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2005年11月11日

税田真理子さん一時帰国へ

晴天。

午前7時、税田真理子さんが一時帰国で日本へ帰った。

税田さんは今年の5月からベトナム事務所員として活動している。
丁度半年程たったので、一時休養帰国の運びとなった。
税田さんは数年前に「子どもの家」でボランティア活動をした
京都青年会議所の一員(京都府綾部市役所から派遣)として
「子どもの家」を訪問。その後、何度か個人的にも「子どもの家」
訪問を行い、最終的に今年綾部市役所を退職し、ベトナム事務所
へ来た。今後、長期にわたりベトナム事務所を中心に「子どもの家」
や現地自立の日本人担当者として活動することになる。

朝食、フエ名物「ブンボー」。

午前8時半、パソコン修理業者がパソコン修理に来る。
午前中修理不能。

午前9時、ベトナム事務所。
今日は「ゴック・ハン」ベトナム事務所員(会計・里子担当)の
00回目の誕生日。松下さんが音頭を取ってハンさんの
誕生祝いを行う。ハンさんはベトナム戦争が一番激化した
「テト攻勢」の前年にフエで生まれている。翌年のテト攻勢
でフエは主戦場となり、1ヶ月にわたり米軍・南越軍と
解放戦線が王宮を舞台に戦った。多くの兵士と一般市民が
犠牲となっている。一説では数千人ともいわれる市民が
解放戦線によって虐殺された「フエ事件」も起こっている。
現在、ベトナムではこの事件は「タブー」となっているが、
当時の関係者などの証言で死者数は不明だが解放戦線による
大量虐殺があったことは事実である。
そんな、世情が血なまぐさい頃、ハン赤ちゃんはフエの教会の
片隅で生を受け両親の深い愛情を受けてすくすくと成長した。
1993年から95年までミンさん、ラームさんと一緒のクラスで
日本語を勉強した。
私がフエ師範大学で日本語を教えた第1期生でもある。

バオミンさん、ソン君が誕生ケーキを用意。
私が誕生ケーキを贈呈。

松下さんが集めた誕生祝の寄せ書きをソン君が贈呈。

ハンさんの誕生ケーキカット

全員の記念写真

ベトナム事務所3階では日本料理店に勤める
「子どもの家」のニーさん、グエットさんが松下さんの指導で
実践的な日本語を勉強いる。こんな会話を。
(客)ビールが冷たくないよ
(店員)申し訳ありません。すぐとりかえますので・・。

休憩時間にハンさんの誕生ケーキのお裾分けを食し、祝う。

JASSベトナム事務所のスタッフがいつも気持ちを一(いつ)にし
「子どもの家」や生活困難な子どもたち、障害児などへの
支援活動が出来るようにしたいものである。
その基礎は、ベトナム事務所の団結である。
日越両国スタッフが文化と生活経験、年齢を超えて
相互理解を深め、現地の自立のために奮闘することが
求められている。日常的に一緒に仕事をすれば、思わぬ
ところで文化の違い、国情の違いに戸惑うことがある。
これは、お互い様ではあるが・・・・。
こうしたことを乗り越えての共同の活動が必要である。
「寛容」の精神と相互理解、思いやりの気持ちが必要。


午後2時、パソコン修理業者が再度来訪。
修理中に散髪へ。徒歩15分。散髪30分。散髪屋の職人さん
全員がくわえタバコで仕事をしている。煙くさい。
2万ドン支払う。140円。

午後4時、パソコン修理終了。大筋は直ったが今までの
保存が全て消去されていた。送信メール、受信メール、
デスクトップに置いてあった資料・講演会記録等・・。
一番の痛手はメールアドレスが全て消去されていたことだ。
ベトナムでの生活体験では、一箇所直すと違うところが
壊れているということが良くある。
致し方ない。日記に写真をアップ出来るようになっただけでも
感謝の気持ちを持たねば。
メールアドレスを各所から集め登録する。

夕食は中村さん、石岡さんと。7時前に中村さんが
日本語学校上級クラスの授業へ。入れ替わりで
初級を教えている松下さんが帰って来る。雑談をしながら
夕食。

投稿者 koyama : 2005年11月11日 11:27

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