4通のメール送信。
今後のベトナム事務所体制、5月以降、7月8月9月の
訪問者ラッシュ時の日本料理店の体制などの案を考える。
午後5時、花田さん、ラームさん、私で「ボイチャンさん」の
画廊開所式に出席。ボイチャンさんはベトナムで有名な
フエの作曲家「チンコンソン」とも知り合いの画家。
今日はこの画家の招待で自宅兼別荘にある画廊のオープニング
セレモニーに参加。アクセサリー会社の花田さんが
籐・漆などの作品を見たいとの希望があったため。
フエ市内から車で20分。ティエンアン山に麓にある
閑静な別荘地。5千㎡(1500坪)の敷地の中に北部山岳地帯
から持ってきた「少数民族」の高床式住居を住まいとしている。
いくつかの施設もある。庭はきれいに手入れされている。
フエにもこうした『お金持ち』がいるのだと感心する。
ボイチャンさんの息子さんとも食事をしたことがある。
アメリカの高校から大学に進み、大学卒業旅行で
海に行き、友達がおぼれかかったのを助けようとして
自分が水死してしまった。卒業式前に一度フエに帰国
した。その時、食事をしたのだが、明るく聡明な男の子
だった。その後、チャンさんはしばらく再起できずに
いたようである。
有名なベトナムの画家が描いたボイチャンさんの若い頃の
肖像画
5000平方メートルの敷地には池があり、あずまやが建っていたい。
ギャラリーにはフエを初めベトナムの画家の各種の
絵が飾られていた。ボイチャンさんの絵もいくつかあった。
広大な庭では多くの招待者がパーティーを楽しんでいたい。
花田さん・ラームさんとしばらく飲んだり交流したりする。
途中、花田さんの希望で漆(うるし)細工、籐工芸などの工場、
作品を調査。
午後8時過ぎ、パーティーを退出。
三遊亭円楽師匠が引退すると言う。
私が小学校から中学の頃、テレビで売り出した。
「星の王子様」。師匠の三遊亭円生が「落語協会」から脱退
した。円楽も師匠と共に脱退し、そのまま円楽党などを結成
し、独立独歩の生き方をした。落語協会を共に脱退した
人が直ぐに復帰したのとは、対照的だ。こうした「筋を通す」
生き方に共感を覚える。
今日行われた「注目選挙」の多くで自民党・公明党推薦
候補が落選した。
岩国市長選挙で「国の米軍移転計画の撤回」を主張した
井原氏が当選した。沖縄市長選では東門美津子氏(63)
(無=民主・共産・社民・自連合推薦)が米軍嘉手納基地の
自衛隊の共同使用に反対を主張して当選。
千葉衆議院補欠選挙では民主党が当選した。
広島県東広島市長選で自民党の中川政調会長の二男が敗れる。
自分の息子を跡継ぎの政治家にする「性事家」議員。
中川氏も自民党の山崎拓氏と共に「女性スキャンダル」に
まみれた。二号さんを囲って、寝室でスピッツを抱いた二号
さんの写真が暴露された人物。この種の人物に何ら期待する
気持ちはない。親の地盤で政治家になるなどという道を
賢明な息子は拒否するものである。この息子はそうでは
なかったようだ。安部晋三、麻生太郎、谷垣、福田など
「親の七光り」にすがろうとする情けない人物と同じ系列。
期待はできない。
自民・公明候補が相次いで落選した。
世の中の流れが少し変わり始めたのか?
民主党の当選syは26歳だそうだ。だがほとんど期待できない。
社会で苦労もしていない議員は結局メール問題の永田議員の
ような無様なことしかできない。若いから良いともいえない。
小沢一郎代表しか選択先がない選挙もむなしいものである。
自民党と呉越同舟。異床同夢。野党と与党の差異がほとんどない
選択肢は民主社会を崩壊させる。
明確な対立軸があって初めて選択と民主政治の基礎ができる
というものである。
投稿者 koyama : 2006年04月23日 13:50