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2005年11月12日

セン運営委員長と打ち合わせ

晴天。
最低気温23度。最高気温32度。真夏の気候。
今年は「異常気象」。この13年間、11月のこの時点で
こんなに晴天が続き、暑かったことはない。
私にはありがたいことである。

午前7時、朝食。ハノイ名物米うどん「PHO」(フォー)。
料理を作ってくれるPHUONG(フオン)さんがハノイの人なので
フォーは美味しい。鶏の出汁(だし)をしっかりと取ってある。
PHUONGさんの今日のフォーは牛肉。いつもは鶏肉なのだが。
「かぼす」のような柑橘類を絞り、生唐辛子を入れると食べごろ。
時々、唐辛子が異常に辛いときがある。私は何気なく7片ほど
唐辛子を入れたが、これが口を叩き割るほどの辛さ。

午前8時過ぎ、ミン・ベトナム事務所長がオートバイで
トンチンカンホテルまで迎えに来てくれた。
「子どもの家」へ。セン運営委員長と当面の諸問題に
ついて打ち合わせ。1ヶ月半ほどフエを不在にした。
「帰国」挨拶。


打ち合わせ内容。(概要)

①18歳以上になった17人の子どもたちの今後の進路
  (17歳も含む)について話し合う。

★子どもたちに寄り添いながら一人一人の子どもたちの進路を
 具体的に検討した。


・T君(20歳)現在ハイバーチュン高校3年生→「子どもの家」残留
・P君(18歳)靴作り研修中。うまくなった。毎月43万ドン
 の手当てをもらえるようになった。しかし、本人は辞めたい
 と言っている。印刷をしたいという希望。→近日中に話し合う
・Mさん(21歳) フエ経済大1年。12月7日まで軍隊に入営中。
 →入営が終わった時点で今後の下宿をどうするか話し合う。
 →基本的には下宿の方向
・Dさん(20歳)フエ師範短大1年。本人の希望を聞きながら決める。
 →近日中に小山・セン・ミンと本人の話し合い。
・H君(18歳)靴研修中。→「子どもの家」残留
・HI君(19歳)靴研修→葬儀用人形作り(中々覚えられない)
 →「子どもの家」残留
・T君(22歳)電気専門学校2年生→「子どもの家」残留
・K君(18歳)フエ師範大1年。本人は「子どもの家」に残留希望
 →「子どもの家」残留の方向
・D君(21歳)フエ省立音楽専門学校3年。2006年5月卒業予定。
 卒業後、フエ芸術大入学希望。→「子どもの家」残留
・P君(18歳)オートバイ修理研修センター。進度が遅い。
 センターを休みがち。→「子どもの家」残留。様子を見る
・PH君(17歳)フエ省立絵画専門学校2年。→「子どもの家」残留
・Hさん(17歳)ミシン研修。非常に成績良い。2006年2月卒業予定。
 その後は就職も可能。→当面は「子どもの家」残留。その後話し合う。
・Pさん(17歳)グエンフエ高校3年。来年大学受験希望。
 フエ医科大かフエ薬科大受験予定。→「子どもの家」残留
・Hさん(17歳)ミシン研修。上手。→「子どもの家」残留
・T君(17歳)靴研修中。毎月50万ドンの手当てをもらっているが
 自分で使ってしまっている。問題あり。→「子どもの家」残留。
 →生活態度について話し合い
・Mさん(17歳)ミシン研修。上手。→「子どもの家」残留
・L君(17歳)印刷研修中。成績優秀。2006年2月終了後は
 給料をもらって生活できる。→「子どもの家」残留

②「子どもの家」創立11周年記念式典 

11月19日(土)午前8時半~「子どもの家」で行う。
 セン運営委員長・ミンベトナム事務所長で詳細案を作る

③図書室の図書貸し出しについての総括・新方針

・2005年9月15日~10月10日までの22日間、
 「京滋YOUの会」の水本さんが図書の貸し出し「試行」を
 行ってくれた。セン・ミン・小山で総括を行う。
・延べ43人(スタッフ3人含む)の子どもたちに
 828冊の貸し出しを行う。
●全体として非常に意味のある貸し出しとなった。
 子どもたちも読書に興味を持つようになった。
 指導して頂いた水本先生に感謝したい。
・問題点
 ★図書の又貸し(今後はないようにする)
 ★紛失2冊。(1冊は出てきた)
 ★学校の授業中に読んでいて先生に「没収」された1冊。
   寮長のロックさんが学校へ行き返却。
●今後、「子どもの家」スタッフに担当してもらい
 引き続き「子どもの家」の子どもたち(スタッフ含む)に
 図書の貸し出しを行うようにする。
●貸し出しをすることを前提にセン運営委員長が
 「子どもの家」スタッフに担当者問題を提起する。
 午前中1時間ほど、午後1時間ほど貸し出し時間を
 スタッフが担当する。

④クリスマス会の件

詳細略。

⑤セン運営委員長より
・図書を購入する際、漫画も買ってほしい。しかし、最近
 ベトナムの漫画は暴力シーンが多い。暴力シーンの
 ある漫画は購入を控えて欲しい。
 →水本さんより図書購入費の寄贈を受けている。
   担当は会計担当のハンさんなので、図書を購入する
   際には気をつけるよう話す。
・11月20日はベトナムの「先生の日」。11月19日の
 「子どもの家」創立11周年式典の中に「先生への感謝」
 (具体的には寮母さんなどスタッフへの感謝)という
 項目を入れたい。→是非そうして欲しい。
・音楽室のスピーカーが2回壊れた。「子どもの家」が
 歌の練習をしていて、音量を上げすぎたことが原因。
 →修理不能なら買い換えるが、今後、ものを大事に
   使って欲しい。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
その後、フエ市児童保護委員会委員長のT氏が
解任されたことが話題となる。

現在、フエ省には5つの「子どもの家」がある。
我が「子どもの家」とフエ省「子どもの家」以外は、
児童保護委員会委員長のT氏が関与し、全てで問題を起こしている。
私は児童保護委員会委員長のT氏とチーランン通り「子どもの家」
そして現在のグエンチャイ「子どもの家」で関係したが、
ストリートチルドレンなどを「利用」して私服を肥やす人物で
あった。我がグエンチャイ「子どもの家」も5年間近くに
わたり児童保護委員会に「子どもの家」のかなりの
部分を事務所として「乗っ取られてしまっていた。
また、「子どもの家」の入り口の門の横に「肥料倉庫」を
作り貸していた。T氏は肥料倉庫貸し代を着服していた。
夏になると肥料倉庫から「異臭」が漂い、「子どもの家」の
子どもたちの生活にかなりの困難を与えた。T氏は
子どもたちのことはほとんど頭になかった。自分の立身出世と
金もうけである。何も知らない海外からのNGOは
児童保護委員会にいく。T氏は海外NGOにうまく話し
支援金をもらうという方法を常套手段としていた。
支援金は実際には使われなかった。我が「子どもの家」は
長期間かけての闘争の結果、やっと児童保護委員会を
追い出し、「子どもの家」の全ての施設を子どもたちが
使えるように出来たのは5年ほど前である。
今回、こうしたT氏の諸行動が問題となり、解任された
というのが、地元の人たちの話である。


★フエ省「子どもの家」(現在、若干名入所)。
●チーランン通り「子どもの家」
 (1993年から95年まで私がT氏と運営。問題が多く、止めた)
その後、T氏とフランスのNGOが共同でしばらく運営していたが、
T氏の金銭的な不正、運営の独占などの問題があり、
フランスNGOは支援をやめ閉鎖した。

●THUY XUAN「子どもの家」
フエ市人民委員会とフランスのNGOが共同運営しているが、
運営責任者の人選をめぐってフランスNGOと対立。
現在、責任者がいないまま運営が行われている。
フランスNGOとフエ市人民委員会との対立が続き
正常な運営が出来ない状態である。

●XUAN PHU「子どもの家」
T氏(児童保護委員会)とアメリカのNGOとの共同運営。
T氏が「子どもの家」の施設を児童保護委員会の事務所
としてしまう。アメリカのNGOは「子どもの家」を返して欲しい
と要求。児童保護委員会は未だに「子どもの家」を
児童保護委員会の事務所として使用、アメリカNGOの
返還要求に応えていない。アメリカNGOは「子どもの家」の
運営役員などを引き上げ、支援を凍結している。
現在、紛争状況。 

こうした紛争を見ていると、私たちが作った「越日交流委員会」
という組織の大きな意義がわかる。
児童保護委員会やフエ市人民委員会などの直接的な介入を
排し、JASSが事実上独自に「子どもの家」や日本語学校、
オートバイ修理研修センターなどの運営が出来るのである。
フエ市人民委員会の一部の人たちは、未だに海外からの支援は
「利権」、金儲けと考え、自分たちの独占物と思っている。
ストリートチルドレンや障害児を利用し、自分たちの「懐を肥やす」
社会システムが歴然と存在している。
私たちの海外支援は、こうした人々との長く・粘り強い闘いが
必要なのである。
アメリカ・フランスのNGOは既に私たちは10年以上前から苦しみ、
工夫し改善の闘いをしてきた道を辿っているように思えてならない。
近日中にフランス・アメリカNGOとの交流を行う段取り。

「子どもの家」の火焔樹が先日の台風8号の影響で折れてしまった。
この火焔樹は茨城県の「青年の翼」スタディーツアーで来た皆さんが
記念に植樹をしたもの。植樹当時は1メートルほどの細い苗木だった。

「子どもの家」では、9月に亡くなった長男の義父である拝田和夫氏
の里子のチュン君が、病床の和夫氏から送られたリモコンカーで
遊んでいた。こうしてリモコンカーを使って里子が遊んで
くれることが、亡くなった和夫氏の何よりの供養になる。
チュン君はリモコンカーで遊ぶ度に和夫氏を思い出すことだろう。
遠く離れたベトナムで、故拝田和夫氏を思い出している子どもが
いる。


昼食はイタリア風「マカロニ」。かなリ太いマカロニ状のもの。
多分正式な名前はあると思うのだが・・・・。
みかんの生絞りジュース、梨。

*福田もえ子管理栄養士より名前を教えてもらう。
 「ペンネ」。ペン先のように尖っているのでそついたそうだ。
 イタリヤ語PENNEーペン先の意味(広辞苑)

昼食後、昼寝。

午後、JASS機関紙バンベーの校正。

午後4時過ぎ徒歩でベトナム事務所へ。
ベトナム事務所では、刺繍の皆さんがエドウイン商事の
仕事をしていた。

ベトナム事務所から徒歩でドンバ市場へ。
フォン川には眩い夕日が沈みかけていた。
南国の夕日。

夕食。今日で6日間、「ノンアルコール」。
肝臓を休めるのには必要な「休肝日」である。
美味しくお酒を飲むための飲酒生活の知恵・・・・・・。

投稿者 koyama : 2005年11月12日 16:22

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