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2006年04月05日
京都企業家視察団第2日目
快晴 35度。
今日はまさに真夏そのもの。強い日差し。高湿度。
続いて「うちわ」「扇工場」へ。
続いて竹・籐細工工場へ。
偶然、竹と籐工場は「フエ福建省県人会館」にあった。
1979年、中国が「生意気なベトナムに懲罰を加える」として
ベトナムのカンボジア侵攻を理由にベトナムを侵略し
「中越戦争」が勃発した。
当時、フエには500人ほどの中国系ベトナム人が
チャイナタウンを形成していた。私が1993年に創設した
チーランン通り「子どもの家」のある「チーランン通り」である。
しかし、ベトナム政府の中国系ベトナムへの弾圧政策もあり
多くの中国系ベトナム人は中国へ行ったり、難民として
海外へ脱出した。現在フエに残っている福建省系中国人は
5家族程度である。2004年、アメリカに在住するフエにいた
中国系ベトナム人400人が寄金を出し合い、「福建省県人会館」
を設立した。
その後、ベトナム事務所を訪問。ベトナム事務所員と交流。
ベトナム事務所1階の刺繍みやげ物店でたくさんの
刺繍作品を買って頂いた。
皆さん相当の疲労状態。近くの「ティエンアン山」の麓に
ある「中国茶園」へ。1時間ほどウーロン茶を飲みながら
休息。
午後12時。市内でベトナム風ラーメン、フォー、炒飯を
食べる。
昼食後、フエ空港へ。午後2時40分、ハノイへ。
フエ滞在は短期間であったが、内容の濃い視察だった。
今後のJASSへの支援を期待したい。
午後6時、「子どもの家」卒業生で現在フエ経済大学で
勉強しているメンさんの下宿先を訪問。下宿して1ヶ月ほどの
様子を視察。下宿先で真面目に勉強をしていた。
下宿先の大家さんとも仲良く過ごしていた。
1995年に「子どもの家」へ妹と一緒に入所したメンさんである。
それから11年。20歳となり大学生。これも年月を経た結果だ。
「海外支援は2年か3年で自立させるべきだ」という意見もある。
そうした意見からすれば、私たちの活動は、失敗の実例である。
しかし、「人間を育てる」という視点に立ち、13年間現地で
1人の子どもを大人に成長させ「自立」させるための
様々な活動をしたと考えれば、それも大いに意義のあること。
人を育てるということは、手間と暇と時間がかかるもの。
こうして大学へ通学し、下宿しながら自立への道を歩んでいる
メンさんを見ると、支援というものがどうあるべきかを考えさせられ
る。小学校3年か4年の頃から大学生になるまでを見続けることが
できると言うのも支援の一形態だと思っている。
メンさんの幸せを祈る。
投稿者 koyama : 2006年04月05日 23:05
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