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2006年02月17日

ODA草の根支援(縫製工場)決定

晴天:夕方より小雨:深夜より豪雨

ハノイの日本大使館より連絡があり
昨年より申請していた「縫製工場」建築のための諸費用
の決定通知があった。
2月24日(金)午後3時からハノイの日本大使館で
服部大使とニエン「越日交流委員会」委員長、私、ミンさんなどが
立会いプロジェクト「署名式」が行われる。
プロジェクト総額は950万円程。
約1年間の申請活動であった。膨大な申請書の作成。
地元の建築会社3社と長時間打ち合わせをし「三社見積もり」
も作成した。必要な資料等も作成。大変な申請作業だった。
ハノイの大使館に何度も足を運んだり、霞ヶ関の外務省に
要請をしたりもした。
建築予定の縫製工場に工業用ミシンを寄贈し、
技術指導のボランティアもしてくれる予定の宇都宮縫製工業組合
佐藤理事長などの助力もあった。
この縫製工場は、「子どもの家」の卒業生や地元の生活困難な
子どもたちの就職の受け皿であり、同時に現地自立のための
財政基盤を作る収益をあげる工場でもある。
縫製工場には、刺繍加工工場、衣料アクセサリー工場なども
併設し、数年後には収益があがるよう頑張るつもりである。
日本料理店の開店、縫製工場の建築と「現地自立」の両輪が
揃った訳である。こうした形で現地ベトナム人が働き収益を上げ、
ベトナムの子どもたちを支援するという「現地の自立」達成への
大きな一歩が踏み出されたと思っている。
ODA草の根支援に関係したハノイ大使館の関係者の皆さんに
心より感謝したい。また、この1年間ODA申請に奮闘した
バオミン・ベトナム事務所長の地道な活動に深謝。
2007年の「現地自立化」へ向けて多くの皆様のご支援を
お願いしたい。
なお、縫製工場の今後の日程は以下。
2006年3月から4月に縫製工場工事開始。
2007年3月縫製工場工事完了。2007年4月より
縫製工場の操業開始。

午前8時、縫製研修生問題で人材派遣会社社長と
懇談。

午前9時、「京滋YOUの会」の古山さんと1時間ほど
懇談。

午前中、「子どもの家」へ。子どもたちはテト正月が
終わり、第2学期も始まり新しい気持ちで元気に
生活している。


午前12時過ぎ、日本料理店へ。

日本語教師の皆さんが「子どもの家定食」の試食中。
日本料理店開店以来、毎日日本料理を作ったり、
日本料理店運営について研究している。

厨房では徳岡さん、「子どもの家」のトゥーイさんたちが
忙しく「子どもの家定食」の準備をしていた。


午後12半頃、突然9人の来客あり。地球の歩き方ツアーの
皆さん。今日は「自由時間」。

厨房では6人分の「子どもの家定食」しか残っていない。
急いで「そうめん」やいくつかの料理を作る。

9人からの注文のあった「オレンジジュース」は
オレンジが足りなくなり、松下先生が近所の市場に
買出しに出か何とか間に合わせる。




来客から日本料理店の味や日本料理店の雰囲気などを
聞き取る松下先生。

今日の「子どもの家定食」(3000ドン:230円)

●急遽調理した「そうめん」。好評だった。

●肉じゃが

●イカの手まり寿司

●小魚と豆の煮物

●揚げ春巻き

毎日、何人の来客がるのかが不明なため、何人分の
料理を用意して置けばよいのかが分からず悪戦苦闘中。
これも1年ほど経験を積み上げないと要領がつかめないものと
思う。何事も経験と時間が必要。

突然の9人の来客にも関係者全員の団結して努力で
上手に対応することが出来た。スタッフの皆さんの
協力の力に脱帽。

午後2時、東京からの訪問者2人と1時間ほど懇談。

杉並区の教師養成塾に入っているとのこと。
灰谷健次郎の「アメリカきらい」という単行本に
私のことが書かれている。訪問者はこの本を読んで
「子どもの家」を訪ねてきたとのこと。
灰谷健次郎が大好きとの話だった。こうした若者が
是非立派な先生になって欲しい。

投稿者 koyama : 2006年02月17日 07:28

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