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2006年04月12日
ピースボート食事作り・昼食交流
晴天。気温39度(とミンさんは言っていた)
立っているだけで体中から汗が吹き出る。
午前8時、フエ省刑事警察本部へ。
トンチンカンホテルの部屋の掃除係りの女性が数年にわたり
私の部屋のかぎ付きの引き出しから2万ドル以上の会の
お金を盗んだ事件についての警察の聞き取り。
2004年9月に警察へ被害届けを提出。引き出しから
掃除係りの女性がお金を盗むビデオを証拠として添付。
それから1年半。未だに捜査は進展していない。
犯人の掃除係りの女性は証拠のビデオを突きつけられ
「2回盗んだ。1回目は100ドル、2回目は15万ドン(1000円)」
と自白。しかし、実際には20回程度の盗みを行っている。
会から子どもたちの生活費・スタッフ給料などを預かり
自室に持ち帰った。ベトナム事務所会計のハンさんに
渡す数日の間、部屋の鍵付きの机に一時保存。
5000ドル程度の会のお金から500ドル~1000ドル程を
抜き取っていた。私は盗られたことを知らずに封筒のまま
ベトナム事務所会計係りのハンさんに渡す。
「先生500ドル足りません」などど何度言われたことだろう。
私はお金を盗まれたとは夢にも思っていなかった。
500ドルた足りないということは、私がどこかに置き忘れたのか?
などと思い、何日も部屋の中やバッグ、スーツケースの中
などを探し続けた。年齢的なこともあり、結構忘れることが
多いので「盗まれる」ということは、「想定外」だった。
結局、盗まれたお金は会のお金なので、全額私が返済する
こととなった。
一昨年、隣の部屋(日本人スタッフ)でも数十万円相当の
お金がなくなった。この時点で私は始めて掃除係りの
女性を疑った。この女性は、1995年、私が「日本の警察の
スパイ」との容疑でミニホテルに軟禁されていた時の
ホテルの掃除係りをしていた。その後、ラームさんが
トンチンカンホテルの掃除係りに採用。既に10年近くの
付き合いがあり、「真面目な係りの人」と思っていた。
ラームさんと相談し、私の部屋の戸棚の中にビデオカメラを
設置し、掃除の女性の様子を撮影。撮影した翌日に
「手馴れた様子」で鍵を隠してあるある場所から鍵を取り出し、
手早く机をあけ、お金を盗んでいる所が写っていた。
1年半前に警察の告発し、事情運聴取もされていたにも
関わらず、未だに起訴するかどうかさえ決まっていない。
ベトナムでは7000円以上(100万ドン)の盗みは
懲役刑となる。掃除の女性は100ドル(150万ドン)の
盗みを自白している。実際は2万ドル以上の盗みだが。
今日は犯人の掃除の女性と私が対面させられた。
盗みのビデオを見せられ、掃除の女性は「ビデオで
お金を盗んでいるのは私です」との調書を取られ、
ビデオの盗みの場面を指差し写真を取られていた。
私は「私が撮ったビデオに間違いない」との調書を取られた。
刑事警察の言い分。本人は100ドルと15万ドンの盗みを
自白している。小山さんは起訴して欲しいかどか意見を聞きたい
とのことであった。
警察は、2時間にわたり私の私の活動、住所、13年間の
取り組みなど「根掘り葉掘り」聞いてくる。
彼らの目的は、盗み問題を解決
することではなく、この機会に私を徹底的に調査し資料を
作ろうとの姿勢がミエミエ。お金の盗難とは全く関係ない
ことを事細かに聞いてきた。
ベトナム警察の本質を見た思いがする。刑事警察は
本質的には「治安・政治警察」である。国民の願っている
盗難防止などには、熱意がなく、治安対策が異常に
最優先されている警察機構となっている。
その証拠にこれだけ明白な証拠を突きつけた事件ですら
告発してから1間半も手をつけていないことをみれば、
本質が分かると言うものである。
刑事警察は、「外国人事件が起こるとフエ省警察の
ハノイ警察本部からの評価が低くなる。出来たら
告訴したくない」との姿勢が彼らの言葉の端はしに
にじみでていた。一党独裁国家の警察の本質は、
国民の悩み・犯罪の解決ではなく、一党独裁を
守るための「治安・公安」警察が主流の警察である
ことが体験的に分かった。2時間の事情聴取は
本当に疲れた。私は「本人が2万ドル程度の
お金を盗んだと正直に自白し、私に謝罪をすれば
起訴しないくても良い。しかし、2回しか盗んで
いない、100ドル程度の盗みという嘘の立場に
固執するなら起訴して欲しい」との意見を述べ
帰宅する。
掃除の女性は貧しい家庭の奥さんである。
以前、何度か自宅(貧しいあばら家)に呼ばれ、
家族に会ったことがある。自宅が泥の床だったの
でコンクリートを塗り直す工事費を出してやったり
したこともあった。旦那は、貧しさの中でギャンブルに
のめり込み、一度に100ドル・200ドルという大金を
かけたギャンブルを行っていた。年収300ドル(3万円)
程度の生活をしている家庭である。
掃除の女性は私や日本人スタッフから盗んだ大金を
夫のギャンブル代として使っていた。夫は仕事もしないで
お酒を飲み、掃除の女性を殴り、「金を持って来い」
と始終言っていたそうだ。ベトナムという社会の現実を
見た思いがする。大金を盗むと言うことは絶対に許される
ものではない。社会の最底辺で生きている庶民の実像
を見た思いがする。貧しさの中でお酒とギャンブルに
のめり込んでいく夫。夫の暴力と家族の生活のために
盗みを働く妻。どうしようもないベトナムの庶民の現実・
見えない生活がある。日本のテレビで放送される
ホーチミン市の「繁栄」。フエの「王宮料理」「宮廷音楽」の世界。
日本人の知らされるベトナムはその表面をなぜただけの
もの。13年間ベトナムに住んで、ベトナムという国の実像を
少し知った程度だという「私のベトナム認識」の度合いを
改めて知った事件であった。
39度の猛暑の中、2時間の聴取中、汗が体中を走る。
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午前10時半、「子どもの家」へ。ピースボートの
皆さんは子どもたちと一緒に近くの「タイロック市場」へ
行き昼食の食材を買う。その後、子どもたちと昼食作りを
する。
昼食の準備が出来、昼食の始まるわずかの時間、
子どもたちと交流。
午前11時、子どもたちと昼食を楽しむ。
午前11時50分。ピースボートの皆さんは「子どもの家」を
後にしベトナム事務所へ。ベトナム事務所でたくさんの
刺繍作品を買ってくれる。感謝。
午後12時半、バオミンさんの案内でピースボートが
停泊しいるダナン港へ帰る。42人の参加者の半数以上は
60歳以上の方々。ご夫婦の方も多い。残りの40%
近くの方は20歳代の女性。ピースボートは、この二つの
年齢層の方々で構成されていた。
午後2時、日本料理店で研修をしている「子どもの家」の
子どもたちを呼んで話し合い。
日本料理店開店から2ヶ月。その間の子どもたちの頑張りと
同時に行動の上での諸問題も多々あった。今日は、率直に
問題点を提起し、反省・改善の話をする。
子どもたちからも2ヶ月の日本料理店での問題、要望などを
聞く。リー君も積極的に意見を言う。
投稿者 koyama : 2006年04月12日 19:25
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