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2005年11月28日
米・仏支援の「子どもの家」視察
久しぶりに晴天。時々暑くなる。
朝、トンチンカンホテルは停電となる。ベトナム事務所へ。
午前8時半過ぎ、バオミン・ベトナム事務所長と一緒に
フエ郊外にある「THUY XUAN 子どもの家」を視察。
この「子どもの家」はフエ郊外の山のふもとにある。
敷地面積1万7千㎡。
この「子どもの家」はフランスのNGOが資金を出し運営している。
2000年の設立である。
41人の子どもたちと12人のスタッフ。
フランスNGOはアジアの各地に「子どもの家」を作っている。
建物の総工費は20万ドル。(2千数百万円)
THUY XUAN「子どもの家」には、1年~2年契約で若い
フランス人のアルバイトのような人が来ている。
通訳が翻訳したフランス語を直したりしている。
子どもたちはフエ市内まで自転車で40分から50分かけて
通学している。
財政は年間5万ドル程度をフランスNGOが出している。
フエ側はフエ市人民委員会副市長とそのグループが対応し
ているが、様々な問題がある。副市長グループの所長は
フランスNGOとの間の軋轢があり困っているとのことだった。
私の概算では、41人の子どもたちと12人のスタッフ
で年間最大限でも3万ドル程度で済むはず。2万ドルが
どこかへ消えているかに見えた。
所長さんは「フランス人は自分たちのすることは
全て正しい。ベトナム人のすることは間違っていると
言い、対立が続いている」と奥歯に物が挟まったような
言い方だったが、かなり深刻な対立があるようだった。
所長さんの案内で施設を参観。広い敷地にいくつかの
施設があるが、閑散としてもの寂しい感じだった。
子どもたちの姿も数人見える程度。子どもたちの
声や歓声も聞こえない。1万7千㎡という広大な
敷地が却って活力を失わせているように思われた。
山の麓での生活は大人や外国人の支援者の
頭の中での『支援』としてはよく見えるが、子どもたち
にはどうなのだろうか?
午前10時、オートバイで15分ほど離れた「XUAN PHU子どもの家」
を視察。
この「子どもの家」は2003年9月、アメリカのNGOが設立。
フエ市児童保護委員会と協力しての運営となっている。
所長さんに会おうとしたが「所長さんがいない」。
所長候補者とアメリカのNGO現地代表がいた。
二人から「XUAN PHU 子どもの家」の様子を聞いた。
子どもたちは31人。スタッフ5人。
「子どもの家」の建築費は55000ドル。これはアメリカNGOが
全額拠出。
2003年にアメリカNGOが設立したが、運営費用は
フエ市児童保護委員会に出すように言われ、全額出しているが
使われ方に疑義がある。
現在、アメリカNGOが決めた所長さんとそれに反対し
独自にフエ市児童保護委員会が所長さんを決めている。
二人の所長が並立する形となっている。実際に「子どもの家」に
いる所長さんは、アメリカNGOが決めた人である。
フエ市児童保護委員会はこの所長を認めていない。
そうした事情もあり、この「子どもの家」は責任者不在のまま
運営されている。非常に不正常な形である。
更にアメリカNGOが「子どもの家」の前に1000㎡の土地を
手に入れ、「職業訓練センター」設立を決めた。
ところが、フエ市児童保護委員会が半分の500㎡を
取り上げてしまい、そこに児童保護委員会の事務所を
勝手に作ろうとしているとのこと。
●職業訓練センター建設予定地
そうした様々な事情がからみ、資金拠出のアメリカNGOと
フエ市児童保護委員会は対立状態のままで「にらみあっている」
と言った現状である。
アメリカNGOの現地代表とアメリカNGOが決めた所長さんは、
JASSの「子どもの家」には6年前に視察に来たそうだ。
JASSはうまくいっているが、どうすればうまくできるのか
教えて欲しいと質問を受けた。
結局、フエ市児童保護委員会は、海外支援を「利権」と
考えているので、アメリカNGOがどんなに頑張っても
児童保護委員会は「すきを見つけ」ては「一儲け」しようと
たくらむのである。この「子どもの家」の現状は
私がフエに来て5年目位の状況と瓜二つである。
「子どもの家」の2部屋を児童保護委員会の事務所として
乗っ取られてしまい、「子どもの家」への資金の一部を
『横領』されるという事態があった。全て解決するのに
8年間もかかっている。
「子どもの家」の中の子どもたちの部屋を視察。
ここには子どもたちもいて、子どもたちの明るい声が
響いていた。
こうして他の海外NGOが運営している「子どもの家」を直接視察
することは、私たちのやっている「子どもの家」自立活動について
大いに参考になることが分かった。
私たちの現在到達している地点に改めて自信をもった次第である。
職業訓練、児童文化センター、日本語学校、日本料理店、
オートバイ修理研修センター・工場、障害児医療センター、
刺繍みやげ物店など、自己開発した様々な取り組みは
それなりに先進的な取り組みであることが分かった。
フランスは多額の支援金を出しているが、ベトナム側に
全て任せっ切りと言った感じ。
アメリカは始めて2年。頑張っているが、これからフエの
様々な政治的な流れに翻弄され、その中で経験を
強め、力を付けていくものと思われる。
11時半頃、トンチンカンホテルへ戻る。
今日も日本料理店の試作・批評会。
●蓮の実ご飯(上品な味)
●マカロニサラダ(予想以上に美味しかった)
●豆の五目煮(日本料理店の商品になる)
●野菜キムチ(ベトナム人のお客さんに受ける)
●かぼちゃの煮物(典型的な家庭料理)
●ベトナムうなぎの煮物(小骨が多く課題を残す)
「子どもの家」の子どもたちも日本料理というものの味に少しずつ
慣れてきているようだ。こうして徐々に子どもたちやベトナム人
スタッフに日本料理の味と日本料理店のシステム、手順を
に慣れてもらう必要がある。何事も時間がかかる。
1時間、昼寝。
午後3時、日本料理店の料理担当ターオ君に『ぬか床』の
作り方の初歩を教える。ぬか漬けの原理。ぬか床の意味。
ぬか床作りと「捨て野菜」の意味。発酵と微生物、酸素の意味。
これから毎日午前8時・午後6時の2回、ターオ君が
ぬか床をかき混ぜることとなった。
●捨て野菜の入ったぬか床(1週間程で食べられるようになる)
メールの受信に異常。
今日付けの受信は午後3時過ぎまで1通もなかった。
昨日付けのメールが突然いくつか入ってくる。
プロバイダーが、メールの管理とチェックをしているのは明白。
大事なメールが入ってこないので活動にも大きな影響あり。
投稿者 koyama : 2005年11月28日 16:24
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